ファンとの交流から生まれた13年ぶりのオリジナル・アルバム

 アルバム冒頭を支配する、まるで灰色の雲が低く迫ってくるような、行き場のない閉塞感。この退廃的な美しさこそが日向敏文の真骨頂だと歓喜する往年のファンもいれば、初めて彼の音楽に触れるリスナーは、その張り詰めた空気に現代の世界を覆う不穏な空気を感じ取るかもしれない。

 〈ポストクラシカル〉という概念が浸透する前からその分野の旗手としてファンを魅了し、「東京ラブストーリー」をはじめとするドラマのサントラや、近年ではドキュメンタリー番組の音楽でも活躍する日向敏文。13年ぶりにオリジナル・アルバムを制作することになった原動力は、国境や世代を超えたファンとの出会いにあったという。

「1年半ほど前に始めたInstagramで、ファンの方たちと直接交流できるようになりました。1980年代に作った“Reflections”がストリーミングを中心に人気だというのは知っていたのですが、彼らはどのような気持ちで聴いてくれているのか。それを知る機会につながりました」

 世界中の若者たちからSNSを通じて日向に寄せられるメッセージに、思い切って返事をしてみることで、彼らは皆、何かしら大きな悩みを抱えていていることや、“Reflections”をはじめとする日向の楽曲を聴くことが彼らの癒しになっていることがわかったのだという。

 「自らのアイデンティティに関することとか、国の体制であるとか、彼らの悩みはそれぞれですが、共通しているのは私の音楽が救いになっていること。〈どうしたらミスター・ヒナタのような曲が書けるのか?〉とか〈次はどのような音楽を?〉みたいな質問もたくさんいただきました。私もちょうど“Reflections”のソロ・ピアノ・バージョンを作る話が進んでいたので、〈だったらアルバムを1枚作ろう〉と決意したのです」

日向敏文 『Angels in Dystopia Nocturnes & Preludes』 アルファ/ソニー(2022)

 『Angels in Dystopia(未来の見えない世界に差し込む希望)』と名付けられたタイトルは、まさに彼らのためのもの。制作中にはロシアによるウクライナ侵攻も始まり、楽曲により強い陰影をつけることとなった。

 「アルバムの曲順は、ほぼ作った順番と同じです。ですから、前半では本作を作るきっかけとなった彼らの想いに応えようという気持ちが色濃く出ていると思います。そして、一曲を完成させて、次はどのような流れにしようかと考えながら次の曲を書いていくうちに、徐々にリラックスした雰囲気も出せるようになりました」

 この言葉の通り、聴き進むにつれて、肩の力を抜いて楽しめる楽曲が多くなるのも本作の魅力。それを象徴するような一曲が、パリの伝説的な書店、“Shakespeare & Company”をイメージしながら1920年代のパリへの憧憬を込めた“Sylvia and Company”だ。

 「私が敬愛してやまないラヴェルをはじめ、プーランク、プロコフィエフ、マン・レイやヘミングウェイ、コール・ポーター、そしてフジタ……。私の好きな芸術家はみんな当時のパリに住んでいました。もしタイムマシンがあったら、そんな場所に行ってみたいですよね」

 まるでウディ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」を彷彿させる話だが、「実は、こんなことがあったんですよ」と彼は目を輝かせた。

 「もちろん『ミッドナイト・イン・パリ』は大好きで、数年前にニューヨークに行った時も、機内プログラムに入っていたので、フライト中に楽しみました。そして現地のホテルに着いたら、なんと主演のオーウェン・ウィルソンと遭遇したんですよ! まるで映画顔負けの展開ですよね(笑)」

 ピアノによる小品集という意味で〈Nocturnes & Preludes〉というサブタイトルが名付けられた本作だが、盟友・中西俊博(ヴァイオリン)と、グレイ理沙(チェロ)も要所で参加。日向の音世界にさらなる深みを与えているのも聴きどころだ。

 


日向敏文(Toshifumi Hinata)
1985年、アルバム『サラの犯罪』でアルファ・レコードからデビュー。クラシックをベースとした、インストゥルメンタル・ミュージックを代表する作曲家。特にテレビドラマ「東京ラブストーリー」、「愛という名のもとに」、「ひとつ屋根の下」のサントラを手掛けたことで広く知られ、1997年、Le Coupleに提供した“ひだまりの詩”は180万枚の大ヒットを記録した。現在もドキュメンタリー番組の音楽を多数担当している。

 


RELEASE INFORMATION
アメリカのクラシックレーベル〈Sony Masterworks〉からリリース決定!
https://www.sonymusicmasterworks.com/