©Sarah Eiseman

創造性に彩られたキャリアの持ち主は、経験や成長を積み重ねてなお愛のために彷徨う――落ち着くことのない己の探求心に立ち返った原点回帰のニュー・アルバム!

 オーストラリア出身のシンガーソングライターであるチェット・フェイカーことニック・マーフィーは、多面的なアーティストだ。2014年のファースト・アルバム『Built On Glass』は初期のザ・ウィークエンドやフランク・オーシャンに通じるアンビエントR&B要素を醸す一方、本名のニック・マーフィー名義で発表した2019年のアルバム『Run Fast Sleep Naked』ではオーケストラを従えたフォーキーなサウンドを響かせた。

 フォーキーな側面は、2021年にニック・マーフィー・アンド・ザ・プログラムというバンド形式で発表した『Take In The Roses』でも顕著だった。フォークに加え、カントリーやロックのスパイスも目立つサウンドはアメリカーナを思わせる。米国のルーツ・ミュージックという要素に、ほのかなサイケデリアをまぶした曲群はマーフィーの新たな表情で満たされている。

 そんなマーフィーがチェット・フェイカーの看板を掲げ、リリースした最新作が『A Love For Strangers』だ。チェット・フェイカーとしては3枚目のフル・アルバムとなる本作は、この名義で音楽を作りはじめた頃の姿に立ち返った原点回帰の作品である。マーフィーいわく、『Built On Glass』で成功を収めて以降に見舞われた戸惑いや成長が反映されているという。

 「僕はとても早い段階で大きな成功を手にして、そこから自分の音楽の何が人々に愛されたのかわからなくなる時期があった。同時に、聴き手が好きだと思ってくれるものを届けたいという気持ちもあった。でも、抱えられる皿には限界がある。この数年間で、僕は原点へと戻ることができた。そこには、これまでの経験や成長、成熟がすべて積み重なっている」。

CHET FAKER 『A Love For Strangers』 Detail/BMG(2026)

 そうした現在地を反映したサウンドは、レイヴ、ジャングル、ビッグ・ビートといった80年代末〜90年代のダンス・ミュージックが随所に散りばめられている。陽気なピアノ・リフとブレイクビーツにマーフィーのメロディアスな歌声が乗る“This Time For Real”はファットボーイ・スリムを想起させ、“Far Side Of The Moon”のビートはもろにジャングルだ。このような曲が揃ったのは、マーフィーが子どもだった頃に周囲で鳴っていた音楽が深く関係しているようだ。

 「僕の子ども時代へのオマージュだ。プレイステーションのゲームで聴いたジャングルのブレイクビーツや、映画で耳にしたビッグ・ビート的なレイヴ・サウンド。ピアノを多用した、とてもクリアなプロダクションの2000年代前半のポップ、そこにまだ残っていたポスト・グランジの音。それらすべてが当時の僕に届いてきた、その体験を再現したかった」。

 歌詞の面でも自身の想い出をモチーフにしたものが多い。なかでも“This Time For Real”は、〈アーティストとして成功した自分への期待〉をテーマにしており、自己言及の側面が濃い。〈これは現実なんだろうか〉という一節など、環境の変化に対する驚きと困惑が滲んでいる。

 これまで以上にみずからの経験を多分に反映させた本作は、成功後の逡巡や挑戦を経て、進むべき道を見つけるまでの思考が描かれたセラピー的なアルバムだ。ゆえにサウンドも歌詞も幾多の情動を纏い、不安や虚無が時折顔を覗かせながらも、〈やっとわかったんだ 何も間違ってなどいないし 何もかも正しいんだって〉と歌われるラストの“Just My Hallelujah”で、マーフィーは安定した心持ちを見つける。

 周囲と自身の本音がすれ違い続けたニック・マーフィーが、ようやく周囲との適切な繋がり方や自分の立ち位置を確立する壮大な人間ドラマ。それが『A Love For Strangers』という作品だ。

左から、チェット・フェイカーの2012年のEP『Thinking In Textures』(Opulent)、同2014年作『Built On Glass』、ニック・マーフィーの2017年のEP『Missing Link』(共にFuture Classic)、ニック・マーフィーが客演したボノボの2017年作『Migration』(Ninja Tune)、ニック・マーフィーの2019年作『Run Fast Sleep Naked』(Future Classic)、チェット・フェイカーの2021年作『Hotel Surrender』、ニック・マーフィー・アンド・ザ・プログラムの2021年作『Take In The Roses』(共にDetail/BMG)