即興的に生まれたPGFのサウンド
――『MELTING MOMENT』では、アンビエントテクノ、トリップホップ、フレンチポップスなど、多彩な要素が融合されています。1992年当時としては先鋭的とも言えるこのサウンドは、どんな音楽的背景や影響のもとに生まれたのでしょうか? ロンドンなど海外でのクラブ体験や、ご自身のDJ活動が影響している面があれば、ぜひお聞かせください。
「アコースティックな音楽が好きだったのにもかかわらず、1989年に行ったロンドンのクラブ数カ所で、リル・ルイスの“French Kiss”を聴いて、もうめちゃくちゃハウスミュージックに傾倒してしまいました。元々高校の頃、キャバレー・ヴォルテールも好きだったので、その進化系かしら?とも思いました。
帰国して、日本でラウンジDJを始めてから、どんどんDJやレコード店勤務の友人が増え、そんな中、彼らの中にはプロのミュージシャンよりも音楽を愛してる人が多いなぁと実感しました。その中の1人が、BABY TOKIOだったりするわけです。特に私よりも上の世代のミュージシャンって、あまり新しい音楽を聴いていない方が多い気がして、DJやレコードショップで働く人達は常に最新の音に敏感なので話が合いました」
――『MELTING MOMENT』の制作には、ハウスプロデューサーの藤田哲司さんやテクノ系プロデューサーのBABY TOKIOさん、ヴァイオリニストの斎藤ネコさん、Phewのメンバーである大津真(Makoto Otsu)さんなど、多彩なミュージシャンが参加しています。こうしたコラボレーションはどのように実現したのでしょうか。それぞれのメンバーが作品にもたらした刺激や影響、また一緒に制作した中で印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
「斎藤ネコとは、ビクターのデビュー前に契約していたポリドールのA&Rに紹介され知り合いました。ネコは当時の私のアコースティックな作品に興味を持ってくださり、デモテープをたくさん作ってくれたり、日芸(日本大学芸術学部)の文化祭に出演した際のライブプロデュースも手がけてくれたりしました。
大津真さんはネコの学生時代からの友人で、彼らは当時Sunset Kidsというバンドを演っていて、そのバンドが前衛的でおもしろかったので、ファンになりました。彼のギターはユニークで特別です。
藤田哲司さんは、六本木パラディッソのDJ仲間でした。彼もハウスやアンビエントを得意としていたクリエイターなので参加をお願いしました。私は有名なプロのミュージシャンに依頼するよりも、できるだけ身内にお仕事を廻したいというエゴがあります。
そしてDJ BABY TOKIOは、舌足らずな私とマニピュレーターを繋ぐキーパーソンとして、“FACT 2”と“THE FUTURE IS NOW”の陰のプロデューサー的な役割を果たしてくれました」
――打ち込みビートと生楽器の融合が印象的ですが、制作時に特に苦労したことや工夫した点はありますか? 例えば“FACT 2”では、電話の受話器を使ったライブパフォーマンスもあったそうですが、当時の実験的なアプローチについても教えてください。
「実際、スタジオでもトランシーバーを使って一部の声を録音したので、ライブでもトランシーバーを使ってみました。携帯電話のない時代でしたので。
最初のデモの段階ではAメロもあったのですが、どんどん私がクラブミュージックにいれ込んでいくうちに、〈前半のパート、歌なしでもいいのでは〉と思い始めました。最終的にあの曲のオリジナリティは、スタジオで即興的に弾いて貰った大津真氏のギターが決め手になっています。
そのレコーディング現場を目撃した、NOBBY STYLE(宇野正展)が当時のライナーノーツで〈『明日何が起こるか、今日のうちにわかってしまったら、明日まで生きている楽しみが半減してしまうから。』もしNORIKOに何が起こるか、わかってしまったら、彼女にとっての偶然の瞬間を記録したポイズン・ガールフレンドのたのしみさえも、半減させてしまうだろう〉と書いていますが、PGFのサウンドは綿密に構築されたというよりも、常に即興的です。基本的に、ミックスダウン時にどの音を入れ、どの音を削るか判断します。私もあまり何度も歌わないです」