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氷室や布袋、ユーミンの前座で使ってくれない?

――当時、清志郎さんはすごく怒っていたイメージがあるんですけど、その延長線上で出て来たタイマーズが、ユーモラスなバンドになったのはその影響があったのかもしれないわけですね。

「僕が東芝EMIに入って仕事を始めたのは『コブラの悩み』からなんですが、当時の清志郎さんに怒ってるイメージはあんまりなかったです。近藤(雅信/元・東芝EMI宣伝クリエイティブ担当)さんとも仲良くしていましたし」

――タイマーズも、清志郎さんと近藤さんが最初から一緒に企ててやっていた感じがあるんですかね。

「たぶん、そうだと思います」

――ZERRYが各方面の関係者に企画書を配っていたという証言もありますが、本当ですか?

「企画書というか、〈ぜひ貴方の前座バンドに!〉って書かれたA4の紙があって、そこにタイマーズのメンバーとしてZerry Timer(ZERRY)、Toppi Mutoh(TOPPI)、Watashi Dareyo(BOBBY)、豊田商事Pah(PAH)の似顔絵イラストが描いてあったんです。それがFAXで送られてきて、〈氷室(京介)とか布袋(寅泰)とかのライブの前座で使ってくれないかな? ユーミンでもいいし〉と言ってました(笑)」

――ただただ、面白がっていたんですね(笑)。その前座は実現したんですか?

「実現するわけないでしょ(笑)! その前座は冗談としても、清志郎さんと近藤さんは盛り上がってました。ただ、ある時からピタッとタイマーズの話を聞かなくなってたんです。なぜかと言うと、1989年はサディスティック・ミカ・バンドの再結成があり、矢沢永吉さんの東芝EMI移籍後の2枚目のアルバム『情事』があり、またひさびさに期待の新人として高野寛くんのデビューがあったり、スタッフ全員すごく忙しくて、タイマーズの話が出なくなっていたんです」

――その頃、じつは水面下でタイマーズが動いたのでは?

「僕が初めてタイマーズを観たのが、ミカ・バンドのアルバムのミックスダウンのときだったんです。打ち合わせがあったので近藤さんとスタジオに行って、その後に横浜国立大学の学園祭(1988年11月13日)でタイマーズのライブを観ました」

――その時点でタイマーズは曲づくりやレコーディングはしていたのでしょうか?

「レコーディングをしていたかはわからないんですけど、“原発賛成音頭”とかはライブでやってました。他にもちょっと言えないような曲をやっていたんですけど、清志郎さんの歌は言葉がハッキリ聴こえちゃうんですよね(笑)。『COVERS』の後だったし、これを出すのは当然無理だなと誰もが思っていました。

その後、翌月に『コブラの悩み』の発売があったので(1988年12月16日)、東芝EMIのスタッフはみんなそちらのプロモーションにシフトしていきました」

 

“君はLOVE ME TENDERを聴いたか?”はザ・タイマーズの曲?

――今作の聴きどころの1つとして、『コブラの悩み』の最後に入っていた“君はLOVE ME TENDERを聴いたか?”のフルバージョンが収録されています。今までRCでレコーディングした曲だとばかり思っていました。

「僕もそう思ってました。当時、東芝EMI本社の第3スタジオと、芝浦のテラスタジオを清志郎さんがベタ押さえしてて、RCのレコーディングも含めてよく使っていたんですよ。たぶん、その中の1つでレコーディングしたんじゃないかと思います」

――何かずっと、内緒でやってた感じですよね(笑)。スタッフも動きを全然把握していなかったような。

「清志郎さんって、いろんな人と一緒にやってたじゃないですか? それもあって、周囲もあんまり気に留めてなかったと思います。当時のスタジオってすごく大きくて、あっちこっちのスタジオにいろんなアーティストが来ていて、シークレットで進められていたユニットもあったので。それに、清志郎さんはレコーディングをする時間が他のアーティストと違って深夜でもかなり深い時間帯だったので、あんまり目撃者がいないんです(笑)。だから“君はLOVE ME TENDERを聴いたか?”も、実際にどういうメンバーで録っていたのかはわからないですね」

――世間的にも、『COVERS』『コブラの悩み』と続いたRCや清志郎さんへの注目度も少し落ち着いた頃だったのでしょうか。

「『COVERS』はああいう事件があったのですごく注目度が高かったんですけど、その後にTHE BLUE HEARTSの“チェルノブイリ”と佐野元春さんの“警告どおり 計画どおり”が発売されて、日本でその年に原発のことを歌ったのはその3組だけだったんですよ。少し前には浜田省吾さんが“僕と彼女と週末に”という曲がありました」

――1988年でその流れは終わってしまったというか。

「『コブラの悩み』は、『COVERS』と比べるとあまりいい反応がなくて、若干売り上げが下がっちゃったんです。当時は日本がバブルの時代で、ドカーンと売れている人たちもいっぱいいて、またバンドブームで新しい流れも来ていて、業界の全体的な流れはもちろん、世の中のムードがそちら側にシフトしていました。だから、清志郎さんに関する話題はちょっと切れてしまっていましたね」