頭の中に秘密の数字が隠されているとか(『π』)、体から白鳥の毛が生えてくるとか(『ブラック・スワン』)、ダーレン・アロノフスキー監督が描く主人公は、いつも誇大妄想に取り憑かれている。『ノア 約束の舟』の主人公も同じ。大洪水から動物たちを守るため、ノアが巨大な箱舟を作るのは旧約聖書の記述そのままだが、問題は彼が人類全体に対し、絶滅主義的な立場をとっていることだ。物語後半、彼は自らの行動の真意を打ち明ける。「人類は罪によって世界を汚したから、自分の子孫も含め、全部消えてなくなればいい」。
これを究極の誇大妄想と呼ばずして、一体何と呼ぼうか。『π』以来、アロノフスキー作品のスコアを手がけてきたクリント・マンセルは、そのノアの誇大妄想を驚くほどシンプルに表現してみせた。本編全体に散りばめられた「ファ……レ」という短3度の下降音程のモティーフ。この音程、実際に歌ったり弾いたりしてみればわかると思うが、要するに「ノ……ア」と語りかけている“神の声”に他ならない。いや、もっと正確に言うと、ノアが“神の声”と信じ込んだ妄想の象徴である。幼少期からこの音程に取り憑かれたノアは、人間を悪と信じ、大洪水がやって来ると信じ、あろうことか、箱舟の船上で自分の孫の殺害まで試みる。これじゃあ、カルト教団の殺人テロ計画と大して変わらないじゃないか? それではさすがにマズい、というのでアロノフスキー監督とマンセルは物語の終盤に別の音楽を用意し、ノアの誇大妄想に待ったをかける。ひとつは、『π』以来これが3度めのアロノフスキー作品への参加となるクロノス・クァルテットの慈愛に満ちた弦楽四重奏。そしてもうひとつが、パティ・スミスがクロノスの伴奏で歌う主題歌《マーシー・イズ》だ。70年代、《グローリア》の中で「神は誰かのために死んだが私のためじゃない」と歌ったパティが、21世紀の今、「慈悲の心は、その行いの中に現れる」とストレートに歌いかける意味は、あまりにも重い。
FILM INFORMATION
映画「ノア 約束の舟」
監督・製作・脚本:ダーレン・アロノフスキー
音楽:クリント・マンセル
出演:ラッセル・クロウ/ジェニファー・コネリー/レイ・ウィンストン/エマ・ワトソン/アンソニー・ホプキンス/他
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン(2014年 アメリカ
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