デイヴィッド・サンボーンが死去した。

デイヴィッド・サンボーンが2024年5月12日の午後に死去したことが、本人のFacebookなどSNSのアカウントで発表された。2018年以降、前立腺がんとその合併症との闘いを続けながらも以前と同様の演奏活動をおこなっており、2025年までライブのスケジュールは予定されていたという。78歳だった。

デイヴィッド・サンボーンは1945年、米フロリダ州タンパ生まれ、ミズーリ州セントルイス育ちのサクソフォニスト。オフィシャルサイトのバイオグラフィによると、3歳でポリオになり、療養やリハビリとしてサックスの演奏をすすめられたという。高校時代にはシカゴブルースに影響され、その後ノースウェスタン大学で音楽を学び、アイオワ大学に移籍してJ.R. モンテローズに師事した。

カリフォルニアに旅行した際、ポール・バターフィールドのバターフィールド・ブルース・バンドに参加してウッドストックで演奏。さらにスティーヴィー・ワンダーやローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ジェイムス・テイラー、ギル・エヴァンスら大物と共演を重ね、スティーヴィー・ワンダーの『Talking Book』(72年)やボウイの『Young Americans』(75年)といった名盤でもプレイし、拠点をNYCに移した。70年代半ばには、ブレッカー・ブラザーズにも参加した。

75年、アルバム『Taking Off』でソロデビュー。80年作『Hideaway』と収録曲“The Seduction (Love Theme)”(作曲はジョルジオ・モロダーで、同年の映画「アメリカン・ジゴロ」で使用された曲の別バージョン)がヒットを記録した。そして82年、前年に発表した“All I Need Is You”が最優秀R&Bインストゥルメンタルパフォーマンス賞に輝き、初のグラミー賞を受賞した。

サンボーンは88~90年にテレビ番組「Night Music」で司会を務め、様々なジャズレジェンドの紹介もおこなった。それ以外にも「The Jazz Show With David Sanborn」ほか多数のテレビ・ラジオ番組で活躍し、テーマ曲の演奏も担っている。近年もYouTubeで〈Sanborn Sessions〉を配信、現行ジャズシーンの第一線で活躍するプレイヤーと共演し、パンデミック期間はライブハウスやミュージシャンの支援へ積極的にコミットしていた。

エリック・クラプトンからジャコ・パストリアス、トッド・ラングレン、ブルース・スプリングスティーン、スティングまで共演や客演は膨大な数にのぼるが、彼の演奏は日本でも厚い支持を受けており、70年代以降、深町純や吉田美奈子、野口五郎、渡辺香津美、カシオペア、宇多田ヒカルといったアーティストのレコーディングにも参加している。最期のソロアルバムは、2018年の『This Masquerade』になった。

亡くなるまでにグラミー賞を6度も受賞、セールス面でもゴールドディスクを8作、プラチナディスクを1作生み出した。スムースジャズやフュージョンの人気を大衆的なものにまで高め、ジャズとロック・ポップの越境や融合を象徴した彼は、まさに〈ロックンロールにサックスを取り戻した〉アーティストだった。

今日は〈泣きのサンボーン〉と呼ばれた彼の哀切な響きのサックスに浸って、サンボーンに弔意を表したい。