フルオーケストラ・アルバム『The Dark Night Rhapsodies』制作背景を語る
1986年に発表した楽曲“Reflections”が全世界でストリーミング再生1億3,000万回を記録したことでふたたび注目を集めている作曲家、日向敏文。2022年に13年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Angels in Dystopia Nocturnes & Preludes』をリリースし、現代社会というディストピアを生きる若者たちに美しいメロディを届けた日向が、このたびフルオーケストラ・アルバム『The Dark Night Rhapsodies』を発表。トラックダウンを担当した名匠オノセイゲンとともに、その制作背景を語ってもらった。
――今作はご自身がピアノを弾かず、はじめて作曲に徹したアルバムとのことですが、モノクロームの世界にひとすじの光が差すような前作から一転して、カラフルで甘やかなサウンドが広がります。
日向敏文「前作と作曲のプロセスもアルバム全体のコンセプトも根本的には変わらないのですが、今作はフルオーケストラということで、やはり具現化のされ方が変わりますよね。今年の2月にブダペストに行って、ブダペスト・スコアリング・オーケストラとレコーディングしてきたのですが、これが素晴らしい体験でした」
オノセイゲン「最初にレコーディングの編成表を図面で見せてもらったとき、〈おお、これは絵に描いたような1960~70年代の映画音楽の録り方だな〉と思ってワクワクしました。というのも、ブダペストのロッテンビラー・スタジオのような大きなスタジオでオーケストラを録るということは、今の日本ではほとんどできなくなっているんです。楽器のセクションごとに別々に録るのが今の主流で、クラシックのコンサートホールでのライヴ録音でもない限り、すべてを同時に録ることは滅多にありません」

――ブダペストでの2日間のレコーディングはいかがでしたか?
日向「ブダペスト・スコアリング・オーケストラはハリウッドの大作映画やNetflixのドラマの音楽などを数多く録音しているだけあって、プロフェッショナルな仕事ぶりでしたね。スタジオ自体は共産主義時代の古い建物なのですが、中に入っている機材は最新で、オーケストラのメンバーの労働時間は分単位で厳密に管理されています。普段はハンガリー国立フィルや歌劇場で弾いている一流の奏者たちですから、決められた時間内で確実にベストな演奏をするという姿勢が徹底されていて」
オノ「東欧のオーケストラのレコーディング環境は、この20年ほどの間に大きく進歩しました。今では世界のどこよりもクオリティの高い録音ができると言ってもいいほど」
日向「かと言って決して機械的ではなく、音楽に対する接し方や意気込みがとても気持ちがいいんです。指揮者のゾルターン・パドさんは1回セッションが終わると〈この方向性でいい?〉と確認してくれて、僕の意見を聞いて2回目を演奏すると劇的に変わるんです。難しいパッセージを弾きこなしたメンバーに、隣のメンバーがハイタッチしたり。みんな人間味があって、へんな緊張感のない、とても安心できるレコーディングでした」
オノ「たまにスラブっぽい歌い回しが出てきたりするのも個人的には嬉しかったです。ベルリンやロンドン、ましてや東京のオーケストラではこういう風にはならないだろうと」
――音響ハウスでのトラックダウンは、どのようなことをされたのでしょう?
オノ「先ほど1960~70年代の録り方と言いましたが、今や東欧も南米でも最新鋭の機材です。今回はストリングスのスポットマイクだけでも19本、全62本ものマイクによるマルチトラック録音ですから、ひとつの楽器の音だけをピックアップして上げたり下げたり、実際の演奏にはなかったコントラストをつけたり、あらゆることができるわけです。僕の仕事におけるゴールは作曲家の描く音色と演奏を具現化することです。作曲家である日向さんが思いつくことはどんなことでも、〈ここは1拍足そう〉とか〈アクセントのタイミングを変えてみよう〉とか。無限にクリエイティヴなアイデアが出てきて、結局、3日で終わる予定が11日もかかってしまいました。今ここに生きている作曲家と作業できるのが、200年前のクラシックとは違うところです」

――オペラの序曲のような“Dark Night Overture”、その本編とも言える“Dark Night Rhapsody”をはじめ、今作はクラシックの要素がよりはっきりと感じられます。
日向「“Dark Night Rhapsody”は3つの曲に分かれていますが、もとは3曲で18分ほどあったのを半分の長さにしたので、凝縮されていると思います。何度も訪れたことのあるヴェネツィアをイメージして書きました。ヴィヴァルディの音楽が、あの場所で生まれたのがわかるような気がして。それでいてアジアの匂いもあるじゃないですか。教会の音楽からはじまって、バロック、ロマン派、そしてモダンへと連なる音楽の流れを感じさせる場所です」
――この曲に限らず、アルバム収録曲がどれもコンパクトな長さであることも特徴的です。
日向「自分が言いたいことは3分以内ぐらいがちょうどいいという考えなのでね。4楽章もあるような形式の音楽を、今の時代に作る意味を僕は感じないんです。実際は3分で済む音楽を、無理矢理モチーフを展開して15分に引き延ばすとか、そういう形式にとらわれた音楽はもういいのではと。だからこそ、メロディには徹底してこだわりたいと思っています。ありとあらゆるメロディが出尽くした今、メロディを書くのは本当に大変ですけれど」
――最後に、このアルバムをどんな人に届けたいですか?
オノ「日向さんファンはもちろん、配信全盛の今、若い人はサブスクをヘッドホンでしか聞いたことないようです。音色に感受性の高い方には、語るにはめんどうな世界(笑)なんですけど今回はオーディオマニアのためにもSACD Hybrid盤です! DSD音源のほかに、アナログLPの元となるラッカー盤の音まで聴けます(17-32トラック)SACD層(=DSDというフォーマット)はどんな音でも記録・再生できるのです」
日向「配信時代だからこそ、僕の書くような音楽も聴いてもらえるチャンスがあると思っていて。世界のあちこちから、僕の音楽を聴いたとInstagramにメッセージをもらうのですが、みんな気持ちの平均値が暗いんですよ。そんな人たちに向けて、シビアな中にも希望を、明るい中にもシビアなものを感じられる音楽を届けられたらと思います」

日向敏文(Toshifumi Hinata)
1985年、アルバム『サラの犯罪』でアルファ・レコードからデビュー。クラシックをベースとした、インストゥルメンタル・ミュージックを代表する作曲家。特にテレビドラマ「東京ラブストーリー」、「愛という名のもとに」、「ひとつ屋根の下」のサントラを手掛けたことで広く知られ、1997年、Le Coupleに提供した“ひだまりの詩”は大ヒットを記録した。1986年に発表したアルバム『ひとつぶの海(REALITY IN LOVE)』に収録された”Reflections”及びアルバムは配信でそれぞれ1億3,000万回、1億7,000万回を超えるインストとしては異例のヒットとなっている。
オノセイゲン(Ono Seigen)
今作のミックスとマスタリングを担当。ジョン・ゾーン、マーク・リボウ、アート・リンゼイ、マイルス・デイヴィス、キング・クリムゾン、デイヴィッド・シルヴィアン、マンハッタン・トランスファー、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、渡辺貞夫、 加藤和彦、三宅純、坂本龍一、青葉市子、ヒカシューなど多数のアーティストのプロジェクトに参加。96年、〈サイデラ・マスタリング〉を開設。映画のBlu-ray化のための音声トラックのマスタリングや、商業空間やクラブの音響調整、コンサルティングなども手がける。
EVENT INFORMATION
Toshifumi Hinata「the Dark Night Rhapsodies」発売記念 Talk &Listening Session
2025年6月26日(木) 東京・晴れたら空に豆まいて
開場/開演:18:30/19:15
■出演
日向敏文/松山晋也/オノセイゲン
〈SACDの復権〉イベント、Vol. 3の開催が決定!!
作曲家・日向敏文氏による初のSACD作品 『The Dark Night Rhapsodies』をフィーチャー。作品の圧倒的な魅力を、最高級SACDプレーヤー〈エソテリック K-05XD〉にて全16曲をじっくりとご試聴いただけます。
加えて、本作のミキシングおよびマスタリングを手掛けたオノ セイゲン氏が、音響ハウスでSSLコンソールによりトラックダウンしたTASCAM DA-3000SDミックスマスター (5.6MHz DSD)や、アナログレコードの元になるラッカー盤も当日、視聴しながら解説します。