アンビエントでグルーヴィーな音楽を楽しむバレアリックスタイルの宿泊型音楽イベント〈umi conexión Hayamatic! 2026〉が2026年10月3日(土)〜4日(日)にかけて神奈川県・葉山うみのホテルで開催される。6回目となる今回のイベントには世界的レジェンドDJ Chris Cocoと近田春夫とOMBによるユニット・LUNASUN、K.U.D.O(工藤昌之)と高木完のMAJOR FORCE PRODUCTIONSらが出演。また、9月30日(水)にリリースされる小泉今日子『Fade Out Remixes』のリリースパーティも同時開催される。
イベントに先立ち、70年代からロック、歌謡曲、ヒップホップからトランスにいたるまで多彩な活躍を続けてきた近田春夫とOMB、ニューウェーブ時代の東京ブラボーに始まり、タイニー・パンクスやソロ、MAJOR FORCEレーベルの設立メンバーとしてクラブカルチャーの礎を築いた高木完にロングインタビュー。近田と高木の数十年に及ぶ深い関係と足跡、近田がプロデュースを手がけた小泉今日子“Fade Out”とLUNASUNが参加した『Fade Out Remixes』の制作秘話、〈Hayamatic! 2026〉や近況まで、たっぷり語ってもらった。

歌謡曲をパンク化した近田春夫&ハルヲフォンの先駆性
――近田さんと高木さんの関係は70年代に近田さんが結成したハルヲフォンの頃に遡るそうですね。
近田春夫「僕の記憶では、新宿のディスコ、ツバキハウスで大貫憲章に〈こいつ、おまえのすげぇファンなんだよ〉って紹介してもらったのが完ちゃんとの初対面」
高木完「僕は高校時代からハルヲフォンのファンで、近田さんがパーソナリティを務めていた『オールナイトニッポン』2部を熱心に聴いて、九段会館のハルヲフォンと平山みきのコンサートの出待ちしてたくらいだから。〈ファンです〉って声をかけたら〈きみ、変わってるね〉って言われた(笑)」
近田「ハルヲフォンのファンクラブの会員番号001は、エディターの川勝正幸だったんだよ。渋谷にあったライブハウス屋根裏の階段でおにぎりを食べながら並んでいたのを覚えてる(笑)」
高木「さすが川勝さん! 僕はテレビでフォーリーブスの“ブルドッグ”をパンクでカバーしているのを観てぶっ飛んだ。近田さんはシド・ヴィシャスの“My Way”に影響されたって言っていたけど、違うんですよ。近田さんの方が早かった」
――セックス・ピストルズの“My Way”と“ブルドッグ”が収録された『電撃的東京』がリリースされたのは1978年ですね。
近田「後から時系列を調べたらそうだった」
高木「スタンダードな曲をパンクにするという手法は近田さんが世界に先駆けて早かった。テレビで近田さんが髪の毛を立てているのを観て、目が釘付けになるほど衝撃を受けましたよ」
近田「あの頃、髪の毛を立ててたのは俺とプラスチックスの中西俊夫くらいだもんな」
――近田さんが音楽活動を始めた70年代は、〈歌謡曲〉は〈ロック〉の敵という認識があったかと思いますが、そのカウンターとして〈歌謡曲〉を打ち出したのは斬新でした。
近田「俺は60年代からグループサウンズに夢中になって、純然たる歌謡曲というよりGSの延長戦上にある筒美京平さんや鈴木邦彦さんが作るようなビートがあるポップスが好きだったんだ。特にハマったのは郷ひろみと平山みきで、その魅力を教えてもらったのはカメラマンの小暮徹さんなんだけどね」
高木「僕はそもそも近田さんを通して歌謡曲の面白さを知ったクチで。川勝さんや小西(康陽)さんもたぶん、そうなんじゃないかな」
近田「あの頃は、筒美京平さんの曲のアレンジや構造を研究したりする一方、六本木にあったゲイバーのショータイムの歌謡曲の当て振りにハマったりしながら、パンクのかっこよさと芸能チックな部分を組み合わせたら面白いんじゃないかって考えていたんだと思う」
高木「近田さんは日本のロックの黎明期から活動していたわけだけど、ハコバンの経験なんかもあったから歌謡曲には親近感があったんですよね」
近田「そう。ハコバンで1日に何ステージも演奏したりすると洋楽のカバーもするけど、みんなが知ってる歌謡曲なんかの方が日本語だから楽じゃん? 『電撃的東京』はほぼ全曲が歌謡曲のカバーだったんだけど、それが前のアルバムより妙に評価されて、そうなると逆にやる気がなくなっちゃって」
高木「そういうところが近田さんっぽい(笑)」
近田「ハルヲフォンはそれまでに2枚のアルバム(『COME ON, LET’S GO』(1976年)、『ハルヲフォンレコード』(1977年))を出していたんだけど、カバーアルバムの方が評価されて、挫折感みたいなものを味わったんだよ」
高木「近田さんとともにリードボーカルだった恒田義見さんが辞めて。トーンダウンしていきましたよね」
近田「このバンドではここからは再生産になってしまうなと思ったんだ。この仕事は再生産に入って安定してから商売になっていくんだけど、その堪え性が自分にはなかった。ずっとそうなんだよ、俺の人生(笑)」

テクノポップ/ニューウェーブ時代にビブラトーンズが描いた都会の虚無感
高木「その後、近田さんはソロに転じてブレイク前のYMOを起用してアルバム『天然の美』(1979年)を作る」
近田「白夜書房の『ウィークエンドスーパー』という雑誌で細野晴臣さんと対談したとき、細野さんが〈今はコンピュータで音楽作っている〉と。そのとき、俺がイメージしたのは今で言えばAIみたいなものなんだけど(笑)、〈じゃ、そのコンピュータでお願いします〉って」
高木「細野さん作曲の“コズミック・サーフィン”に近田さんが歌詞を付けたこともありましたね」
近田「のちに井上ヨシマサがいたコスミック・インベンションでね。ソロになってしばらくは職業作家としてやっていこうと思って、プレゼンの意味も兼ねて『天然の美』は作ったんですよ」
高木「作曲陣は筒美京平、井上忠夫、宇崎竜童、作詞は楳図かずお、山口洋子と錚々たる作家が名を連ねる名盤でした」
近田「自分で言うのも何ですけど、意義のあるアルバムだったと思う。でも、また、これはこれでもういいやと思っちゃったんだ。俺は同じことを繰り返すことができないんだよね」
高木「テレビドラマ『ムー一族』に出演したり、タレント活動をしていたのもこの時期でしたよね。週刊文春の〈この人の1週間〉みたいな企画に近田さんが出ていたのも覚えてる(笑)」
近田「そんなこんなでタレントにも飽きちゃって、やっぱりまたバンドがやりたくなってBEEFというバンドを結成したんだけど、当時はレコード会社を移籍したら半年間は移籍先でレコードが出せないという事情があってさ」
高木「そこでBEEFから近田さんが離れて、ジューシィ・フルーツとなると」
近田「そう。担当のディレクターが大学の先輩だったこともあって、〈じゃあ、あのギターの女の子が歌って、おまえがプロデュースすればいいじゃん?〉みたいな軽いノリで始まった。俺もまだ若かったし、メンバーに話したら〈いいですね。面白そう〉なんてノリで承諾して(笑)」
――ジューシィ・フルーツがデビューした1980年はもうテクノポップ、ニューウェーブの時代ですよね。
近田「そうだね。プラスチックス、P-MODEL、ヒカシューが登場してテクノ御三家なんて呼ばれて、俺はプラスチックスとも仲がよかったから、これを商売っぽくしたら売れるんじゃないかって(笑)、“ジェニーはご機嫌ななめ”を作った」
高木「業界ニューウェーブが大ヒット(笑)。でも、近田さんはヒカシューのプロデュースもしていますからね」
近田「元ネタはブロンディの“One Way Or Another”なんだけどね。俺の場合、いきがかり上そうなっちゃった、というのが多いんだよ」
高木「ブロンディの〈Get ya, get ya, get ya, get ya〉が〈君とイチャイチャ〉になったんだ。なるほどねー(笑)」
――高木さんが東京ブラボーで活動を始めたのは1981年ですが、近田さんとライブの現場で一緒になったりしたことは?
高木「〈東京フリーク〉というビブラトーンズが主宰していたイベントに東京ブラボーで出演したけど、あの頃の近田さんはライブが終わると打ち上げは出ないでさっさとクルマで帰るから、昔話を聞けるようになったのはここ最近ですよ」
近田「80年代に入ると完ちゃんを含む世代がどんどん面白くなってきたんだよね。自分と同世代の人たちはオーセンティックなロックの世界に留まっていたから、俺みたいにちょっとふざけたりするヤツは年下のヤツらの方が気が合ったというか」
――それで近田春夫とビブラトーンズが結成されたと。
近田「ビブラトーンズは、福岡ユタカと窪田晴男がいた人種熱というバンドに俺が入って結成されたんだけど、〈東京フリーク〉はビブラトーンズのプロモーションと東京ブラボーや久保田慎吾がいたサニー久保田&クリスタル・ヴァカンスとか、東京の若くて面白いバンドを紹介する意味合いもあった」
高木「〈東京フリーク〉を観て桑原茂一さんが、東京ブラボーをクラブ、ピテカン(トロプス・エレクトス)のレギュラーに誘ってくれた。ピテカンのステージでは近田さんにキーボードで参加してもらいましたね」
近田「東京ブラボーはカッコイイバンドでしたよ」
高木「それが80年代前半。ニューウェーブの時代は混沌としていたけど、ハルヲフォンからビブラトーンズまで近田さんの描く独特の都会の虚無感はすごくリアルで大好きだった」
――ビブラトーンズの“金曜日の天使”はディスコや夜遊びが盛んな時代を活写していましたね。
高木「そうそう。近田さんの歌詞の世界を体感したいがために夜遊びを覚えるという悪影響を与えたけど(笑)」
――竹内まりやの“プラスティック・ラブ”(1984年)の〈はやりのディスコで踊り明かす〉世界観とも重なるところがあるような?
高木「確かに。近田さんソロの“罪なレディ”(『天然の美』)なんかはAORっぽいし、竜真知子さんの歌詞も近いものがあるよね」
近田「俺、タレントもやってたから、ディスコの黒服なんかとも顔見知りになって、VIP席に案内されてドンペリとか持ってきたじゃん」
高木「いやいやいや。僕はまだツバキハウスも敷居が高かったから(笑)」
近田「俺は高校の頃から音楽はいわゆるロックより、ソウルやディスコの方が好きだったからね」
高木「細野晴臣さんやはっぴいえんどの人たちもディスコでハコバンをしていたっていうし、その年代のミュージシャンは60年代からR&Bは叩き込まれているんですよね」
近田「そうだね。70年代のディスコの定番、“Machine Gun”や“Get Ready”は今でも目をつむってても弾けますよ(笑)」
高木「のちにクラブ時代に入ってからはニューヨークやロンドンのディスコと日本との違いを痛感したけど、昔の日本のディスコのDJは、そのハコの従業員でしたもんね」
近田「そう。ディスコでかかるレコードもその店の備品だからね」
高木「家から自分のレコードを持っていってかけるようになったのは大貫さんくらいからなんじゃないかな?」

ビブラストーンとタイニー・パンクスが登場したヒップホップ期
――高木さんは1985年に映画「星くず兄弟の伝説」に主演。元々は架空のロックミュージカル映画のサントラ盤というテーマで制作された近田さんの1980年の同名ソロアルバムが原案でした。
高木「僕と久保田慎吾が起用されたのは、〈東京フリーク〉からの縁だと思うけど、近田さんも目をかけて、アルバム『星くず兄弟の伝説』でも作曲に関わったFILMSの赤城忠治は僕ら界隈のキーパーソンだった。ただ、映画が公開された80年代も半ばになると、ヒップホップが出て来て」
近田「俺はヒップホップは完ちゃんと藤原ヒロシがうちの事務所に遊びに来て観せてくれた映画『クラッシュ・グルーヴ』(1985年)のビデオからだね。シュガーヒル・ギャングは聴いていたけど、あくまでもヒット曲として捉えていたから、ランDMCとLL・クール・Jは衝撃だった」
高木「それは近田さんはヒップホップ以前からブラックミュージックを聴いていたからですよね」
近田「そう。音もあるけど、アピアランスだよね。それまでロックやグラムやパンクのカッコよさに惹かれてきたんだけど、だんだんロックってカッコよくないなって気持ちになってきたところにアディダスのトラックスーツのヤツらが現れたんだから。ああ、もうロックは終わったんだなと思ったね」
高木「僕も東京ブラボーが終わって、DJに興味が出てきた頃で、『星くず兄弟の伝説』の公開イベントのときは、ヒロシと一緒にロンドンブーツという名前でライブに出たんですよ」
――タイニー・パンクス結成前夜ですね。
高木「そう。そのイベントで近田さんにヒロシを紹介したんだと思う。近田さんは中西トシ(俊夫)ちゃんの子分だと思っていたみたいだけど、ヒロシは近田さんのことを〈最初に会った芸能人〉だって言ってる(笑)」
――近田さんは、President BPM名義で自身が設立したレーベルBPMから“MASS COMMUNICATION BREAKDOWN”(1986年)をリリース。
近田「タイニー・パンクスの“I Luv Got The Groove”とPresident BPM“NASU-KYURI”のスプリット12インチもBPMから出したね」
高木「いとうせいこう&タイニー・パンクスの『建設的』と同時期だったから、コウモリコンビと自称してました(笑)」
――それまでのロック的な文脈から近田さんがヒップホップへ傾倒して驚いた人も多かったと思いますが?
近田「ハルヲフォンのときからそうなんだけど、ひとつのことが終わると次のものを探さないと気がすまないんだよね。新しく見つけたものが飽きなければそれでやっていけるんだろうけど。あの時点でたぶん、俺が世界レベルでも最年長のラッパーだったんじゃないかと思うんだ」
高木「1986年当時で近田さんは30代半ばですか」
近田「そう。ヒップホップは楽器ができない人たちが画期的な音楽を生み出したわけだけど、考えてみたらヒップホップが生まれるずっと前から俺は音楽家で、楽器もできれば歌も作れる。そのアドバンテージを活かして、生バンドでラップをするということを思いついた」
高木「ビブラストーンのバンドスタイルのヒップホップも世界に先駆けて早かったですね」
近田「いずれヒップホップが進化していったらそうなるんじゃないかって読みもあったんだよ。そうなったときにはもう俺はトランスにいっちゃってたんだけどね(笑)」

最先端ハウスと日本独自の歌謡曲を融合させた小泉今日子“Fade Out”
――近田春夫&ビブラストーンとして1stアルバム『Vibra is Back』をリリースした1989年に、近田さんは小泉今日子さんのシングル“Fade Out”とアルバム『KOIZUMI IN THE HOUSE』をプロデュースしています。
高木「ようやく今回の葉山のイベントの話に近づいてきた(笑)」
近田「80年代後半になると今度はハウスが面白くなってきたんだ」
高木「ハウスはECDの影響もあったんですよね?」
近田「当時、自分のラジオ番組の選曲をECDが手伝ってくれていて、ECDに何でも好きなレコードを買っていいからって言って、その中にハウスのレコードもあったんだ」
高木「あの頃は僕らも両方かけていましたよ。ヒップホップとクロスしたヒップハウスっていうのもあったし」
近田「現場っぽいこと言うと、ハウスの方がディスコ的なんですよ。ヒップホップはダンスミュージックというよりある種フォークに近いし、ファミリー意識が強かったりするところはヤンキーっぽいじゃん(笑)」
――近田さんをプロデュースに迎えたのは小泉さん自身の希望だったとか。
近田「小泉さんは、仲良しの小暮徹さんのところでハルヲフォンやジューシィ・フルーツや俺のソロなんかを聴いて、気に入ってくれていたみたいなんだけど、アルバムのプロデュースをオファーしてくれたときは、俺の頭の中はハウス一色だったから、正直に言いましたよ、〈今はハウスしか興味がないんだけど、それでもいいなら〉って」
高木「小泉さんサイドは歌謡曲の近田春夫を期待していたのかな?」
近田「たぶんね。でも、小泉さんは何の迷いもなく〈いいですよ〉って、男らしいんだ(笑)」
高木「小泉さんは若い頃から潔かった、と」
近田「トッド・テリー・プロジェクトの『To The Batmobile Let’s Go』が好きだったから、ああいう感じを目指して試行錯誤して。そういうハウスの最先端と日本独自の歌謡曲をうまく融合できないかなと」
高木「そういうことができるのは近田さんしかいないですよね」
近田「クラブでハウスと並べてかけても違和感がないようなハウス歌謡だね」
――近田さんが楽曲提供した“Fade Out”は、オリコン2位を記録。前のシングルは大瀧詠一作曲の“快盗ルビイ”(1988年)でしたから、大胆な飛躍ですよね。
近田「そうだね。キョンちゃんの歴代のシングルの中でも“Fade Out”だけは文脈が違うかもしれない。でも、俺はそこで好きだった歌謡曲とハウスをミックスすることができたんだよ」
高木「歌詞も近田さん特有の都会の虚無感が漂っていますよね。ディスコで待っている友だちがいるのに夜のドライブに出かけちゃう」
近田「あの歌詞は第三京浜のイメージなんだよ。六本木あたりで落ち合って、友だちは待ってるけど、いいや、クルマで横浜まで行っちゃえって。あれは当時の俺の生活そのまま(笑)」
高木「なるほど。歌っているのは今日子ちゃんだけど、実は近田さんの話だったんだ(笑)。打ち上げに出ないでフェイドアウトする近田さんらしい」
――トップアイドルの歌詞にしては、かなり際どいですよね。
近田「そこは意識的だったかな。キョンちゃんが僕と組むなら、今までの作家とは違うアプローチをしたかったからね。大滝さんのような音楽マニアの作家と何が一番違うかっていうと、俺はガンガン遊んでるってこと。その空気感を何とか醸したかったんだよね」
高木「そこもハルヲフォン時代から一貫していますよね。遊んでいないと“Fade Out”は書けない」
――『KOIZUMI IN THE HOUSE』のタイトルも近田さんが付けたとか。
近田「そうです。〈IN THE HOUSE〉って言い方はヒップホップっぽいんだけど、そこを突っ込まれるかと思ったら誰も指摘しなくて寂しかったよ(笑)」
――高木さんと小泉さんの関係はいつ頃からですか?
高木「僕はスチャダラパーの『スチャダラ大作戦』(1990年)の頃からかな?」
近田「キーパーソンは川勝正幸ですよ。川勝が俺たちと小泉さんを繋いだことはすごく大きい」
高木「そうですね。それ以降、小泉さんはヒロシやスカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)など川勝さん人脈でアルバムを制作するようになって、『TRAVEL ROCK』(1993年)では僕も曲を提供したし、今日子ちゃんとの縁は現在のシン・コイズミックスプロダクションズまで続いている」
近田「俺も最近ではJ-WAVEの『TOKYO M.A.A.D SPIN』という番組や、そこから派生した朝活クラブイベント〈BAD MORNING! CLUB〉を一緒にオーガナイズしたり、長い付き合いになった。まあ、大したもんですよ。小泉今日子という人は」

葉山のローカルな繋がりが生んだ『Fade Out Remixes』
――9月30日にリリースされる『Fade Out Remixes』は、2026年リマスターのオリジナルバージョンと、LUNASUN(近田春夫 & OMB)、寺田創一、藤原ヒロシによるリミックスを収録した12インチレコードですが、制作の経緯は?
OMB「2017年に小泉さんのデビュー35周年記念ベスト(『コイズミクロニクル 〜コンプリートシングルベスト 1982-2017〜』)の購入者応募特典として“Fade Out (35th Anniversary Mix)”というのをLUNASUNで制作したんですけど、それが今では8万円とかとんでもない値段になっていて」
近田「あれは50枚限定の非売品だったからね。今回のLUNASUNリミックスはそれとも違って、OMBと作り直したのが3年前かな」
OMB「当時のいわゆるJ-POPのミックスではなくて、リミックスするならちゃんとしたハウスにした方がいいと思ったんです」
近田「OMBは24歳も年下なので、まっさらな状態で“Fade Out”を彼ならどう解釈してくれるのかなと思ったんだ」
OMB「寺田創一さんにも僕らからリミックスをお願いしたんだけど、いろんな事情でリリースがお蔵入りになっていて、その話を今回のレーベルのU/M/A/Aにしたらようやく動き始めたんです」
――〈Hayamatic! 2026〉でも『Fade Out Remixes』のリリースパーティが同時開催されるそうですね。
OMB「去年、LUNASUNで〈Hayamatic! 2025〉に出演したんですが、僕のスタジオも逗子にあって、U/M/A/Aチームとの交流を経て晴れてリリースに繋がったので、ここ葉山うみのホテルは縁の場所でもあって」
近田「そんなローカルな繋がりから、リリースまで漕ぎ着けたのが面白いよね」
――“Fade Out”を含む〈和製テクノ歌謡〉が、近年はヨーロッパを中心に再評価されているとか。
OMB「ちなみに1989年のリリース当時、“Fade Out”のリミックス公募コンテスト(〈出光エナジーステーション コイズミスーパーリミックスコンテスト〉)があって、寺田創一さんは落ちたそうなんです。そのとき採用されたのが、海外でも人気の高い今回の12インチに収録された藤原ヒロシさんの“MOODY STRINGS MIX”」
近田「あのコンテストは福富幸宏や富家哲も応募して採用されたんだよね」
高木「僕はその頃はもうMAJOR FORCEだったけど、ダンスミュージックとしてはハウスの方が主流になりつつあったと思う。でも、その後、近田さんがトランスにいったのはさすがにちょっと驚いたけど」
――近田さんがOMBさんとLUNASUNで活動するようになったのは?
近田「ゴアトランスを初めて聴いたのはテレ朝通りにあったクラブなんだけど、自分が今まで知っている音楽とのあまりの違和感に耳から離れなくなり、このキックとベースは何を使っているんだろうって興味からどんどんハマっていったんだ。それが1996年くらいかな。
ヒップホップは自分ではやり尽くした感もあったし、ドクター・ドレーが出て来て、この先はハイファイを競い合うようになると感じてやめようと思ったんだよ」
高木「当時、〈俺、もう歌ものに興味ないから〉って言ってましたもんね」
近田「俺、そういうところが極端なんだよね(笑)。その界隈でOMBと知り合って、The Lunatic Thunderというチームで活動するようになり、それがLUNASUNになって、以来OMBとは一緒にやっているから、俺の音楽人生で一番長く続いていることになる」
OMB「僕は近田さんの音楽歴も知らなかったし、〈テレビに出ている人〉というイメージしかなかったから、こういう音楽に興味があること自体が意外でしたけど、いろんなパーティや新島や佐渡島のレイヴなんかも一緒に経験しながらセッションを続けて、気がつけば20数年」
高木「今やOMBの逗子のスタジオに近田さんがやって来るようになった。逗子の実家でハルヲフォンを聴いていた僕にしたら、不思議な巡り合わせを感じますよ」

クラブ文化と世代の多様化を体現する宿泊型イベント〈Hayamatic! 2026〉
――その逗子からも近い葉山で開催される〈Hayamatic! 2026〉には、バレアリック/チルアウトシーンを牽引してきたChris Cocoと共に、近田さんはLUNASUN、高木さんはMAJOR FORCE PRODUCTIONSで出演されます。クラブの現場で長年活動してきたお2人にとって、このイベントは?
近田「去年初めてLUNASUNで出たんだけど、葉山の海を望むロケーションも含めて楽しかったですよ」
高木「僕も去年遊びに行って、近田さんが“MASS COMMUNICATION BREAKDOWN”を演ってくれたのはすごく嬉しかった」
近田「台風やら地震やらの中のレイヴ経験者からしたら、ホテルなんてもう天国ですよ。川勝も一度レイヴに来たことがあったんだけど、まあインドア文化系には向いてなかったね(笑)」
高木「最近はホテルでのクラブイベントも増えてきたけど、宿泊型というのは珍しいかもしれない」
――宿泊者は、朝から富士山を望む温泉やDJによるチルな〈Morning Listening Session〉も体験できるそうです。
近田「いいね。俺、昔からアフターアワーズが大好きでさ。夜、ガンガン踊った後、朝シャワーを浴びてすっきりした体で飲むビールが最高なんだよ」
高木「クラブカルチャーが多様化して、幅広い世代がいろんな場所で音楽を自由に楽しめる時代になってきたってことだよね。近田さんも僕らも現役で現場にいられるのはそういう場所が増えたことも大きい」
――高木さんとK.U.D.O(工藤昌之)さんによるMAJOR FORCE PRODUCTIONSも昨年、本格的に再始動しました。
高木「この1年くらいでようやく方向性が見えてきて、最近は〈WORLD HAPPINESS 2026〉、先日も屋敷豪太とclubasiaでライブをして、MAJOR FORCEの創立メンバーでもある中西トシちゃんのTYCOON TOSHの曲もけっこうやって、そうなるとハーフMELON、ハーフタイニー・パンクス(笑)」
――今年はDJ KRUSHのコラボシングル“続・愛のテーマ”(ゲストボーカル小泉今日子)をリリースしました。
高木「K.U.D.OくんとはMAJOR FORCE設立前からの長い付き合いだから、阿吽の呼吸でできるし、MAJOR FORCE 40周年を狙って2027年あたりにアルバムをリリースできればとは思っている。実はLUNASUNと一緒に作っている曲もあるんだけど、まだ完成していなくて近田さんに〈締め切りを決めなきゃダメだよ〉って怒られてます(笑)」
――〈Hayamatic! 2026〉ならではのライブセットも楽しみですが、お2人の今後の活動も期待しています。
近田「完ちゃんのMAJOR FORCE PRODUCTIONSもそうだろうけど、大事なのは仲の良さなんだよね。いくら音楽が素晴らしくても仲が良くないと、楽しい感じがしないんだ。ライブはそれがお客さんにも伝わるんだよ」
高木「なるほど。肝に銘じておきます。近田さんも48年ぶりに近田春夫&ハルヲフォンとして新曲“Oi Oi AI-未体験ゾーンへ”をを配信リリースしましたもんね」
近田「AIを否定的に捉えるより、まずは遊んでみようよと。ただ、演奏はAIに頼らずに恒田義見、高木英一と俺の3人にジューシィ・フルーツのイリアがギターで参加して、ミックスはOMB。歌詞は僕のかみさんの近田奈緒美が初めて書いて、ショートムービーもかみさんがAIを使ってクリエイターと生まれて初めて制作。そういうことが今の時代は誰でもできちゃう」
――それもまさに〈仲良きことは美しき哉〉ですね。
近田「そうそう。ハルヲフォンやイリア、そして長い付き合いになったOMBや完ちゃんや今日子ちゃんみんなが自然に繋がっていく感じがするんだ。ここからまた新しいことをやっていこうという気持ちになっています」
高木「まずは〈Hayamatic! 2026〉を一緒に楽しいイベントにしたいですね」
RELEASE INFORMATION
リリース日:2026年9月30日(水)
形態:12インチアナログ盤
価格:4,400円(税込)
配信リンク:https://jvcmusic.lnk.to/FadeOutRemixes
TRACKLIST
A1. Fade Out
A2. Fade Out (LUNASUN Remix by Haruo Chikada & OMB)
AA1. Fade Out (Soichi Terada Remix)
AA2. Fade Out (MOODY STRINGS MIX)
LIVE INFORMATION
umi conexión Hayamatic! 2026

日時:2026年10月3日(土)15:00~21:00 4日(日)7:00〜10:00
場所:葉山うみのホテル https://www.umino-hotel.com/ 〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町 堀内251-1
■出演アーティスト
10.3.Sat 15:00-21:00
Special Guests:Chris Coco/Major Force Productions(K.U.D.O & KAN TAKAGI)/LUNASUN(近田春夫 & OMB)
DJs:Yuki Kawamura aka Venus/Hideo Kobayashi/Jay Zimmermann/Masakazu Hiroishi, U/M/A/A Sound System(Wang One, heykazma, Hiko Fukuda from hobnob, DjuBumba)
VJ:100LDK
10.4.Sun 7:00-10:00
DJs:heykazma, Hayamatic! Orchestra
■ご参加方法
1 dayチケット:10月3日(土)のみ参加可能
価格:3,500円(税込)
各種チケットサイトよりご購入ください。
チケットぴあ【先行】:9月9日(水)12:00販売開始 https://w.pia.jp/t/hayamatic2026/
イープラス:9月13日(日)10:00販売開始 https://eplus.jp/sf/detail/4602310001-P0030001
Peatix:9月13日(日)10:00販売開始 https://hayamatic2026.peatix.com/
葉山うみのホテル宿泊付きチケット:10月3日(土)〜4日(日)に参加可能
価格:各部屋の価格は予約サイトにてご確認ください。
※葉山うみのホテル宿泊、イベント入場券、ウェルカムドリンク、入浴、朝食のセット
※Sunset Luxury、TATAMI Superior、Ocean Superior、Ocean Double、Standard Double宿泊のお客様には、生産限定盤『Fade Out Remixes』をお1人様に1枚プレゼント!
※3日の終演後に出演者とのミート&グリートにご参加いただけます
▼葉山うみのホテル宿泊予約サイトよりお申し込みください。
https://booking.shimada-hospitality.com/booking/result?code=01948d43-df90-76a5-be8d-6cbcf50f3938&is_including_occupied=true&hotel_plan_code=HP66441779246667958062412&checkin=2026/10/03&checkout=2026/10/04&type=plan
葉山うみのホテルBunk Room 宿泊付きチケット:10月3日(土)〜4日(日)に参加可能
価格:11,000円(税込)
※葉山うみのホテル宿泊、イベント入場券、ウェルカムドリンク、入浴、朝食のセット
※3日の終演後に出演者とのミート&グリートにご参加いただけます
▼チケットぴあのサイトよりお申し込みください。
https://w.pia.jp/t/hayamatic2026/
umi conexión Hayamatic!とは
2022年9月に初開催し、今回で6回目となるバレアリックスタイルの音楽イベントです。海を臨む葉山うみのホテルのラウンジにて、多彩なアーティスト・DJによる海にぴったりな音楽を楽しめます。バレアリックは、スペインのバレアレス諸島、特にイビサ島で生まれた、自由で心地よい音楽やDJのスタイルです。オープンマインドな精神とチルアウトな雰囲気を特徴とし、アンビエント、ハウス、ジャズ、ロックなどジャンルや年代に囚われない様々な音楽を心地よいサウンドでプレイします。
公式HP:https://www.hayamatic.com/
Facebook:https://www.facebook.com/Hayamatic
Instagram:https://www.instagram.com/hayamatic
<Hayamatic! 2022>

<Hayamatic! 2024>

葉山うみのホテルとは
〈うみにあいにいく〉をコンセプトにしたライフスタイル型リゾートホテル。美しい水平線を一望できる客室や、キャビンタイプの〈Bunk room〉など、多彩な滞在スタイルをご用意しています。最上階の人工温泉〈Horizon Onsen〉では、湯に浸かりながら江の島や富士山を望む贅沢な時間を。1階〈SANDBAR〉では地元食材を使った料理やカクテルを楽しめ、宿泊以外の方も利用可能。都心から約1時間で、海と夕日が織りなす特別なひとときをお届けします。
公式HP:https://www.umino-hotel.com/
Instagram:https://www.instagram.com/hayama_uminohotel/
葉山うみのホテル公式コンセプトムービー:https://www.youtube.com/watch?v=pyd0M-YAF1E
