インタビュー

BOOM BOOM SATELLITES、余命を告げられながらも全力で音楽へエネルギー注ぐ道を選び、見事復活果たした奇蹟の新作

余命を告げられたとき、彼が選んだ道は、そのエネルギーを全力で音楽に注ぐこと。
もはや彼ら以外何者でもない音に満ちた奇蹟のニュー・アルバムがここに完成!

 

 

 97年にベルギーの名門テクノ・レーベル、R&Sから最初のシングルをリリース。その後、匿名的なダンス・ミュージックから、エレクトロニック・ミュージックとロックを横断するバンド形態でのライヴを重ね、より記名性の高い、作り手のソウルが感じられる作風へと時間をかけて変化してきたBOOM BOOM SATELLITES。2013年1月リリースのアルバム『EMBRACE』完成直後に川島道行(ヴォーカル/ギター)の脳腫瘍治療のため、全国ツアーの中止を発表。しかしその後、見事に復活を遂げ、同年5月に行われた初の武道館ライヴでの鬼気迫るパフォーマンスは伝説となった。

 「作品制作は、川島くんの治療期間にあたる『EMBRACE』直後から僕ひとりで始めて。退院後は彼の目を覚まさせたかったし、先が見えない重苦しいムードからどうにか希望を見い出したいなと思って、様子を見つつ、2人での作業を再開したんです」(中野雅之、プログラミング/ベース)。

 しかし2014年3月、彼らの復活を強く印象付けた〈TOUR 2014 STARTING OVER〉終了後、川島の脳腫瘍が再発。病状は治療困難な段階に悪化していて、余命約2年の宣告を受けたのだった。

 「武道館に立って、〈このバンドの音楽をまだまだ聴きたい、そして、ここで歌いたい、音楽が作りたい〉と思った矢先の再発を前にして、自分のなかの選択肢はひとつ。制作中のアルバムをなんとしても作り上げたかったし、すでに決まっていたライヴのステージに立ちたかったんです」(川島)。

 「残された2年を家族とのんびり過ごすという選択肢だってあるし、もちろん、そういう提案はしましたよ。結果的に彼の意志を尊重して、様子を見ながら制作やライヴを続けたんですけど、果たして、その選択が正しいんだろうかと悩みました。その一方で、音楽それ自体は、病気の再発に突き動かされることはなく、むしろ、極限まで純粋な状態で向き合うことができたというか、できるものなんだなと自分でも思いましたね」(中野)。

 その後、世界で9例目となる臨床実験段階の治療を試み、奇跡的に病気の進行を食い止めることに成功。ライヴや作品制作を滞りなく行った末に、新作『SHINE LIKE A BILLION SUNS』をここに完成させた。

BOOM BOOM SATELLITES SHINE LIKE A BILLION SUNS ソニー(2015)

 「心に直接訴えかけるものであり、それを表現する人の生き様や人生からエネルギーを受け取ることができるもの。それが音楽だと思うし、そうしたロックやパンクの思想性や佇まいに長らく魅せられてきた僕が、BOOM BOOM SATELLITESという場を通じて、今度は自分がその力や魅力をみんなに伝える番だと思って制作に臨んだんです」(川島)。

 「ただ、川島くんの場合、そこにはヘンなエゴや意図がまったくないんですよ。一般的な尺度で考えると、それはヴォーカリストとして決定的な欠点だと思うんですけど、彼の場合、声を出したときに言葉では伝えにくいスピリットのようなもの、人に伝播する生命の根源的なエネルギーのようなものが感じられるんです。そんな彼の特異性がこの作品では極まっているように思います」(中野)。

 そのインスピレーションを音楽シーンの潮流ではなく、彼ら自身に求めた本作は、ロックやダンス・ミュージックの枠組やブレイクビーツやテクノ、ハウスといったフォーマットを越えて紡ぎ出されるビートと言葉によって、2人の内面に肉薄。闇との対比から光を描いてきた過去の楽曲とは大きく一線を画する全11曲がひと筋の流れとなって、創造のエネルギーが生み出す光や新しい音楽が生まれる希望へと真っ直ぐに向かっていく。

 「アルバム完成後もライヴのリハやMAN WITH A MISSIONのリミックス制作が続くハードな日々を送っているので、いまは〈今後も音楽をやっていきます〉とか、そういう格好良いことは言えないんですけど(笑)。自分が格好良い音楽だと思っていても、聴く人に楽しんでもらえなかったら意味がないし、昔もいまも音楽を通じて人と繋がりたいという気持ちに揺らぎはないですね」(中野)。

 「完成した作品の大きな手応えと共に、いつか、このアルバムを振り返る日が来るんだろうなという予感があって。その予感を現実にするべく、どうにかして、音楽を未来へ繋げていきたいですね」(川島)。  

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