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ヨッちゃんとヤッチンが手探りで始めた作曲

――当初は野村さんと曾我さんが主体だったんですね。

曾我「僕らに丸投げだったから(笑)。でも、なかなか良いメンバーが見つからなくて。選ぶ時に〈ジャニーズにふさわしい〉というポイントも重要でしたし。当時、僕は他人事で、ルックス重視で選んでたんです(笑)」

野村「メンバー探しをしつつ曲作りもしてたんだけど、僕は曲の作り方なんて知らなかったわけです。その頃、ウチにはギターが何本かあって……すでにギターオタクのドアをノックしかかってたからね(笑)。それで、ヤッチンが部屋にあるギターを弾いて、〈こういうフレーズはどう? 義男はAを♪デンデケデケデケデンってやってよ〉と言ったんですよね。それが“TAKE OFF”(84年作『HELLO! THE GOOD-BYE』収録曲)のイントロになったんです。そんな風に作曲を始めて、そういう作業は衛藤さんが入る1年前に始めていました」

The Good-Bye 『HELLO! THE GOOD-BYE』 ビクター(1984, 2004)

曾我「“TAKE OFF”は冬に作ったんだよね」

野村「うん。The Good-Byeを始める1年前の『明星』か『平凡』に〈ヨッちゃんはバンド結成に向けて作曲を始めたそうです!〉と“愛 See Tight”(『HELLO! THE GOOD-BYE』収録曲)の歌詞が載ったこともあったね。

当時作った曲、もう一曲あったな……。あっ、〈♪雨の降る日は~〉だ」

曾我「“ジョンソン博士の場合”ね」

※89年作『Revolution No.9』収録曲“PSYCHO RAIN”の仮タイトル

衛藤浩一「あの曲ってそんな昔に出来てたの!?」

野村「うん。で、板野(俊雄)くんから買ったギブソン・レスポールを売って、TEAC 144って4チャンネルのカセットレコーダーを買ったんです。それでヤッチンと〈録音しようぜ〉って、ウチでデモを録っていってね」

 

The Good-Bye結成

野村「そんなことをやってたら、今度はレコード会社も動きはじめた。ビクタースタジオの中に練習場所があったから、そこで音を出せることになって、その頃に来たのが衛藤さんだったんです。衛藤さんは〈オーディションに応募した〉と言ってたけど、僕らは知らなかったんだよね。ある日、(プロデューサーの)飯田(久彦)さんがスタジオに来て、〈九州でいちばん上手い同世代のドラマーで、先生もしてる人が見つかったから!〉って言ったの」

衛藤「〈九州でいちばん上手い〉(笑)」

野村「こっちも緊張しちゃって〈マジ!? 大事になっちゃったね〉なんて言ってね(笑)。それで衛藤さんが来たんだけど、〈すごいドラマー〉だからさ、こうやって(ドラムを叩いて調整する真似をして)ドラムのセッティングとチューニングをずーっとやってるのよ。耳が相当良くて、音にうるさい人なんだろうなと思ったな。それがね、後で聞いたら、なるべく演奏しないようにしてただけで、時間稼ぎだったんだよね(笑)」

曾我「この人(衛藤)、本当にシャイでね~(笑)」

――衛藤さんは、どなたかからの紹介だったんですか?

衛藤「紹介していただく前に、僕のことを知っている女の子が、その頃やってたバンドのライブテープと履歴書をオーディションに送ってくれていたんですね。でも、その時は何もなくて。

その後、稲葉(政裕)さんという有名なギタリストが福岡にいらっしゃって、その方に〈プロになるなら俺と一緒に来い!〉と言われ、福岡に連れて行ってもらったんです。そこでヤマハのドラムインストラクターをやらせてもらってたのですが、ヤマハがプロデュースしたスタジオの方のところに〈若くて良いドラマー、いない?〉と相談があったそうで。それで僕を紹介をしてくれて、青山のビクタースタジオに行った、という経緯でした」

曾我「僕はその時、立ち会えなかったんですよね」

衛藤「ヤッチンはいなかったね。

当時、僕は虫歯で歯に穴が開いていたし、話すと大分弁が出て恥ずかしいし、たのきんのヨッちゃんがいて緊張するしで、とにかくしゃべらないようにしていました(笑)。しかも、九州の先輩から〈お前はアイドルをやるためにドラムを叩いているのか?〉と言われたり、東京が怖かったりして、〈できない!〉と逃げ帰っちゃったんです。ジャニーさんからいきなり〈明日からハワイに行け!〉と言われたのもあったし(笑)」

野村「ハワイで撮影した『嵐を呼ぶ男』(83年)のクラインクイン直前で、そこでThe Good-Byeのメンバーを顔見せしておきたかったんだろうね」

衛藤「それで怖気づいて九州に帰ったら、先輩たちが手の平を返したように〈なんで断っちゃったんだよ!〉〈すごいチャンスじゃないか!〉なんて言ってくるんですよ。それに乗せられて、また東京にノコノコと戻ってきて(笑)」

野村「それで、衛藤さんと僕らが作った曲の練習を始めたんですね。加賀(八郎)さんはまだいなくて、川原(伸司)さんのピアノの左手がベースでした。

ちょうどその時、富やん――日本のセッションレコーディングには欠かせない名ベーシスト、トランザムの富倉安生さんですね――が隣でレコーディングをしていて。富やんのベースをチューニングしてたか弦を替えてたのが加賀さんで、飯田さんが〈君、ベース弾けるの? ちょっと弾いてみせて〉と声をかけて、スタジオに入れたんです。そしたら、彼がいちばんプロ歴が長いですから、ものすごく弾けてね。気づいたらメンバーになってました(笑)」

曾我「最終的に僕も入ることになったのですが、当時は役者になりたいと思っていたから、〈ドラマ撮影を年間3本入れてください〉と条件を出してたんです。でも、The Good-Byeが始まったら、もうそんな時間なんてなくて(笑)」

野村「騙されたね(笑)!」

曾我「いっつもジャニーさんに騙されてたから(笑)」