ドレイクのヒット曲“IDGAF”におけるアジマスの意外なサンプリング
若干の延期を挟んだものの、10月6日にリリースされるやいなや、2023年最大の話題作のひとつになっているドレイクのニューアルバム『For All The Dogs』。北米のヒップホップ/ラップミュージック、ひいてはポップミュージックのトップアーティストであるドレイクの常ではあるが、本作も全米チャート(Billboard 200)で初登場1位、11月4日の週も2位に入っているなど、大ヒットを記録している。 収録曲の“First Person Shooter”がBillboard Hot 100で首位を獲得したことによって、13曲目のNo. 1ソングという故マイケル・ジャクソンに並ぶ歴代4位、男性ソロアーティストとしては同立1位という記録を打ち立てたことも話題だ。
そんなドレイクによる新作だが、アルバムのリリース後、すぐさまヒットし、今も非常に聴かれているのが7曲目の“IDGAF”である。カナダチャートとBillboard Global 200とBillboardのStreaming Songsで1位、Hot 100で最高2位まで上がったこの曲でフィーチャーされているのは、米カリフォルニア州アーバイン生まれ、オレゴン州ポートランド出身で、TikTokでのバイラルヒットを介して成功した23歳の気鋭ラッパー、イート(Yeat)だ。イートはイントロ、ヴァース2、コーラス(サビ)を担当する大活躍を見せ、音楽界での成功を誇ってラップしている。そのイートに合わせたのか、もにゃもにゃとした発声とフロウでドレイクもラップしていて、なかなかおもしろい。
ワーキング・オン・ダイイングの一員としても知られるBNYX®、そしてシャー(Shah)によるプロダクションの面では、レイジっぽい響きの派手なシンセサイザーと南部風のビートが印象に残る。注目すべきはイントロ。なにやら宇宙的、あるいは瞑想的なフレーズで渦巻くシンセサイザー、リリカルなピアノとトランペット、儚くも深い響きを湛えた女声ボーカルから“IDGAF”は始まる。それが1分4秒も続いたのち、激しいビートが突然挿入される構成になっている。
ここでサンプリングされているのが、アジマスの“The Tunnel”という曲である。アジマス(ブラジルのアジムスではない)とは、ノーマ・ウィンストン(ボーカル)と彼女の夫ジョン・テイラー(ピアノ/シンセサイザー)のデュオにケニー・ホイーラー(トランペット)が加わったUKのトリオ。77~2000年に活動し、ECMから作品をリリースしていたことで知られる。そのクールでミニマル、少々スピリチュアルなサウンドは、ECMファンの間でも人気が高い。
“The Tunnel”は、彼らのファーストアルバム『Azimuth』(77年)のB面1曲目に収録されており、“IDGAF”のイントロで聴ける世界が9分強にわたって展開される。現代のサンプリングはジャンルも時代も問わなくなってきているとはいえ、ヒップホップとはなかなか結びつきがたいグループの曲からの引用で(しかも、まんま使い)、このサンプリング自体もちょっとした話題になっている。そこで今回は、このドレイク × アジマスをきっかけに、ヒップホップナンバーでサンプリングされたECMの曲を紹介していこう。
名盤を生み出してきたドイツのレーベル、ECMの美学とは?
そもそもの話だが、ECMとは69年に当時の西ドイツ、ミュンヘンでスタートした名門レーベル/レコード会社だ。教科書的な説明になってしまうものの、ファウンダー&プロデューサーであるマンフレート・アイヒャーの審美眼、そして〈沈黙の次に美しい音〉というユニークなコンセプト、透徹した美学のアートワークで知られており、レーベルカラーがはっきりした静謐な音、アーティスト、作品からなる独自の音世界と信頼のブランドを現在まで築き上げてきている。チック・コリア(2021年に亡くなった)の『Return To Forever』(72年)、キース・ジャレットの『The Köln Concert』(75年)、パット・メセニーの『Bright Size Life』(76年)など、ジャズやフュージョンの歴史の中でも独特の名盤を生み出してきた。
また、現代音楽や古楽などを扱うECM New Seriesというレーベルも運営しており、たとえばスティーヴ・ライヒの『Music For 18 Musicians』(78年。こちらはNew Series開始以前の作品)、アルヴォ・ペルトの『Tabula Rasa』(84年)といった、ポストクラシカル以降の音楽にも影響を与えた現代音楽の名盤は数多い。New Seriesが94年にリリースした『Officium』は、よく知られているだろう。ノルウェーのジャズサックス奏者ヤン・ガルバレクとグレゴリオ聖歌合唱隊ヒリヤード・アンサンブルによる異色の共演作だが、ヒーリング音楽のブームもあいまって、ECM最大のヒット作になったのだ。