伝説のロック・バンド、グレイトフル・デッドが結成50周年を祝いつつグループとしてのフィナーレを飾るべく、サンフランシスコのベイ・エリアとシカゴでの〈サヨナラ〉ライヴを行った。グレイトフル・デッドは音楽史上において独特の地位を築いてきた。リード・ヴォーカルを立てることなく、メンバーは何度も変わり、そのうえヒット曲というものもほとんどないのだから、何においても型破りなバンドである。
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Posted by Grateful Dead on 2015年7月6日
1965年に結成されたデッドは、当初からメンバー同士の音楽の好みは少ししか共通する部分がなかったという。当初のオリジナル・メンバーは、熱烈なブルーグラス/カントリー愛好家で陸軍追放人のギタリスト/バンジョー奏者のジェリー・ガルシア、問題児で失読症の金持ちリズム・ギタリストのボブ・ウェア、クラシックの教育を受け電子音楽を学んだフリージャズのファンで、トランペット奏者からベーシストに転向したフィル・レッシュ、ブルース好きで酒飲みバイカー風のR&Bファン、ロン“ピッグペン”マッカーナン、そしてガルシアのジャグ・バンドのファンの円熟ドラマー、ビル・クレアッツマン。ビートルズ好きな面も垣間見せつつ、さまざまな〈ルーツ〉ミュージックのテイストを混ぜ合わせながら、しきたりなどをぶち壊すことに快感を覚えたような音作り。それにはLSDの存在も多少影響している。当初は1965-1966年にかけてSFのベイ・エリアで開催されていた作家のケン・キージー主催の〈アシッド・テスト〉いう一連のパーティーに出演し、もっぱらイヴェントのハウス・バンド的な扱いとなっていた。
実際、グレイトフル・デッドはSFのヘイト・アシュベリー発祥のヒッピー・ムーヴメント全体の〈ハウス・バンド〉的存在だったとも言える。アシュベリー通り710番の集合住宅で暮らしていたメンバーは、当時開催されていた数多くのチャリティー・ショウに出演していたことでも人気を集めていた。そういった慈善イヴェントを通して、ちょうどライヴ事業を推進しようとしていたビル・グラハムと親しくなった。また、ジェファーソン・エアプレインや(のちにジャニス・ジョップリンが加入する)ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーといった、ほかのSF拠点のバンドとも親交を深くしていた。時折共演をすることがあったこれらのバンドはみな、グラハムによってフィルモアやウィンターランドといった(いまは)著名な会場での公演を果たしている。また、この3バンドはいまや史上初めてのロック・フェスとして知られ、いわゆるSFサウンドのきっかけとなったとも言われる1967年の〈モントレー・ポップ・フェスティヴァル〉にも出演している。
時を同じくして1967年のSFではまた、ラルフ・J・グリーソンとジャン・ウェナーが音楽マガジンのローリング・ストーンを創刊し、タワーレコードがSFのフィッシャーマンズワーフ地域に新店をオープンした。こういったいろいろな要素が重なり、SFは文化の変化、オルタナティヴなライフ・スタイル、ヒッピーなファッションの渦の中心となり、また世界でもっとも注目を浴びる音楽シーンのメッカとなっていったのである。