かつて学んだ声楽の経験も活きたという諏訪内のブラームス新録音

 ベートーヴェンのソナタ、J・S・バッハの無伴奏曲、そして今回はブラームスのソナタ全曲と、ヴァイオリンの黄金のレパートリーを着実に自身のディスコグラフィーに書き込んでいる諏訪内晶子。バッハの“ソナタ&パルティータ”の録音から2年半ぶりとなるこのブラームスのソナタ集の録音には、ピアノ界の鬼才として日本でも注目を集めるエフゲニ・ボジャノフを共演ピアニストとして招き、奥深いブラームスの世界を教えてくれる。

諏訪内晶子, EVGENI BOZHANOV 『ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集』 Decca/ユニバーサル(2024)

 「録音までには十分なリハーサルの時間を取りました。1年間以上前からふたりで演奏会とリハーサルを重ね、その一部は、昨年秋の日本ツアーでも披露しましたが、録音までにはさらにその内容を深めたいと思っていました」

 と諏訪内は語る。そのふたりのリハーサルというのがかなり興味深いものだったようだ。

 「録音では、エフゲニが指定のシゲルカワイのピアノを使用することが決まっていたので、デュッセルドルフにあるカワイのスタジオで1ヶ月に何日か、リハーサルをするスケジュールを組んで、長期間に渡ってリハーサルを重ねました。そのリハーサルというのも、お互いに何か意見を出し合うという形ではなく、朝から晩まで、ひたすら作品をさまざまなテンポで弾くという形のリハーサルで、お互いの作品に対する感じ方の違いを細部まで検討して行きました。弾きっぱなしなので、他の方がその様子を見たら、このふたりはいったい何をやっているのだろう、と不思議がったと思いますが、そう弾き込んで行くことによって、お互いに発見するところも多く、感覚の違うところも見つかり、どの様に最終的な演奏に到達させるのか。それが今回の録音には必要でした」

 と諏訪内。録音に対する彼女の真摯な想いが伝わって来る。そしてブラームスの魅力については、こう語る。

 「ブラームスのヴァイオリン・ソナタはもちろん若い頃から取り組んできましたが、ソナタというその作品自体は、ブラームスが大きな作品を発表して、成功を収めて以降の成熟した時期の作品なので、簡単にはその意図するところを深く表現するまでには行かない、なかなか難しい作品です。演奏家自身の成熟を待たなければいけない作品のひとつですね。

 同時に、第1番の解説などでもよく紹介されるように、ヴァイオリン・ソナタのなかにブラームスの歌曲の世界も潜んでいます。それをどう表現するかの研究もまた必要になります。そうした点で、3曲あるヴァイオリン・ソナタのなかで自分にとって一番難しいと感じたのは第1番のソナタでした」

 それに関連して、こんなエピソードも話してくれた。

 「シューマンの作品をより深めたくて、ドイツに留学した時に、先生からまず〈このクラスは、全員が声楽を学びます〉と言われました。それまでは、ヴァイオリンの演奏技術の向上ばかりを目指し、実際に自分の声を使って歌ったことも無いし、声楽のイロハも知らないのに、いきなりテノールの声楽の先生のところで、歌の勉強をすることになったのです。先生の意図は、いかに演奏家が楽器を持つことによって、弾く難しさから〈歌う〉ということを忘れてしまっているのか、〈楽器を演奏する〉ことのもう一つの問題を、再認識をさせるものでした。かなり苦労して、腹式呼吸法を学び、歌うウォーミングアップ方法を学び、リートなどの歌曲を歌うことにトライしたのですが、その経験が今になって、やっと自分にとって良かったと思えたのが、今回のブラームスの録音でした。やはり彼にとっては歌曲というのは自分自身の真情を伝えるものであったと思います。それを意識しながら、録音にも臨みました」

 今回の録音では、諏訪内は1732年製のグァルネリ・デル・ジェズ〈チャールズ・リード〉を、ボジャノフはシゲル・カワイのピアノを使用している。それぞれの音色がとてもよくマッチしている録音となっている。

 「録音はたまたまデュッセルドルフにあるロベルト・シューマン・ザールを借りることが出来たので、そこで行いました。音のバランスがとても良く、ヴァイオリンもピアノも細部にこだわった録音に仕上がったと思います」

 この9月からは、ピアニストはオライオン・ワイスに替わるが、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲を演奏する日本ツアーを行う予定だ。ワイスはソリストとしても、また室内楽奏者としてもアメリカで注目を集める存在だけに、このふたりのコラボレーションがどうなるか、楽しみなツアーとなる。

 


諏訪内晶子(Akiko Suwanai)
東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了。文化庁芸術家在外派遣研修生としてジュリアード音楽院本科及びコロンビア大学に学んだ後、同音楽院修士課程修了。国立ベルリン芸術大学でも学び、2021年学術博士課程修了、ドイツ国家演奏家資格取得。2012年、2015年、エリーザベト王妃国際コンクール、2018年ロンティボー国際コンクール、2019年チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門審査員。2012年より〈国際音楽祭 NIPPON〉を企画制作し、同音楽祭の芸術監督を務めている。

 


LIVE INFORMATION
諏訪内晶子&オライオン・ワイス  デュオ・リサイタル
2024年9月6日(金)愛知県芸術劇場コンサートホール
2024年9月7日(土)大垣市スイトピアセンター
2024年9月8日(日)ミューザ川崎シンフォニーホール
2024年9月12日(木)東京オペラシティ コンサートホール
2024年9月14日(土)ザ・シンフォニーホール
2024年9月15日(日)西条市総合文化会館

■曲目
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 Op.78「雨の歌」
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 Op.10 0
ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

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