ビョークやデヴィッド・バーンらへのインタヴューを交え、60年に及ぶ活動の軌跡を描き出すドキュメンタリー
やあ、ずいぶん会ってないけれど、元気にやってるかな。
実はあるところからメレディス・モンクのドキュメンタリー映画についての原稿を頼まれてね。そしたらなんとなくきみのことを思い出しちゃったんで、手紙を書いてみることにしたんだ。
編集部からメールをもらったときはちょっと驚いたよ、しばらくモンクが何をやっているか追っかけてなかったから。でも、名前を見たとたん、「!」と膝を叩いたね、「それだよ、いま日本に足りてないものは!」。
というか、メレディス・モンクって知ってたかな。コンテンポラリー・ダンスの話はよくしてたけど、あんまりモンクの話はしなかった気がする……。知らないと話が進まないのでさらっとお伝えしとくと、1942年生まれ、ニューヨーク出身の……ごめん、さっそく壁にぶつかった。この人ほどひとことでいいにくい人もいないんだな。作曲家、パフォーマー、ヴォーカリスト、演出家、振付家、映画作家……ジャンルを超えた活動を60年代から続けてきた人。だからといって、いわゆる「なんでもできる人」ともちょっと違う(だが、そこがいい)。今聴いても『ドルメン・ミュージック』や『ブック・オブ・デイズ』なんかは名盤だと思うなあ。
日本では「パフォーマンス」がはやった80年代あたまに知られるようになったんじゃないかな。ステージで歌ったり、踊ったり、芝居っぽいことをしてみたり、でもわかりやすい筋はない、というモンクの作品は、まさにパフォーマンスのイメージにぴったりだった。
でも、まず映画「メレディス・モンク 踊る声、歌う身体」の話をしよう。2025年に完成したばかりの作品だけど、しばらく見ないうちにモンクがかわいらしいおばあちゃんになってるんでびっくり(笑)。もう83歳だもんな、こっちも年をとるわけだ。原題は“Monk In Pieces: A Concept Album”、「バラバラになったモンク」「モンクを断片的に」みたいな感じかな。たくさんの章(多くは曲のタイトルが冠されてる)に分けてモンクのさまざまな側面に迫るというスタイルだけど、モンク作品の多面性を思うとこのアプローチは理にかなってる。サブタイトルの「コンセプト・アルバム」(死語)はバラバラな要素をまとめる手法というより、その中心となる「コンセプト」が何かを考えさせてくれるね。
作品としては、モンクのキャリア、パーソナリティ、芸術観がかなり手ぎわよくまとめてある。過去作品のアーカイヴ映像もたっぷり見られるし、ビョークやデヴィッド・バーンのインタヴューも出てくるし。そうそう、ビョークは10代のころからモンクのファンなんだって! 彼女がブロドスキー弦楽四重奏団とやった「ゴッサム・ララバイ」は、モンク自身もお気に入りとか。
モンクのステージ作品は正直あまり観る機会がなかったけれど、グッゲンハイム美術館を舞台にした『ジュース』(69年)から日本公演も行われた『少女教育』(72年)、オペラ『アトラス』(91年)、そして別の演出家による同作再演(2019年)に至るまで、みんな面白そうだ。個人と社会との間に起きる問題をときに痛切に、でもたいていはユーモラスに扱い続けているのも大事なポイント。振付はジャドソン・チャーチ系かな。しかし、ピナ・バウシュとかローザスに比べて、モンクの来日公演の少なさはいったいどういうことだ!
個人的なことだと、モンクに男性のパートナーと女性のパートナーがいたことや、お母さんがオードリー・マーシュっていう歌手だったなんてことは初めて聞いたな。あと、モンクには『タートル・ドリーム』っていう作品があるけど、ホントに亀と暮らしてたのがなんかおかしい(笑)。
昔も今も作品作りにはさまざまなプレッシャーやトラブル(もちろん喜びも)がつきまとう。映画はその苦さにもふれている。同じように、今では批評家たちもモンク作品についてずいぶんことばを費やすようになったけれど、昔はずいぶん批評家に叩かれていた。これも考えさせられる話だ。
モンクはいわば『浜辺のアインシュタイン』より先に「パフォーマンス」をやっていた(モンク自身は「ミュージック・シアター」ということばを使っているようで、確かにこの方がモンク作品のイメージには近そう)。だから最初のころ、それに不慣れな批評家がモンクのやりたいことをまるで理解しなかったってことはありそうだ。こういう作品に「中途半端だ」「もっと徹底的にやれ」みたいなことをいう人は今でもいそうだしね。確かにモンクより優れたヴォイス・パフォーマーならほかにいるかもしれない、でもだから何? モンクにとって大事なのはテクニックじゃなく、それを自分の作品として血肉化することなのははっきりしてるんだから。
モンクが民族音楽や古楽に限らず、いろいろなものから学んでいるのは一目瞭然。でも、手法だけもってきてちゃちゃっとやるようないやらしさはない。やっぱり全部自分の身体になじませた上でやってるし、学んだことの中で豊かさを広げていってる印象がある。「徹底的にやれ」といういい方はわかりやすいけれど、一方で大事なものが自分の肉体から離れていくこともありそうだ。
それできみのことを思い出したんだけど(笑)、オレさ、ホントにきみからはいろんなことを学んだつもりでいるんだ。いつも身体のメンテをしたり、アロマにハマったり……つまりその、自分の身体に耳をすますことの大切さをきみに教えてもらった気がするんだよね(いまだに身についてないけど)。それと自分の身体から出発することの大切さ、かな。モンクの場合も、自分の身体(特に声)を軸にいろいろな表現をつなぎ合わせてきたけど、同時に自分の身体でつかめる表現を大事にしてるように見えるんだよね。つなぎ合わせるだけじゃなく、それぞれを深めていってるというか。それがさっきいった「いま日本に足りてないもの」なんじゃないかなと思ってさ。
あるいは「徹底的にやれ」の反対側に、「自分の枠を破れ」みたいなこともよくいわれるよね。でもご承知のとおり、これも往々にして罠として機能する。でも、枠を破るというのも自分の枠組みを打ち破って外に出る、みたいなことばかりじゃない。モンクの場合、民族音楽や古楽に学ぶことで自分のもってる枠組みそのものを揺るがしてきたんじゃないだろうか。
というか、また例によって、こっちのことばかり話しちゃった気がするな。面目ない。きみがそちらでいい作品を作ってくれることを期待してます。お元気で。
MOVIE INFORMATION
映画「メレディス・モンク 踊る声、歌う身体」
原題:Monk in Pieces
監督:ビリー・シェバー/デヴィッド・C・ロバーツ
出演:メレディス・モンク/ビョーク/デヴィッド・バーン ほか
配給:ユーロスペース
(2025年/アメリカ、ドイツ、フランス/95分)
©110th Street Films
2026年7月25日(土)よりユーロスペース他全国順次ロードショー!
HP:https://www.mm-dancingvoice.com/
公式X:@eurospace_d
公式Instagram:@eurospace_distribution