海道はじめのシングル“スナッキーで踊ろう”が音楽サブスクリプション/ストリーミングサービスで聴けるようになった。

1968年、昭和43年にリリースされた海道はじめ(坂越達明)の7インチシングル“スナッキーで踊ろう”。クセが強すぎる歌、独特な響きのエコー(海道が舌を高速で動かしてエコーを模していたという)、スナッキー・ガールズの勢いまかせの掛け声、グループサウンズ/ゴーゴー調の演奏と編曲、理解しがたい歌詞など、奇天烈な要素が多く、昭和歌謡屈指の怪曲・謎曲として好事家の間で知らている。

この曲を聴いた者は全員〈スナッキーって何?〉と思うだろうが、これは当時のプリマハムのフランクフルトソーセージの商品名(ちなみにB面の“いとしの君”では、〈いとしのプリマ~〉とこれみよがしに歌われている)。商品の発売前に​コマーシャルであることを隠してレコードのヒットを画策し、イベント〈スナッキー大会〉を開催するなど、商品名をサブリミナル的に刷り込む広告宣伝効果が目指されていた(ステルスマーケティング……?)。現在では当たり前になっているタイアップソングの早すぎた例だが、レコードはコケてしまい、商品自体も時勢に合わず売れなかったそうだ。

“スナッキーで踊ろう”は作曲を船村徹が、作詞を三浦康照が、演奏をコロムビア・オーケストラが担当している。コーラスとダンスを担ったスナッキー・ガールズはハニー(羽太幸得子)、ミミ(吉沢京子)、ケメ子(小山ルミ)の3人組だった。作曲した当時、厄年だったという船村は、次のように語っている。

奈落の果てというか、たとえば鍾乳洞の奥の方からですね、断末魔の声と言いますか、人が首絞められてね、ワイアーで絞められて死んでいく、地獄へ堕ちていく声というか、サウンドと言いますかね、そんな風なものを作りたかったんですね。決まったものをぶち壊してやりたいっていうことが、音作りの方にもですね、感じる破壊……音楽って言いますかね。ぶち壊してって、そこで一つのものを見出すっていうか、そういう年齢だったんじゃないかと。

またプロデューサーだった小川淳二は、激動の昭和40年代、高度経済成長期の歪みを受けて、演歌ではない表現を求めていたとのこと。

歴史に埋もれた“スナッキーで踊ろう”だったが、後年掘り起こされて、根本敬・湯浅学・船橋英雄による幻の名盤解放同盟のコンピレーションアルバムに収録されたり、1994年にNHKの「ナイトジャーナル」で特集されたりと、現在に至るまで取り上げられることが少なくない。

今回の配信を機に、昭和という時代の奇妙な側面に触れてみてはいかがだろうか。

 


RELEASE INFORMATION

海道はじめ 『スナッキーで踊ろう』 コロムビア(1968)

リリース日:1968年

TRACKLIST
1. スナッキーで踊ろう
2. いとしの君