
バーに偶然現れた桑田佳祐の前で歌ったエディ・コクラン
――桑田さんとの出会いも、バーで流しとして演奏している時だったんですよね。
「そうです。2017年に都内のバーで初めてお会いしました。僕が流しをやっていたバーの常連の方が、桑田さんをそのバーに連れてきてくださったんですよ。僕の歌を聴かせるのが目的ではなくて、たまたまだったんですが、桑田さんがリラックスされたタイミングで、その方が〈ギターを弾いちゃえ〉と目で合図してきた気がしたので、空気を読まずに〈失礼します!〉と一言挨拶して、ジャカジャーンとギターを弾き、エディ・コクランの“Twenty Flight Rock”を演奏しました。この曲を演奏したのは、自分の緊張をほぐすのに最適な曲だったから。幸い、桑田さんが気に入ってくださって、お話しする機会もあり、音楽に対する姿勢とか、いろいろとアドバイスしていただいたりしました。
その後、コロナ禍で4年、お会いしない時期があったのですが、昨年、久しぶりにお会いして、“深川のアッコちゃん”を披露したら、〈いいじゃないか〉と言っていただき、今回の流れに繋がりました」
――“深川のアッコちゃん”はいつぐらいに、どんなきっかけから生まれた曲なのですか?
「作ったのは2年ほど前ですが、歌の中に盛り込んだ体験は20代の頃のものです。隅田川沿いに住んでいた頃の景色を描いています」
――〈河津桜静かに咲いていた/僕だけの道を覆っていた〉というフレーズ、素晴らしい表現ですね。
「桑田さんもその部分を〈小説みたいだね〉と褒めてくださいました。実際にある景色で、隅田川から清澄白河を脇に入っていく小名木川という小さい川沿いで、松尾芭蕉さんの銅像があるところなんです。あのあたりはとくに2月ぐらいの寒い時期がいい。門前仲町で飲んで家に帰る途中に見たあの川沿いの景色が忘れられなくて歌にしました。
加えて、門前仲町の居酒屋さんが着想のヒントになりました。地元の女性が5、6人でやっている居酒屋で、みなさん、50~60代なんですが、綺麗な方ばかりで。そのマドンナたちに憧れていた幼なじみのおじさんたちがカウンターで嬉しそうに飲んでいる店なんです。幼なじみのマドンナは永遠なんだなと再確認しました。あの界隈には下町の人情味みたいなものがあって、都会の寂しさを忘れさせてくれる町だなと感じたことも、歌詞やメロディに反映させました」
――“深川のアッコちゃん”はどうして〈アッコちゃん〉なんですか?
「メロディを決めた時に、〈深川のなんとかちゃん〉にしようと思いました。地名プラス人名は桑田さんの影響です。“東京サリーちゃん”みたいなイメージ。それでいろいろと名前を当てはめて歌ってみてベストだったのが〈アッコちゃん〉でした。
この〈アッ〉のところは、“涙のキッス”の〈今すぐ逢って〉の〈逢っ〉の影響です。この曲が大好きで、〈逢っ〉と区切る感じも好きで、〈アッコちゃん〉になりました。
歌の世界観では“ラチエン通りのシスター”や“素敵なバーディー(NO NO BIRDY)”に影響を受けているところもあります。桑田さんの作品がなければ、生まれていない曲であるのは間違いないですね」
桑田佳祐のアドバイスで発展した歌詞世界
――桑田さんの作品に影響を受けて作った曲を、桑田さんがプロデュースするのは必然的な縁なのかもしれないですね。桑田さんが補作詞と補作曲ということで、参加されています。
「元の曲から結構変わっています。例えば、〈深川のアッコちゃんに惚れていたよ〉の元の歌詞は〈深川のアッコちゃんにだけ〉というフレーズで、尺が少し短いものでした。短かった理由は、他に思いつかなかったから。自分としても悶々とする部分があったのですが、そのままソロの2ndアルバム(『Traveling Man』)に収録しました。今回、桑田さんがプロデュースしてくださるにあたって、〈ここはもっと長いほうがいいんじゃないの〉とのご指摘があり、この形になりました」
――元の歌詞と比較すると、歌の世界観がより明確になり、伝わりやすくなっていますよね。
「そうなんですよ。起承転結がドーンとできたと思いました。〈夜明けを待てば 紫の空に〉のところも桑田さんにお手伝いしていただきました。桑田さんと片山敦夫さんが一緒に作業されていて、いろんな音を入れて、紫の空に桜が広がっている情景を音で表現されていることに衝撃を受けました。映画監督になりたかった僕としては、超弩級のクライマックスを作ってくださったことに感動しました。和音階の効果音や桑田さんのギターが入ることで、落ちサビがどこまでもエモーショナルになりました」