
ニック・ベルチュの生態系――
ストラヴィンスキーとフェルドマンの後に。
昨年、スイスの作曲家、ピアニストのニック・ベルチュ(1971年生まれ)が自身のグループの一つ、Roninを率いて来日し、その際に取材する機会を得た。かつては日本に半年間滞在し、数度、コロナ禍以前からバンドで来日し、スティーヴ・ライヒとジェームス・ブラウンのグルーヴを併せ持つと評される彼の音楽は日本でも熱狂的に受け入れられてきた。しかも合気道の有段者で禅を学ぶ、Roninというバンド名が示す通りの親日家でもある。
あらためにこの機に何を質問すべきだろうか。調べてみると「Listening: Music - Movement - Mind」という著書もある。彼が運営する公式HPには、この本の他にもニックのレーベルであるRonin Rhythm Recordsのカタログ、プロジェクトごとのコンセプト・シート、それに彼のModule(彼の作品はすべてモジュールと題され、作曲順に振られたシリアル番号と組み合わせたものがタイトル)と呼ばれる作品のスコア(ピアノ譜/バンド譜)がアップされている。
ニックの音楽は即興を極力廃し、細部まで書き込まれたスコアを忠実に演奏していることは、レコーディングからも明らかで当然スコアを見ればその音楽の全体像がさらに明確になるだろう。“Module 35”をダウンロードしたが、本はこの円安禍ではとても手が出ない。
取材では彼の音楽の特徴である反復、周期性が生み出す独特のグルーヴの秘密を聞き出せればいいと思った。彼の音楽は、一面、単純化すればスティーヴ・ライヒの音楽をバンド・サイズに落とし込んだようなものという印象を与えてきたと思う。同じように複雑な周期性をその音楽の特徴とする、スティーヴ・コールマンのように、即興演奏のプラットフォームとなるリズムの周期的なムーヴメントのレイヤーを固定するコンポジションとは違い、ニックの音楽はソロ/伴奏というような形はない。バンドはスコアを学習し、再現していた。それは正確に、というよりもスコアに血を通わせるといった印象だった。
「反復や周期性のあるリズムに関心を持つようになったのは、ストラヴィンスキーの音楽と出会ってからです。西洋のクラシック音楽はリズム以外の要素にあまりにも執着しすぎました。以来、私はストラヴィンスキーの作品すべてを研究し続けてきました」
スティーヴ・ライヒもストラヴィンスキーの音楽、リズム面での影響を度々口にしてきた一人だ。モジュールについて、それが後期モートン・フェルドマンの音楽からの影響かどうか、フェルドマンのリズムについてはどう思っているだろう。
「実際の作品からは、私の音楽にフェルドマンの影響があるかどうかはなかなか分からないと思いますが、実は彼の音楽や考えに共感し、モジュールを作曲方法ひとつとして使った後期の作品からいろいろ学びました」
モジュールはそれ自体が独立した全体でもあり、他と組み合わせればまた新たな全体を構成する部分となる最小単位でもある。ニックの場合、モジュールはそれぞれ異なるリズムの拍子やサブ・ディヴィジョン、パートごとに異なる周期で反復されるフレーズやハーモニーのシークエンスに与えられ、設計されてきた。
“Module 22”(ピアノ、ベース、パーカッション、ドラム)には、フェルドマンの晩年の作品、弦楽四重奏(1981)と似たモジュールの扱いが見て取れる。フェルドマンは四種類の、1小節で完結するモジュールを縦に同じモジュールが並ばないように各楽器に振り分けて都合、縦横16のモジュールで四重奏のある部分を構成している。同様のことがニックの“Module 22”でも起こる。7/4拍子、2小節で構成される冒頭では、4つの楽器が演奏する大まかには2種類のリズムが、ピアノの右手、左手に1小節ごと交差するように現れる。そして同様のことが他のパートでも起きている。
予め入手した“Module 35”のことを質問した。どうしてバス・ドラムだけ、他のパートより少し遅れて始めるのだろう。遅れて開始されるバスドラの周期はその後も維持される。「非常に重要なポイントです。大半の音楽ではアンサンブルは必ず一拍目、あるいは最初の音を同時に演奏するように設計されています。私はこのことが常に疑問でした。だからグルーヴの起点を一箇所に集中させないようアンサンブル内に分散させることを思いついたのです。しかしこれは私の音楽だけに起きているわけではありません。たとえばサルサのベースも同様にフレーズの初めに休符を置いて、他のパートとずれて演奏します」。起点をずらし、それぞれの周期を維持するパートが複数存在することで発生するポリリズム。それはアフリカの民族音楽が複雑に聞こえる原因のひとつだ。
長さや周期の異なるリズム・パターンを固定し反復させるポリリズム以外にも、ニックには、初期ライヒのフェイズ・シフトの効果による作品のような、単純なパターンを繰り返し、加速させて複雑な音響効果を狙ったピアノ曲がある(『Entendre』収録、“Module 5”)。それは彼が愛聴し、影響を公言するもう一人の作曲家、ジョルジュ・リゲティの“コンティヌアム(=連続体)”のようだ。この作品はチェンバロを使ってモワレ現象を起こす。ニックは複雑であることと、複雑化することは違うと前出の著書で書き、複雑であることを書法の目的とした現代音楽に背を向けたミニマリストの一人だと表明する。それはジャズに対しても同様なのだろう。演奏されるべきノートを固定し、即興によって音楽が量的に膨らむことを回避する。
フェルドマンはモジューリーに作曲すると書き、ニックは「モジュールは(合気道の)型のように使うことができる。それはそれぞれにテーマを持つシークエンス。たとえば5拍と7拍におけるパターン変化のサイクルというように」と語る。フェルドマンは中東の織物の幾何的な模様に音を聴き、ニックは相手と気を合わせて修練する合気道の型に聴く。前者は静態に閉じた対称と非対称を愛で、後者は動態の中で感じられる運動のそれを慈しむ。
著書を紐解けば、ニックにとって音楽はムーヴメントの芸術であり、武術も同様だという。身体で音を識り、耳で運動を察知する。彼の合気道の師は常に「相手に耳を傾けなさい」と指導するという。2人1組となって修練される型において師は、相手に耳を傾けることを重視する。これはバンドで自身の音楽を実現しようとするニックにとって非常に重要な教えとなる。音の動きを固定したスコアをバンドで演奏するとき、ノートがサウンドとなり表現と成るためのプロセスを有効化させる最初の動作が、互いの音に耳を傾けることだと、著書の中で彼は繰り返し説く。彼にとってバンドは、彼の音楽がブリッジして互いの音楽に対する信頼が交換されるコミュニティーのようだ。彼の音楽はメンバーの即興を許さないほど厳格なものではないという。しかし彼の語る即興は想定外の変化を、定められた所作に回収するための創意だろう。著書では、即興は自然な行為と同じことだという。そのために彼とバンドはスコアが示す運動に日々執拗に向き合う。
ニックは数名の有志たちとExileというクラブをオープンし、毎週月曜日、バンドはモジュールを演奏する。彼と彼のバンドは100%、モジューリーな日々を積み重ねる。毎週月曜日、クラブを一般に開放し、誰でも参加できるワークショップを主催している。それは彼の音楽が循環させ始めた生態系を閉塞させないための、上手い交換の仕組みのように思える。
ニック・ベルチュ(Nik Bärtsch)
1971年生まれ。スイスを拠点に活動するピアニスト、作曲家、武術家。バンド、RoninとMobileを率いる他、ソロでの演奏活動を国内外で続ける。自身が主催するレーベル、Ronin Rhytm RecordsやECMから多数アルバムをリリースし、Moduleと名付けた作品のシリーズを発表し続ける。自著「Listening: Music - Movement - Mind」では、彼の活動領域すべてを貫く哲学が語られる。
寄稿者プロフィール
高見一樹(たかみ・かずき)
翻訳を仕事にしようと勉強中。まったくの私用で数冊、本を日本語に落とす。今は、ジョージ・E・ルイスのAACMの歴史にかんする大著、ニック・ベルチュの本を精読、並行してこちらも日本語に落とす。何かありましたらぜひ!