第31回芥川也寸志サントリー作曲賞受賞記念
サントリー芸術財団委嘱作品“葉落月の段”(2023)を語る

 サントリーホール サマーフェスティバルの一環としておこなわれる第33回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会で、ことしは第31回に同賞をうけた桑原ゆうの委嘱作品“葉落月の段”が初演される。オーケストラに尺八と三味線を配する。


 

――桑原さんには、この列島の楽器や声を用いた作品がいくつもあります。そうした音・音楽への関心はいつからでしょう?

「能のワークショップに参加した2007年から、です。そこから、遡っていき、聲明について、また楽器について、考えたりするようになりました。そこから日本を知ることが、じぶんを知ることとつながる、探ってゆくようになった、と言ったらいいでしょうか」

――いま、「じぶんを知ること」と。

「作曲するとは、じぶんを知ることだとおもっています。じぶんが何者か考える作業だ、と。わたしはなぜ日本で生まれたのか、なぜいまこの時代にいるのか。一生答えはでないでしょうが、問い掛けつづけてゆくことがじぶんの作曲だとおもっています。そのために、日本の音楽がどうあるのか、日本の楽器がどうしてこうなったのか。そうしたことが、わたしという存在を教えてくれるんじゃないか」

――それは、おなじサントリーホール サマーフェスティバルで三輪眞弘氏がプロデュースする〈ありえるかもしれない、ガムラン〉のテーマ系ともかさなるところがありそうです。

「そうみたい、です。期せずして今回はつながった……」

――やっていることは違うけれど、ある種のありかたとして、ですね。邦楽器への、作曲家としての関心はどういうところから、と?

「邦楽器を欲したのは、わたしが書きたかった音、の姿、かたちみたいなものが、邦楽器のなかにあったから、です」

――具体的には?

「音を、エネルギーとして書きたい。いわゆる西洋的クラシックのように、ドのつぎはレという、音の高さの関係性で何かをみいだすのではなくて、音そのものをどう書くか、で音楽をつくっていきたい」

――それは……すごく誤解をはらむ言いかたをすれば、最近の邦楽器を用いる作品というより、かつて武満徹が邦楽器に抱いた関心とちかいところがあるような。

「そう、かもしれないです。ただ、わたしは、武満さんはうまく扱えなかったんじゃないかとおもっていて……。作曲としては、です。わたしはそこをやりたい、です」

――武満徹の場合、パイオニアとしての試行錯誤や辛さがあったとおもうし、だからこそそうした作品は多くないし、本人もそのことは意識していた。

「演奏家に多くの部分をまかせる、というところもあります。わたしはそこを一歩進めたい」

――そこに邦楽器のパワーというようなことがでてくる。音のパワーを生かしながら、時間のなかで音楽を生成させなくてはならない。

「西洋楽器で書くときでも、日本の音、みたいな、日本の音・音楽をなりたたせているものみたいなものを西洋楽器のなかにいれこみたい。そういう視点があります。じぶんとしてはどちらの楽器でもおなじことをやっている。邦楽(器)をなりたたせているものと、西洋の作曲のやり方というのが矛盾しているというのは百も承知で、その矛盾しているなかで何かをうみだすというのが創作だとおもっています。邦楽器、邦楽が持っている情報量の多さ、シンプルにみえるけど、それぞれの奏者の工夫によって情報量が多くなる、ひとつの音だけど、たくさんの情報量があるから、それを楽譜に書きとめたい。それがわたしのしごとだし、やりたいことです。わたしの楽譜は情報量が多くて、こういうふうにならしてほしいというのがぜんぶ書いてある。じぶんとしては、全部書いている、書いているつもりです。そういうことをいままでしてきて、それを邦楽器に還元しているつもり、でいます。それを残す。残したい。日本の核みたいなもの、を、です。だけど、時間が経てば経つほど、そういうものは薄れてゆく。それをどうにかつかまえて、じぶんの作品のなかで残せたらいいな、とおもっているのですが」

――尺八と三味線、ということについての発想は。

「先ほど、武満徹のはなしがでましたが、タイトルからもわかるように“ノヴェンバー・ステップス”につながる邦楽のダブル・コンチェルト、尺八と三味線を書きたかった。タイトルも、“ノヴェンバー・ステップス”は11月初演だったから11月の段、わたしの場合は、〈オーガスト・ステップス〉。でもオーガストだと詩的じゃないから(笑)、古来の月のよみ方で葉月、もっと詩的に“葉落月”」

――タイトルも含め、この列島のことばへの造詣や意識が感じられる。一方で、そんなの関係ない、という考え方もある。諸々の古典など、ずっとあるもの、あったものを考える。桑原ゆうはそうしたことに意識的なんだな、と。

「考えなきゃだめ、とおもっています」