Sam Mendes
1980年代初頭のイギリスの静かな海辺の町、マーゲイト
多感な少年時代に経験した激動の80年代の記憶――サム・メンデス監督初の単独脚本作品

 アカデミー賞受賞作『アメリカン・ビューティ』、『007』シリーズ、『1917 命をかけた伝令』等で知られるイギリスの名匠、サム・メンデスが、「最も個人的な思いのこもった作品」と語るのが、最新作『エンパイア・オブ・ライト』だ。彼がそう言うのには理由がある。1980年代初頭のイギリスの映画館で働く人々の人生に、その頃まだ10代の映画少年だったメンデスが通った映画館への思いと、当時のイギリスの社会情勢が強く反映されているからだ。メンデスはさらにこう続ける。

 「一般的に、人間の人格形成期は10代です。私の10代は1970年代の終わりから80年代の初めにかけてで、その時代の音楽、映画、ポップカルチャーによって、私の人格が形成されたと言えます。その頃のイギリスは人種問題が絡んだ動乱の時代でもあったわけですが、同時に、素晴らしい音楽や文化が生まれた創造的で情熱的な時代でもあったのです」

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 イギリス南東部にある海辺の街、マーゲイト。地元の映画館〈エンパイア劇場〉でフロントを担当するヒラリーは、辛い過去の体験から今も抜け出せないでいる。ある日、劇場に新入社員としてやって来た黒人青年のスティーヴンは、世間に蔓延る人種差別に晒される身だ。共に人生の苦難と戦ってきた2人はすぐに打ち解け、濃密な関係になるが、厳しい現実が映画館の扉を開けて侵入して来る。

 今回、キャリア初の単独脚本に挑戦したメンデスは、当初からヒラリー役はオリヴィア・コールマンを想定していたという。いわゆる当て書きだ。

 「パンデミックの最中に『ザ・クラウン』を見て、オリヴィアの演技が素晴らしかったから、〈そうだ、ヒラリー役は彼女で決まりだ〉と思い、脚本を書き始めたんです」

 メンデスの直感は正しかった。新たな出会いによって明るく、大胆になっていくヒラリーの変化を、『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞受賞後、確実に役柄の幅を広げてきたコールマンが、微かな視線の動きを多用して的確に演じているからだ。

 「いつもぼんやりして、仕事もうわのそらだったヒラリーが、スティーヴンに恋したことでワクワクする気持ちを取り戻します。そんなヒラリーの様々な心の状態を演じ分けるのは楽しかったわ」

 そう語るコールマンをメンデスは「応用が効いて且つ柔軟」と表現するが、スティーヴン役のマイケル・ウォードに対しては異なるアプローチを試みる。何しろ、ウォードは2016年に俳優デビューし、サウス・ロンドンのストリート抗争を描いた『ブルー・ストーリー』で英国アカデミー賞のライジングスター賞を受賞したばかりの新星なのだ。

 「サムはまだデビュー間もない私の意見を大事にしてくれました。そうして役作りを一緒にやろうと申し出てくれたのは本当に嬉しかったです」 そう語るウォードの新人ならではの瑞々しい演技と、コールマンの柔軟に変化する演技が交差する瞬間は、行く手に待ち構える苦難を常に予感させて、スリリングで格別の味わいがある。