人間味あふれていた映画への、そしてオーケストラ音楽へのオマージュ

 1曲のなか、ふと、突発的な事件が、心変わりが起こる。いろいろな要素がはいっては、また、消える。ひとつの楽器がソロをとりながら、すぐべつの楽器にわたされ。弦楽器に重心があるものの、かさねられた管楽器のひびきは随所にメインとはべつの、副次的なエピソードを加え。ゆったりしたメロディとともにコミカルだったりせかせかしていたりする音型。コーラングレの対旋律。バスーンやバスクラリネットのうごき。滅多にでてこないぶん、的確な効果となる金属系の打楽器。

日向敏文 『The Dark Night Rhapsodies』 ALFA MUSIC/Sony Music Direct(2025)

 はじめて耳にしたとき、まだみたことがない、これからもみることがない映画、架空の映画を喚起する、そうおもったし、いまもおもってはいる。それでも、だ、何回も聴くうちにすこし変わってきた。これはオペラなんじゃないか。声のないオペラ。いや、さらにはオーケストラ(なるもの)へのオマージュ、オーケストラという演奏家が集まった媒体で音楽をつくるというだけでなく、いまもつくられつづけているけれど、前世紀のはじめに大衆的な人気からはなれてしまったオペラへの、さらには多くの人びとが館に足をはこび画面に目をむけた数十年前までの、いってみれば〈人間味あふれ〉ていた映画への、オマージュ――なんじゃないか。

 楽器を演奏するひとのからだや姿勢、うごきを想像して『The Dark Night Rhapsodies』のスコアを書いていく日向敏文。わたしはといえば、音楽をとおして作曲家が書きつけてゆく心身の状態を想像する。大人数が一か所に集まって一緒に音をだし楽曲をつくってゆくそのさま、そうしたことを何百年もやってきたオーケストラ音楽への敬意。

 1980年代の 「サラの犯罪」「夏の猫」「ISIS」から、「東京ラブストーリー」「愛という名のもとに」といった90年代TVドラマで多忙を極めた日向敏文。その音楽は、四半世紀を経て、音楽がもたらすもろもろの情動と、音楽が喚起する豊穣なイメージとストーリー(とヒストリー)にあらたに正面からむかい、この列島の、いやこの世界の自家中毒的なすくなからぬ音楽(たち)に批評的な位置から、ひびいてくる。