©Warner Classics/Erato

ルイ・クープランと仲間たちと、そこに生きているだけで

 音楽はなにかを語る以前に歌い、語り得ないものへと向かう。ほんとうは言葉もそうだろう。

 “ゴルトベルク変奏曲”のブックレットにただ一言、〈silence〉と記したジャン・ロンドーである。しかし、ただの余白ではなく、書かれる以上のことを示唆していたのだ。「これほど書くのが楽なライナーはなかった」と微笑みつつも。

 J. S. バッハからさらに半世紀ほど時代を遡ろう。今年で生誕から400年ほどがめぐったルイ・クープランの話だ。「私にとってはきっかけの作曲家でもある。彼の曲に触れたから、自分もクラヴサンを始めて、音楽をやりたいと思った。僕のなかにつねにルイ・クープランがいた」とロンドーは言う。「彼の奥深い宇宙に惹き込まれてきたが、この大きなプロジェクトを進めるなかで、自分の愛のもつ意味がはっきりしてきたと思う」。

JEAN RONDEAU 『ルイ・クープラン作品全集』 Erato(2025)

 17世紀中葉にフランス鍵盤音楽を拓いた偉才の、30数年の生涯で遺された現存する全曲を網羅し、師弟や同時代の作品も多彩に織りなす。5台の復元チェンバロと2台の歴史的オルガンを弾き分けてのロンドーの独奏が大半だが、フィリップ・ピエルロ、リュシル・ブーランジェ、リュシル・リシャルド、アナイス・ベルトランをはじめとする同志たちを交えた一大プロジェクトとなっている。光の当てかたがさまざまに変わると、響きの生命も陰翳も変わってくる。

 「まずは聴いてくださってありがとう。多くの曲を聴いてもらい、作品の生命や喜びをともに生きて分かち合うことで、はじめてこのプロジェクトは完成するのだから。ルイ・クープランの音楽はひとつのグラン・ロマン、大きな物語をなすものとも言えるけれど、膨大な曲をどのように構成すればよいものか。当初は一枚のディスクをトリビュートとして創ろうと考えていたが、弾いてみるとどの曲も素晴らしくて。ヒエラルキーやストーリーをこじつけることはできないし、結局は選びたくないから、すべてを経験することにした。そうなると、クラヴサンでは止まらずオルガンのレパートリー、そして室内楽、さらには師弟や影響を与え合った作曲家たちの作品までも冒険していくことになった。僕は限定的なことはしたくない性質だから、個人全集というスタンダードな型には嵌まりたくないし、ひとりの作曲家を神格化するようなことはしたくない。最終的にはフレスコ画を創り上げる仕事にも近かった。もちろんルイ・クープランはあの時代最高の作曲家だと思うけれど、彼だけではなく、なにか新しいものが生まれようとしている時代だったのだ、とより濃密に感じられるようになった。好きなスタイルで聴けるのがレコーディングの良さだから、この自由なフィールドから、いろいろなものを掘り起こして、それぞれに愉しんでもらえたらうれしい」。

 6歳か7歳のときクープランのプレリュードに触れたのがきっかけだとして、以来どのようにして音楽家として歩む心が決まってきたのだろう? 「演奏活動も若くして始めたし、節目があったということでもない。プロになろうとか、ちゃんと弾けるようになろうとか思ったことはない。逆に、いつやめようとか、いつまで弾くかということは思うけれど……」。え、どうしてです? 「物事には終わりがあるのが美しいと思うし。自分の人生が音楽と切り離せないのは自明だけれど、自分と音楽の関係性を汚さず、まじり気のない純度のままに保っていくためには、音楽に依存しすぎないことも大切だと思う。こうあるべきみたいなことを言うことで、愛を壊してしまうのはありがちだから」。2020年にサバティカルをとったし、27年も演奏活動を休むと彼は言う。「自分がほんとうに好きなことをしているか、不条理なことに嵌らず、率直なアプローチができているか。自分がやっていることの意味はなにか。つねに自問している。いずれにせよ、僕は音楽によって人生に活力を得ているけれど、どうしなくてはならないとか、好きにならなくていけないとか、そういうふうには思わない。音楽は、あるいは自分が演奏するものは、ただそこにあるだけでいい」。

 


ジャン・ロンドー(Jean Rondeau)
パリ生まれのチェンバロ奏者。ブランディーヌ・ヴェルレのもとで10年以上にわたってチェンバロを学び、21歳という若さでブルージュ国際古楽コンクールのチェンバロ部門で1位を獲得。バロック、クラシック、ジャズなど多ジャンルにも情熱を向け、哲学、心理学、教授法の要素を少しずつ織り交ぜるなど、多様な文化や芸術形態、専門分野の間にある音楽的な関係性を常に追求している。