
©MakiTakagi
〈絃の東西・音と言葉〉をテーマに8作品を配した桑原ゆう作品集がKAIROSレーベルからリリース!
ひとつの音が発され、何度もくりかえされる。ひとつひとつのあいだは伸びたり縮んだりするが、ピッチは変わらない。その奏でられる音に耳は吸い寄せられ、聴いている背骨がまっすぐになる。
桑原ゆうの2枚組作品集『音の声、声の音』を聴くと、1曲ごとに、この姿勢をあらたにする。集中度は極度に高い。疲れる。それでいて、その緊張感のあとには清々しさが、音が音楽になる、ひとの手と耳を介して音楽になったさまにふれたときの清々しさが、ある。ヴァイオリン独奏曲が2曲、三味線独奏曲をはさんで、ヴィオラ・ダモーレ曲へ。どれも独奏曲。2曲目から3曲目、洋楽器から邦楽器に移った、とはおもう。音への姿勢は変わらない。楽器が持っているもろもろを超え、楽器そのものの音へとむかうまなざしが作品化している。“逢魔時の浪打際へ”と題されたヴィオラ・ダモーレ曲では、独奏曲でありながら、〈弦〉たちのアンサンブル曲としてひびく。重音のグリッサンド、打ちこんでくる低音。聴いている心身は、ヒトの生理としての緊迫を感じている。
2枚目はアンサンブル曲。3奏者のための2曲、独奏と8人、独奏と7人の作品で4曲。音の上下をあまりせず、しないながらも、ひとつひとつの音のありよう、ひとつがべつの音だとの主張をやめない。三味線が洋楽器と組みあわされると、この意味=方向から、浮かびあがるものがある。音の選びから旋法が、旋律が生まれる、それより前にとどまることで、可能になることが。“はすのうてな”のなか、チェロと三味線が交互におなじような音型を奏するところでの、否応なしの楽器そのものの、楽器の歴史の、音(楽)の文化の差異。演奏する/されている空間と時間が、録音をとおして、聴いている環境のなか、たちあらわれ、去ってゆく。
演奏がいい。ヴァイオリンとヴィオラ・ダモーレのマルコ・フージも、淡座の3人、ゲストとして加わっているひとたちも。そして……本條秀慈郎を聴きながらジミー・ペイジをおもいうかべていた……
EVENT INFORMATION
インストア・イベント開催決定!
桑原ゆう、新譜『音の声、声の音』を語り、演奏する!
2025年4月19日(土)タワーレコード渋谷店 8F TOWER CLASSICAL SHIBUYA
開演:16:30
出演:桑原ゆう/淡座
https://towershibuya.jp/2025/02/08/209830