国内外から再評価の高まる唯一無二のシンガーがオールタイム・ベストを完成! みずから振り返る活動の足跡、そして歌い続けることへの想いとは?

レコーディングに育てられた

 70年代から80年代にかけ、日本が大きな経済発展を遂げる過程でジャズやソウル、ファンクの洗練されたグルーヴを纏い、産み落とされた瑞々しいポップソングの数々。それらは長い時を経た現代において、DJ的な視点を含む新たな解釈でピックアップ/再評価され、〈シティ・ポップ〉という呼称のもと、新たなリスナーやダンスフロアを熱狂させる世界的なムーヴメントとなった。そして、松原みきの“真夜中のドア~stay with me~”や竹内まりやの“プラスティック・ラブ”など、ストリーミング時代の新たなクラシックが続々と誕生するなか、改めて脚光を浴びてきたのが、〈Penny〉の愛称で知られる当山ひとみだ。

 日本返還前のアメリカ領だった沖縄で日常的に英語を話す環境下に生まれ育った彼女は、中高生時代をサンフランシスコ・ベイエリアのオークランドで過ごした後に帰国。〈元祖バイリンガル・シンガー〉として81年にデビューを果たし、日本の音楽シーンに新風をもたらした。今回は過去13作のオリジナル・アルバム収録曲を中心にコンパイルされた2枚組のオールタイム・ベスト・アルバム『Pretty Penny HITOMI TOHYAMA THE BEST & RARE』が登場。〈かなりの金額〉を意味する〈Pretty Penny〉という表題が示す通り、〈シティ・ポップ〉の宝石が瞬く煌びやかな世界へと聴き手を誘う。

当山ひとみ 『Pretty Penny HITOMI TOHYAMA THE BEST & RARE』 コロムビア(2024)

 「私は沖縄でモータウンを聴いて育ちました。当時、通っていたアメリカンスクールでは生徒が出演するタレント・ショウのような催しがあって、友達とシュープリームスのようなコーラス・グループを組み、そこで歌ったりしていましたね。そして、アメリカではスタイリスティックスに象徴されるフィリー・ソウルが好きでした。歌を生業にするつもりはなかったんですけど、シンガーとして活動していた姉(Myrah Kay)から〈食べていくためにあなたもやりなさい〉と言われて、ディスコのハウス・バンドで歌いはじめました。当時の憧れは井田リエさん。彼女のコンサートで私がコーラス隊の一員として歌うようになり、プロデューサーの兼松(光:TRIADの創設者)さんから誘われて、リエさんのバンドでもあった42ndストリート・バンドのギタリスト、米倉良広さんがほぼすべての作曲・編曲を手掛けたアルバム『Just Call Me Penny』(81年)でソロ・デビューしました」。

 のちにディアンジェロも取り上げたロバータ・フラック“Feel Like Making Love”の日本語カヴァーを収録した日本産メロウ・ソウルのホーリーグレイルである77年の名盤『Street Talk』を生み出した井田リエ & 42ndストリートの制作チームによる全面バックアップのもと、都会的なメロウネスを湛えた“RAINY DRIVER”や甘くとろけるような“BABY, BABY, BABY”、ベイエリアのファンキーな風が吹く“SFO-OAKLAND”などを収録した『Just Call Me Penny』は、バンドの卓越したグルーヴと柔らかい歌声が心地良い一枚。翌年リリースのセカンド・アルバム『Heart Full Of L.A. Mind』では、イーグルスに代表されるウェストコースト・マナーを消化したAORへと一時的に路線変更されるも、ディスコの現場で音楽経験を培った彼女の本領はやはりグルーヴ・コンシャスな楽曲でこそ発揮される。当時の最新機材であるドラムマシーンとシンセサイザーの比重を高めたプロダクションで制作された83年の2作――『Next Door』と『Sexy Robot』は、ブギー・ファンクの名曲がずらりと揃った作品として、現在もDJにこよなく愛されているアルバムでもある。

 「バンドの生演奏に合わせて歌うことに慣れていた私からすると、録音されたトラックに歌入れするのは、カラオケで歌っているように感じて最初は違和感があったんです。でも、歌入れは厳しくもそこまで厳密ではなくて、いいフィーリングのテイクを採用する現場でしたし、夕方から朝までの制作を延々と続けたことで、レコーディングに育てられたんですよね。だから、(エレクトロニック色を強めた)『Next Door』以降の制作にも戸惑いはなかったです。それ以上に自分が慣れ親しんだディスコに戻れたことが嬉しかったし、歌うのも楽しかった」。