藤田真央を何度も救った特別なラフマニノフのピアノ協奏曲第3番
2026年9月4日のライプツィヒ。夕方に激しい雨が降ったらしく、まだいくらか湿った路面を歩きながらホールに向かう。1989年秋の民主化運動の拠点となったニコライ教会、買い物客で賑わう目抜き通りを抜けると、ゲヴァントハウスが構えるアウグストゥス広場だ。19時でもまだ十分に明るく、夏の終わりの余韻と今宵から始まる新シーズンへの期待が混じり合っている。この華やかな雰囲気のシーズン開幕コンサートに、ピアニストの藤田真央が招かれた。
世界最古の市民オーケストラである名門ゲヴァントハウス管弦楽団、ピアノ協奏曲の最高峰ともいえるラフマニノフの“第3番”、そして欧州においても飛躍著しい藤田真央。この三者がいかにしてライプツィヒという地で〈出会う〉に至ったのか。初めに触れておくのは、決して無意味ではないだろう。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、藤田のキャリアと切っても切り離せない曲だ。2019年のチャイコフスキー国際コンクールの本選で弾いたのがこの協奏曲だし、2022年春、リッカルド・シャイー指揮でミラノ・スカラ座にデビューを飾ったのも同曲だった。藤田にとって世界の舞台へと導いてくれた音楽であり、成長への糧となったレパートリーでもある。自身、「自分を何度も救ってくれた曲」ということを話している。
藤田とゲヴァントハウス管弦楽団との出会いは、2022年にユジャ・ワンの代役としてデビューしたことにさかのぼる。2023年のアジアツアーでは、台湾公演でチョ・ソンジンの代演を務めた。限られた条件ながら、カペルマイスターのアンドリス・ネルソンスとオケのメンバーから信頼を勝ち取り、2024年6月には初めて定期演奏会に招かれている(ルート・ラインハルト指揮でモーツァルト“ピアノ協奏曲第20番”を共演)。
自身の著書名のように〈指先から旅をする〉日々のなか、成長を重ね、一度きりのチャンスをものにしてきた藤田真央が、ついにゲヴァントハウス管のシーズン開幕コンサートで、ラフマニノフの“第3番”を弾くことに特別な重みを感じないわけにはいかない。この日のプログラム冊子には、〈246回目のシーズン開幕〉という文字の下に、〈Andris Nelsons〉〈Mao Fujita〉〈Saša Stanišić〉(この日スピーチを行った旧ユーゴスラビア出身の人気作家)の名前が格調高い文字で刻まれていた。

豊かな色彩と陰影に満ちた熱演で聴衆は総立ちに
さて、ゲヴァントハウス大ホールは、ほぼ空席が見当たらないソールドアウトの様子。全方向から降り注ぐ拍手に迎えられて、オーケストラのメンバーが、そして藤田真央とアンドリス・ネルソンスが登場した。冒頭の2小節の後、藤田がほの暗い第1主題を奏で始めるところから、この作品の世界に引き込まれてしまう。まず驚いたのがオーケストラの重厚な響き。よく歌う高弦に加え、ヴィオラやチェロの内声部の充実ぶりにも痺れてしまう。それでいて、全然威圧的ではないのだ。ピアノの小カデンツァの後の移行部は、まるでオペラの間奏曲を聴いているかのように情景が浮かぶ。ふと、2018年2月にネルソンスがゲヴァントハウスのカペルマイスターに就任した際の記念演奏会をここで聴いた時のことを思い出した。旧ソ連のラトヴィア出身の彼が、子どもの頃からゲヴァントハウス管の響きに憧れていたことをスピーチで熱く語っていたのだ。若くしてスター指揮者となり、世界中を飛び回っている印象の強いネルソンスだが、その原点にはロシアや東ヨーロッパ地域に脈打っている伝統の響きがあるのだと実感した。当のネルソンス、一時期は体型の急激な揺れ幅が心配されたが、ここに来てベストフォームを取り戻したようだ。
藤田真央の奏でる第2主題の甘美でしかも濃厚なこと。そこにゲヴァントハウス管特有の太い響きの木管──ファゴットやホルンが絡む様はゴージャスだ。展開部で嵐の前のような不穏な空気が立ち込めると、ピアノは2度音程で上昇を続ける。オーケストラと激しくぶつかりながらついにはfffに至るのだが、藤田が凄まじい音圧を放つネルソンス指揮のオケと互角に渡り合う様に、ホール全体が息を呑む。そして、大カデンツァのOssiaへ。大音量でも決して音が割れないのがこの人の持ち味だ。私はむしろ、この超ヴィルトゥオーゾの箇所がひと段落して、カデンツァの余韻のように可憐な第2主題が帰ってくるところにハッとさせられた。同じ主題でも、大きな闘いを経た後では過ぎ去りし時間への郷愁の色合いを帯びていたのだ。

第2楽章のインテルメッツォは、じっくりと時間を取ったテンポで、冒頭の嘆きのメロディが管弦楽によってスケール豊かに奏でられる。藤田はそれをピアノで受け継ぐと、あふれんばかりの歌と対位法的な複雑な書法を見事に同居させる。ここにこのピアニストの類まれな知と情のバランスを感じずにはいられない。ポコ・ピウ・モッソに入ってからのワルツでは、コロコロした高音の目まぐるしいピアノの動きと木管との絡みによって、束の間の幻想が走馬灯のように浮かび上がった。
移行部で藤田が一気にギアチェンジして第3楽章に突入するところで、ぐっと惹きつけられる。リスクを厭わないやや速めのテンポながら、やはりこの曲のフィナーレはこうでなくては。高音の軽さは魔法を見ているかのよう。中間部に入ってからのおどけるようなスケルツァンドも同様だ。やがて、チェロに第1楽章の第1主題が回帰し、今度は藤田があの第2主題をやさしく、詩情をもって弾き始める。フルート、そしてホルンとの絡み……。ふたたび聴こえてくるメロディに浸りながら、人は過去の思い出やノスタルジーを燃焼しながら生きているのだと思わずにはいられない。だが、それでも前に進まなくてはいけない時がある。葛藤しながらも前進することを目の前の音楽家たちが示している奔流の前に、これは自分たちの音楽なのだとここにきて気づいた。勝利の鐘が鳴り響き、音楽家全員が一体となって猛烈なエネルギーで締めくくられると、聴衆は総立ちとなった。

興奮に包まれるなか、藤田真央がアンコールを弾き始めた。〈ラフマニノフか?〉と思って聴き始めたが、静かなアリアから馴染みのあるメロディに変わると、対位法的に積み重なってゆく。ワーグナー“ニュルンベルクのマイスタージンガー”のパラフレーズ、これぞワグネリアン真央の真骨頂だ。ライプツィヒ生まれの大巨匠へのオマージュは、地元の聴衆、オーケストラ団員の心を完全につかんだ。

異なる人や時代を結びつける芸術の奥深さも示したコンサート
今年3月、ハンブルクのエルプフィルハーモニーで聴いた天衣無縫なモーツァルトのピアノ協奏曲第19番(パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルとの共演)も心底感心したのだが、巨大にして文学的深みをたたえた今回の演奏は、あの時と同じ人物のパフォーマンスとは思えないほどだ。
が、もちろん、同じ藤田真央である。ラフマニノフもワーグナーもモーツァルトも、みんなどこかで繋がっている。地元紙の「ライプツィガー・フォルクスツァイトゥング」は、〈藤田は力任せのピアニストではない。むしろ正反対だ。和音が突然ドビュッシー、さらには少しラヴェルのように響いた〉とさえ述べ、〈驚異的な色彩と陰影の豊かさ、ほとんどリラックスしているような流暢さ〉を讃えた。
この日の開幕コンサートは〈Demokratiekonzert〉と題され、後半のドヴォルザーク“交響曲第7番”の前に、作家のサーシャ・スタニシチがスピーチを行った。テーマは〈Vorzeichen〉。ドイツ語で〈前兆〉の意で、同時に♯や♭の〈調記号〉を指す音楽用語でもある。スタニシチは、「楽譜に書かれた♯や♭を無視すれば、音楽は違うものになってしまう。社会に現れている前兆や兆候を無視しても、同じことが起こる」と述べ、ユーモアと皮肉を交えながら民主主義の空洞化をするどく批判した。
ご承知の方も多いと思うが、ドイツの社会も激動期を迎えている。そんななか、ゲヴァントハウス管のシーズン開幕コンサートでの藤田真央は、ラフマニノフの音楽の真髄のみならず、異なる人や時代を結びつける芸術の奥深さをも示してくれた。今回ライブ録音されたピアノ協奏曲第3番は、11月末に発売されるラフマニノフ・アルバム(ソニー・クラシカル)に収録される。どうか楽しみにお待ちいただきたい。
