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〈カラヤン〉になり損なったロリン・マゼール

 ロリン・マゼールの録音歴は1957年から2013年まで半世紀強に及び、総数300点を超える。ベートーヴェンはクリーヴランド管弦楽団(ソニー)、シューベルトとブルックナーはバイエルン放送交響楽団(BR)、ブラームスはクリーヴランド管弦楽団(デッカ)、マーラーはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ソニー)、チャイコフスキーもウィーン・フィル(デッカ)、シベリウスはウィーン・フィル(デッカ)とピッツバーグ交響楽団(ソニー)の2度、ラフマニノフはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・グラモフォン=DG)と、交響曲全集だけをみても、世界のキラ星のようなオーケストラとの共演が並ぶ。

LORIN MAAZEL 『The Art Of Lorin Maazel』 Sony Classical(2014)

 何度かインタヴューでお世話になり、多くの素晴らしい実演を聴かせていただいたので申し訳ないとは思うのだが、正直に判定してマゼールの場合、膨大なディスコグラフィーを分母とする〈名盤〉〈決定盤〉の打率が極端に低いとはいえないだろうか? クリーヴランド管とのブラームスのLP盤を改めて聴き直してみた。30数年前の発売当時は大木正興氏によって『レコード芸術』誌の推薦盤となったが、いま接すると余りにもすべてが優秀なアンサンブルともども、ごくごく自然に造形されるだけで、〈葛藤〉を感じさせる瞬間がない。フィルハーモニア管弦楽団を指揮、ヘルマン・プライ(バリトン)とイレアナ・コトルバス(ソプラノ)と豪華な独唱を従えた同じ作曲家の『ドイツ・レクイエム』(ソニー)も基本的に同じ傾向のアプローチだった。ところがクリーヴランド管とのベートーヴェンでは、異様なまでに細部へのこだわりをみせる。2人の作曲家に対するアプローチが、普通の指揮者とは真逆という気がしてならない。

 最大の問題作は、マーラーだろう。ユダヤ系作曲家&指揮者の大先輩に当たるグスタフ・マーラーが1897年から1907年まで君臨したウィーン国立歌劇場音楽総監督(GMD)のポストをマゼールは1982年、ついに手に入れ、ウィーン楽友協会(ムジークフェライン)大ホールでマーラー全集のセッション録音を開始した。作曲家直伝のブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラー、今日の人気の火付け役となったレナード・バーンスタインにも叶わなかった『ウィーン・フィルとのマーラー全集』の大成功は、確約されたかに見えた。様々な政治的陰謀に巻き込まれた結果、マゼールは84年に歌劇場のGMDを退く。だがウィーン・フィルとのコンサートは続き、マーラー全集も89年には完成した。

 2014年3月に日本語訳が出た英国の音楽ジャーナリスト、ノーマン・レブレヒトの近著「クラシックレコードの百年史」(猪上杉子訳=音楽之友社)は巻末に「記念碑的名盤100」とともに〈迷盤20〉を挙げている。「迷」の5点目に、マゼール指揮ウィーン・フィルのマーラー『交響曲第2番「復活」』が登場する。レブレヒトは1983年1月の録音セッションに立ち会った経験をこう振り返る。

 「真冬の土曜日の夜、ウィーン楽友協会ホールの聴衆は不安で凍りついていた。贖いの芸術作品に立ちこめた腐った空気は筆舌に尽くしがたいほど破壊的なものだった。どんなにヴァイオリンが甘く歌い、木管がハミングしても、荒涼とした雰囲気は信頼を拒絶し、二人の大きな女性(ソリスト)が立ち上がって大声を張り上げたとき、オーケストラと合唱団の誰もが、生活費を稼げる会計士や配管工をやっておくべきだったと思ったろう。誰もが当事者になりたくないというレコードがあるとするならば、これがそうだ」

ロリン・マゼール指揮、ウィーン・フィルの演奏によるマーラー作曲“交響曲第5番”