チェット・フェイカーを名乗って2010年代前半にオーストラリアから登場したシンガーソングライターのニック・マーフィーは、当時隆盛を見せていたオルタナティブR&Bシーンの磁場とも共振し、いきなりヒットを飛ばしてグローバルな注目を集めた存在だった。エレクトロニックミュージックのプロダクションとソウルやR&Bをミックスする手腕もさることながら、彼が人気を得たのは、スモーキーな歌声とメランコリックでエモーショナルなメロディーを持ち合わせていたからだろう。そこには万人の心を躍らせる、ポップな歌があったのだ。
突然大きな注目を集めたことには本人も戸惑ったそうだが、それからニック・マーフィー名義でより実験的な作品に取り組むなどして、音楽性の幅を着実に広げていく。2024年にはデビュー作『Built On Glass』(2014年)の10周年記念盤をリリースし、日本でもライブを披露。キャリアが一周した感覚がある。
そして再びチェット・フェイカー名義で今年リリースした新作『A Love For Strangers』は、エレクトロニックな要素と生演奏をオーガニックにミックスするサウンドはそのままに、より伸びやかな歌で聴かせるアルバムとなった。彼自身のエモーションがより率直に解放されているように感じられたのだ。
そんな新作を引っさげて、チェット・フェイカーが2026年9月16日(水)に東京・恵比寿ザ・ガーデンホールにて来日公演を行う。このインタビューでは、来日に向けてライブに関するトピックを中心に話を聞いたが、奇しくもニックのアーティストとしてのセンシティブな感性や真摯な想いを見出せるものになったと思う。いま、チェット・フェイカーがライブでどのようなエモーションを響かせるのか、彼の来日を心待ちにしたい。
曲はライブで進化し続ける
――ツアー中でお忙しいなかありがとうございます。あなたツアーを楽しめるほうですか?
「いや、じつはそんなこともないんだ(笑)。なんというか、ちょっと複雑なんだよね。もちろんすごく楽しいんだけど、その反面、強烈すぎるというか。ツアーって、たとえるなら人生最高のパーティーにずっといるようなものなんだ。でもいまは少し疲れ切っていて、その最高のパーティーを心から楽しむ余裕がない。そんな感じかな」
――新作『A Love For Strangers』が出て少し経ちますが、リスナーやオーディエンスから何かリアクションは感じますか?
「うーん、まだ何とも言えないかな。リリースされたばかりだし、いまはツアー中でもあるからね。僕の経験だと、音楽が人に届くまでには少し時間がかかるものなんだ。だから、いまパッと思い浮かぶ例はないかな。僕はあまりネット上の反応を追いかけるタイプでもないしね。自分のなかではいいアルバムだという確信はあるんだけどね。
でも、ライブではもう新作の曲を一緒に歌ってくれている人たちもいるんだよ。それってかなり早い反応なんだ。いまのところ、それが僕にとっては一番大きな手応えかな」
――ご自身ではどうですか? 実際にライブで演奏して、新作の楽曲に対して何か発見はありますか?
「うん、もちろんあるよ。じつはこのアルバムは、ある意味では最初からライブで演奏することを意識して作った作品なんだ。どの曲にも、〈ライブではこういうふうに鳴るだろうな〉というイメージがあった。
でも面白いのは、ライブですごく映えると思っていた曲が、実際に演奏してみると〈あれ、意外と落ち着いた曲なんだな〉って感じたり、逆に別の曲が少しずつ変化しながら、まったく違う表情を見せるようになったりすることなんだ。曲っていつだって進化し続けるものなんだよね。デビュー当時の曲だって、いまも少しずつ変わり続けているし。
今回の新作で僕が一番気に入っているのは、ちゃんと楽器を弾きながら歌わなきゃいけない曲が多いことなんだ。そのぶん毎晩少しずつ違う演奏ができる。なかでも、一番意外だったのは“A Level Of Light”かな。ライブではすごくぶっ飛んだジャズみたいな、カオスな曲になっているんだ。アルバムで聴ける姿とはかなり違うんだよ」