混迷する時代に現れた衝撃的な内容のロック・アルバム――デビュー以来、35年の間、常に日本のロックを革新、牽引し続けてきた佐野元春が、この10年間自身が率いるザ・コヨーテ・バンドとともに作り上げたニュー・アルバム『BLOOD MOON』は、不安定で先の見えない不穏な現代を映し出す鏡のように鋭く直接的な言葉の数々と強いビートたちが詰め込まれた問題作ともいえる。そんな時代に対していちアーティストとしてどんなアクションを取るのか、ロックを体現すること~ロックという音楽の本質・真髄について、ソングライティング~表現することに対する持論、激動する音楽シーンを取り囲む環境についての見解、今後の音楽シーンへの思いなどを語った貴重なロング・インタヴューをお届けする。
多様化している音楽の聴き方の変化について
――新作『BLOOD MOON』は、販売の形態がいろいろあって選択できるようになっていますね。
「アナログ盤は180gの重量で、24bit96kのハイレゾ音源からカッティングした音ですのでいま聴ける最高のアナログ・サウンドだと思います。ハイレゾに関しては配信ではなく、あえてパッケージです。メジャー・カンパニーがみんな配信を出しますけど、デイジー・ミュージックではマーケティングの結果、USBなど何かしらの形の中に収めたほうがいいだろうということで、USBハイレゾ盤で提供しました。USBの中にはFLACとAppleロスレスのファイル・フォーマットで12曲ずつ、プラス6曲の映像データが入ってる。初回限定盤でDVDを付けてそこに映像を収録するケースが多いんだけども、DVDからたとえばiPhoneなどに簡単にはトランスファーできない。音にしても映像にしてもUSBに入れたデータで渡せばすぐに自分のiPhoneに映像も音も渡せるので、新しい聴き方、楽しみ方をしてもらえればいいと思う。
あとは、デラックス盤がCDとDVDを入れた初回限定盤として、それに通常盤。これに加えてダウンローディング。ですので、4つのパッケージと1つのダウンローディング、この販売形態でやれば、ほぼ現在のリスナー側の音楽環境をカヴァーできていると思う。あとは聴き手のほうで、自分の好きな音楽環境を選んでもらう。多様化している音楽の聴き方に合わせてパッケージを用意する、というのがレーベルの考えだ」
――佐野さんは長年レコーディング・アーティストとして活動していて、ハイレゾ、ダウンロード、最近ではストリーミングも始まりましたが、そういった音楽を聴く環境や方法が多様化しつつ激しく変化してる過程というか、ずっと変化し続けていますが、そういった状況をどう捉えてますか?
「〈変容〉だろうね、〈トランスフォーメーション〉。さなぎが蝶になるのと同じ。そういう変容の中にあると僕は思ってる。〈変化〉とかそういう生易しいものじゃなくて、これまでの規約とか構造が根こそぎ変わっていく、大きな変容の中にある。音楽の現場だけでなく社会全体が〈変容〉しつつある。たぶん何人かはビックリしてるかもしれないし、その変容に追いついていけない人もいるだろうし、その変容を快く思ってない連中たちもいるかもしれないけど、僕は風来坊なのであまり気にしちゃいない。先にくる新しい音楽シーンを早く見たいと思っている。新しい状況を生み出すもので、しかも可能性のあるものをどんどん試していきたいっていうのが僕の考え。せっかちなんだ」
――佐野さんは、これまでもそうでしたよね? 新しく登場してきたツールやテクノロジーなど、常に新しいものにトライしてきましたよね。
「思い返してみれば1999年。以前所属していたソニー・ミュージックが有料の配信サービスを始めた。業界で初めての試みだった。しかしそれがどういうものなのか、周囲は理解していなかった。ソニー・ミュージックは協力者が現れず困っていた様子だったので、僕がやるよって申しでた。曲でいうと“イノセント”という、ちょうど僕が20周年目を迎えたときのアニヴァーサリー・ソングで、それが国内の有料配信サービスの第一号となった」
――それはうまくいったんですか?
「当時の有料配信サービスはアーティスト側にリスクがあった。著作権利者への分配とかビジネス上の取り決めが曖昧のまま見切り発車で出発した。でも誰かがやらなければ始まらないことだったと思う。ソニーという会社は昔からパイオニアというかね、道を切り開いてきた伝統がある会社だから、それに則って有料配信サービスも自分たちで最初に始めたかったんだと思う。ただそれには著作権利者やアーティスト・マネジメントの協力が必要だ。それがなかったので、最初はうまくいかなかった」
――そのような状況を見てどう思いましたか?
「有料配信サービス=ダウンローディングはこの先、主流になっていくだろう、パッケージは衰退していくだろうなってことを僕は1999年に直感してた。だからいま、パッケージが売れなくてたいへんだと嘆く人は多いけれど、僕はそのころから見えていたので現状驚くことではないと思ってる」
強いインパクトを与えるアルバム・ジャケットのデザイン
――こうしてさまざまな形態の作品を目の前で見させていただいて、とにかくフロント・カヴァー、ジャケットのデザインのインパクトが非常に強く感じられます。今回、ヒプノシスといえばピンク・フロイドをはじめそのジャケットだけでインパクトの強い有名な作品の数々を作ってきたデザイン・チームですが、その流れを汲むデザイン・チームであるStormStudiosの方が作られたということなんですけど、これは佐野さんご自身のアイデアですか?
「オファーしました」
――どういった意図で彼らにオファーしたのでしょうか?
「今回の『BLOOD MOON』アルバムはイメージ的に多面的な構造になっている。なのでその音楽を包むパッケージも多面的な意味を持つグラフィック・アートがふさわしいと思った。自分は70年代音楽で育ってきた。なかでも、英国ヒプノシスの流れを汲むアーティストの作品は、非常に個性的で印象深い作品を残してきている。今回の『BLOOD MOON』アルバムのフロント・カヴァーのデザインは彼らしかいないと思い、依頼した。ロンドンにある彼らのオフィスに行って、『BLOOD MOON』について説明し、彼らとのディスカッションを通じて複数のアイデアが出てきた。その中で最終的に決まったのがこのグラフィックです」
――レコーディングする音楽というひとつの表現方法がありますが、パッケージ作品のヴィジュアル面でもクリエイティヴ・チームとのディスカッションがあって、ちゃんとひとつの作品を作るっていう過程があったってことですね。
「その通りです。以前からそうですけれども、自分はレコードができる全ての過程を自分でコントロールしている。詞を書きメロディーを紡ぎ、サウンド・デザインしてミキシングをしてマスタリングもし、パッケージを作って、それらを統合してファンに届けるという一連の作業です。なぜ一人でやるかというと、芯を通したいんですね。つまり詞とメロディー、リズム、グラフィック・アート、サウンド・デザイン、ミックス、マスタリング、映像に至るまで、作業上の境界線を無くしたいんです。それぞれの過程に継ぎ目がない、ひとつのものとしての表現が最高です。それを目指しています」
――実際に彼らとディスカッションしてから、このデザインが出てきたときにどう思われました?
「僕は日本の状況を話し、彼らはイギリスの状況を話した。世界的な傾向にあるかもしれないけど、全体主義的な傾向があるよねっていう話をした。その全体主義的な傾向をもろに音楽にしたりグラフィックにしたりしても意味がないだろうと。僕は『BLOOD MOON』で音楽として表現した。グラフィック・チームもグラフィックで表現したい、ということになった」
――独特のヒプノシス的な表現ですよね。
「僕にはすごくよくわかる。70年代から続くヒプノシスの一連の伝統的な表現ですよね。シニカルで乾いたユーモアのセンスがあり、そこに批評精神がある。UKとか日本とかアメリカとか国で分ける感覚ではなく、それはものすごくヒューマンな感覚だ。今回の『BLOOD MOON』の音楽表現がそうした彼らの表現としっかりかみ合うものなので、彼らに仕事を依頼したのは当然のことですし、彼らも期待以上のものを出してきてくれた。僕はこのフロント・カヴァーをとても気に入ってます」
10年かけて練り上げてきたザ・コヨーテ・バンドとのバンド・サウンド
――佐野さんがザ・コヨーテ・バンドを組んでから10周年、11年目に入っています。コヨーテ・バンド名義では2007年に『COYOTE』、2013年に『ZOOEY』をリリース。リリースに6年の間がありましたよね。そして今回の『BLOOD MOON』までは2年間。リリースのタームがすごく短くなった印象がありますが、何かしらの理由はありますか?
「『COYOTE』から『ZOOEY』まで、なぜ6年かかったかなって振り返れば思うんですね。その間セルフ・カヴァー・アルバムを出したり全国をバンドでツアーしてまわったりして過ごしてましたから、レコード・リリースのブランクはあったとしても仕事の充実はすごくあった。あの6年の間に思っていたことは、コヨーテ・バンドを一級のバンドにしたいっていうことですね。80年代のザ・ハートランド、90年代のザ・ホーボー・キング・バンド、それぞれ10年以上ともに活動してきましたけど、素晴らしいバンドでした。コヨーテ・バンドも00年代から先の僕のバンドとしてね、僕と一体化できる、そうしたバンドになってほしかった」
――その間、かなりのライヴをおこなっていますね。
「何をするかっていったら絶え間ないツアーですよね。最初は小さなライヴハウス・ツアーから始めて、ついに国際フォーラムを満席にするぐらいのバンドになった。この間だいたい6年以上かかってる、だからアルバム『COYOTE』から『ZOOEY』まで時間がかかったのはバンドとしての充実を図るべくライヴをたくさんやったっていうこと。その成果が『ZOOEY』。そしてさらに『BLOOD MOON』に結実したと思ってます。バンドは一朝一夕ではできない。この『BLOOD MOON』で聴いていただければ独特のグルーヴを感じるはず。それはずっと長い間ツアーをやった経験が役に立ってるんだ」
――その通りの印象で、コヨーテ・バンドではたしてどういうサウンドになっていくんだろうっていうのを楽しみにしつつ、『ZOOEY』が出たときに、個性ですよね。僕もザ・ハートランドのときからずっと聴かせていただいてますけど、今回の『BLOOD MOON』を聴いたときに、ありきたりな言い方ですけど強靭なグルーヴっていうか無駄のない、意思が違うところを向いてないというか同じ方向を向いてる。それはいまの話を伺ってなるほどなって。
「それは嬉しい批評ですね。日本にも世界にもいろんなバンドがありますけど、コヨーテ・バンドのバンドとしてのアイデンティティーをしっかり確立するんだっていうのが僕の中にありましたし、『BLOOD MOON』でそれは到達できたんじゃないかなって思ってます」
――それと同時に、今回のアルバムの印象なんですけど、『ZOOEY』からロック・バンドのビートの強さという変化をすごい感じたとともに、それはもちろん佐野さんのヴォーカルだったり歌詞だったりリズム、トータルでの表現のバランスだと思うんですけど、今回の曲の歌詞もそうですけど全体のイメージに沿ったことでバンド・サウンドがすごいビートが強くなったということなんでしょうかね。
「ソングライティングでしょうね。ソングライティングがそういう方向にきたから彼らもついてきてくれた。もともとプレイヤビリティーの高いミュージシャンたちですから僕の期待以上のものを叩き出してくれる。いい意味での共同作業の結果だと思います。90年代一緒にやっていたザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーとはほぼ同世代で、良質な米国のジャム・バンド的な音楽が得意だった。それに比べてコヨーテ・バンドはもっとロック・オリエンテッドだ。コヨーテ・バンドは全員が曲を書きます。うち何人かはレコーディング・アーティストとしてレコードを出してライヴもやって。世代的にいうと90年代グランジとかオルタナティヴを経由してきた世代。僕とはだいたい10歳ぐらい違うけれど、音楽的にとてもウマが合う」
――素晴らしいバンドだと思います。
「ありがとう。彼らもソングライターなので僕の書く曲をよく理解して演奏してくれる。それも長い間ライヴをともにやってきた成果かなと思っている。ハートランドにしてもホーボー・キング・バンドにしてもだいたい5年ごとにクリエイティヴなピークが来た。コヨーテ・バンドは10年ということでいま第二回目のピークがきてる。このときにアルバム『COYOTE』『ZOOEY』『BLOOD MOON』、そしてコンサート・ツアーが出来たのはすごく僕にとって嬉しいことですよね。いい記録になったと思います」
アルバム『BLOOD MOON』のタイトルについて
――『BLOOD MOON』というタイトル、人によっていろんな捉え方ができる言葉だなと僕は思ったんですけど、僕のイメージとしてはちょっと不穏なというか、古よりちょっと不調が起きる前に予兆としてそういうものが出るよ的な言い伝えみたいなのがずっとあって、そういうイメージも入ってるなって思いました。そこは今回の全体の曲、トータルの中で世界観みたいなものを象徴する言葉として選んだって感じですか?
「東西を問わずブラッド・ムーン、紅い月っていうのはあまりいいイメージじゃないですね。ロンドンのグラフィック・アーティストもタイトル何だ?って話になったときに、『BLOOD MOON』だよって、欧米ではどういうイメージ?って聞いたら、ちょっと不吉な感じだなって言ってた。そうしたブラッド・ムーンをめぐるこれまでの印象はあるとしても、今回の作品でこのブラッド・ムーンというイメージにまた新しい解釈が加わるような作品にしようって話をした。僕は音楽でやるからグラフィックで表現してみたらどうだろうと話した」
――と同時に、いろいろなイメージで捉えられて、ブラッドっていうとすごい身体性、肉体性、生命にもつながりますし、ムーンは象徴的ですよね。
「ルナティックとか、狂った状態とかね」
――生活、人生、生きることみたいなところにも、さきほど多面性のあるって仰ったのをいろんなイメージを一つの言葉で言い得てるとも言えますよね、『BLOOD MOON』というタイトルは?
「『BLOOD MOON』というタイトルは、2曲目に収録した“紅い月”から取りました。曲はレコーディング・セッションのわりと早いうちからできていて、この曲が持ってるムードがアルバム全体を決定づけていくだろうなと予感していました。自然とそこからタイトルになりました」
『BLOOD MOON』は2015年現代の日本で機能するブルース~ロック・アルバム
――ラヴ・ソングが多かった、すごく穏やかなソングライティングの『ZOOEY』の続編じゃないけど、そういったところをまた聴けるのかなという、僕の勝手な期待があって。それでいざ、『BLOOD MOON』を一番最初に聴かせていただいたときに結構大きな衝撃を受けました。僕は音楽ジャーナリストなので頭の中で聴いている音楽をすぐ言葉に変えなくちゃっていう癖があるんですけど、〈2015年の現代の日本で機能するブルースでありロックである〉っていうのが僕の最初の印象です。
「それは嬉しい評論ですね。僕にとってブルースやロックは馴染みの良い音楽だ。自分は60年代後半から70年代のロック音楽で育ってきた。当時のロック音楽はカウンター・カルチャー(対抗文化)の象徴だった。僕は「ロック音楽というのはカウンターである」ということが骨身に沁みている世代だ。だからカウンターでないものはロックではない。カウンターでないものはただのポップだ。しかしたまに、カウンターとポップが共存してるすごい音楽もあった。僕が目指すところはそこだった。今回の『BLOOD MOON』もそうだ」
――例えば、『BLOOD MOON』のどの曲ですか?
「例えば一聴してわかるのは“キャビアとキャピタリズム”。これは抵抗の歌だ。民衆の歌でありブルース。権力者に向けた揶揄もあるし悲哀もある。僕がロック音楽やブルース音楽に心惹かれるのはそこ。弱い立場からの抵抗がそこにある。決して強い立場の音楽ではないということですよね。弱い立場にあるものたちのすぐ隣で彼らの喜怒哀楽をそっとサポートする音楽がブルースでありロック音楽である。当然そこにカウンターの意識がそっと滑り込むのは当たり前の話だ。この意識がない音楽は、正直言って自分にとってはあまり魅力を感じない」
――いまのお話を聞いて、『ZOOEY』の中で僕が一番好きな曲“虹をつかむ人”の中で、〈♪街には音楽が溢れてるけど 誰も君のブルースを歌ってくれない〉っていうパンチライン一つで、このアルバム名作でしょ?っていうぐらい、そこがすごいリアリティーがあったんですよ。何で世の中がこんなおかしなことになってて、ミュージシャンって毎月いっぱい作品を出していていろんな言葉の歌詞を歌ってるんだけど、僕も感じていたこと。なんで日本語があって思ったことがあるのに、それを素直に表明してくれる表現者がいないんだろう?って思ってたときに佐野さんがさり気なくスッと歌にしてくれていて。それがすごい繋がってるなって思ったんですよね。
「“虹をつかむ人”は自分でもうまくいったなって思ってる。あのラインに注目してくれたのは嬉しい。僕が注目して欲しいのはあのラインを包むサウンドだ。僕流のウォール・オブ・サウンド。僕が幼い頃ラジオで聴いたフィル・スペクター・サウンドですよね。ロネッツのあの豪華な力強い都会のサウンド。80年代の“SOMEDAY”から始まり“月夜を往け”でも試したし、“虹をつかむ人”もそう。今まで自分のレパートリーで何度試したかわからない、ウォール・オブ・サウンドですね。このサウンドがあって、初めてあのラインが活きてくるんだと思います」
――『BLOOD MOON』を最初に聴いて感じたのが、『The Circle』というアルバムがありましたよね。あのアルバムを最初に聴いたときに受けた衝撃とちょっと似たものを感じたんですよ。あのときも、イカした陽気なロック・アルバムだろうなっていう勝手な期待を持って聴いたので、1曲目から……。
「“欲望”でしょ」
――オオッ、どうなってんだ!?っていう。
「ディープなディストーション・ギター・サウンドから始まって」
――あのアルバムに近いショックを感じました。やはり佐野さんが表現者として時代の雰囲気、ムードみたいなものを感じ取って、そこで素直に表現したときに、あの時代とはちょっと違うとは思いますけど、あのときも80年代バブルの狂乱みたいなものが冷めた後の90年代みたいなタイミングだった。いまも先が見えない不況どころか、世界的にもおかしなことが毎日毎日起こって、すごい好景気でワ~っていう能天気ではないっていう意味では近い時代の雰囲気だったかもしれません。
「『The Circle』を出したのは93年。バブル経済は破綻して、新興宗教をはじめとする不可解な事件が頻繁にあった。何よりも湾岸戦争が暗い影を落として。当時、ロンドンに滞在しながら自分はいま戦時下にいるという意識が強かった。現在も実際こうして暮らしていてすぐ隣に戦争があるわけではないけれども、意識として自分は戦時下にいるんだと感じている。『The Circle』をリリースした93年の頃の自分と『BLOOD MOON』を出した2015年の自分。状況的に切迫感という意味において共通するなと思いますね」
――どんなときに曲ができるんですか?
「アーティストっていうのはよく炭鉱の中のカナリアを例えで言うんです。炭鉱の中でガスが充満してくるとカゴの中のカナリアは羽をばたつかせて炭鉱夫たちにガスが充満するぞ、みんな注意しろって警告する。アーティストっていうのはそのような役割かなと思っている。アーティストは多面的に物事を見てるんですよ。みんなが見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、みんながおもしろがってるものとは違う感じ方を持っていたり。そうした複合的な視点をまとめてそこに言葉を与えよう、メロディーを与えようとするときに曲が出てくる」
直接的な表現が多く、言葉が聴く者にダイレクトに突き刺さってくる
――これまでの作品よりも『BLOOD MOON』の特長として、詞の表現方法として比喩や暗喩、象徴的なものを使うテクニックというか、表現をしたいときにはそういった方法もあると思うんですけど、これまでよりも直接的な言葉が非常に多くて、そのひとつの言葉のイメージをいろんな視点から楽しむっていうより、ダイレクトに突き刺さってくる言葉を多く使ってるなっていう印象を受けました。それは、この時代に生きる表現者としての自分の中から湧き上がってくる欲求によるものだったのでしょうか?
「いい指摘だね。『ZOOEY』のときもそう言われました。今回の『BLOOD MOON』も『ZOOEY』のソングライティングと同じように作りました。だから仰ること、すごくよくわかります。最近思うのは、聴き手に辛抱強さが無くなってきているな、ということ。辛抱強さが無くなってきている聴き手に聴いてもらおうということであれば、自分も辛抱強く無くなる。表現が直接的になる、ということですよね。持って回った言い回しではなくズバッと言わなきゃだめだ、ということ」
――どんな工夫をしましたか?
「リリックはポエトリーだから、直接的ではあるんだけれども表現に奥行きが欲しい。そして、やっぱパンチラインだよね。クールなパンチラインっていうのは絶対必要。聴いた誰かがすぐ真似して応用したくなるようなクールなパンチライン。ギターリフもそう。ギター弾いてる男の子がいまにでもすぐに弾いてみたいと思えるギターリフだよね。そんなふうに工夫する」
――どの曲でもハードでへヴィーな現実みたいなところを描きつつ、登場人物は心に痛みを感じてたりダメージを受けてたり嘆かざるを得ないような状況だったりみたいなところが描かれてると思います。でもどの曲にも希望のキーもちゃんと歌われてるのが特徴だなって僕は聴いてて思ったんですよ。例えば音楽にしろ文学にしろ映画にしろ様々な芸術作品がありますけど、ただ単純に言いたいことがあったらアジテーターになればいいのか政治家になればいいのかっていうのもちょっと違うっていうか、それもひとつの表現手段かもしれませんが、自分以外の他者とのコミュニケーションにおいて、ポップ・ミュージックのアート・フォーマットを使うっていうのはとても有効なんじゃないかなって感じましたね。
「仰る通りでロック音楽にしかできない表現っていうのがあるんですよ。自分はなぜ35年間もこの表現に憑りつかれたようにやってるかっていうと、まさにそこに表現の可能性を見てるからなんですね。うまくいったときには他のアート表現がかなわないぐらいパワフルな力を発揮する。ロック音楽がただのアイラヴユー、ユーラヴミーの世界観であったり、10代の不平不満を吐露するものであったり、ただ世間に悪態をつくだけの音楽だとしたら、僕は35年間も関わってない。ロック音楽っていうのは経験上、他のアート表現に比べてもっとも強い訴求力を持った表現形態だと思ってる。だからずっとこの表現フォーマットに拘ってやってる」
――先の見えない不安定な世界って感じてる人も多いと思います。とはいえ生きていくわけですね、僕らは毎日をね、日常の生活を。『BLOOD MOON』で印象的だったのは、待つな、待っていても何も変わらない。自分で正しいと思った意志があったら、その強い意志を持って行動しろ、っていうところがものすごい強いメッセージとして僕は受けました。
「でも僕はそのメッセージには責任は持てない。僕は風来坊だし、風来坊の言うことなんて世間はどれくらい真剣に聞いてくれるかなって話だ」
――曲はどのように書くんですか?
「僕はこれまで、状況に飛び込んでいってそこで発見したり気づいたことを音楽にしてきた。フィールド・ワークっていうのかな、とにかく移動しながら詞を書くのを得意としてる。音楽の中の言葉が自分にとってもいつもリアリティーがあるようにっていうところが一番大事なところだ。絵空事は書けない」
――どんなことを伝えたいですか?
「ときどきリスナーの何人かは最初聴いたとき、これ絵空事じゃないのか?って思うんだけど、10年経った後、リアリティーをもってそのリスナーに迫ってきて、こんな歌だったのかと気づいてくれることもある。作者の僕の経験をみんなが同じように追体験できるとは限らないってことの事例だ。それはそれでもちろんかまわない。ただロック音楽には表現としてすごく可能性があるんだ。表現力の高い表現フォーマットだよってことはずっと信じてるし、うまくいってるかわからないけどそれをどこか証明したいんだろうね、僕は」
曲ごとにそれぞれのストーリーがある、ムービー・カメラのようなクールな表現
――『BLOOD MOON』を聴いていて、特徴的でおもしろいなと思ったのは、曲によってさまざまな立場にいる人にフォーカスをする。リアリティーを感じる短編小説集的にも感じたんですよ。ソングライティングにおいて、インスパイアされる要素っていうのは、現実の世界で目にしたこと耳にしたことからビビッときて作られるものなんでしょうか?
「きっかけはある。だけど現実をそのまま表現してもうまくいかない。それじゃ個人のブログ日記で終わってしまう。僕はそれを超えてストーリーを紡ぎたい。ストーリーっていうのは聴き手が男性であれ女性であれ、どんな世代の人でも自分のストーリーとして楽しんでもらえるので聴く人を問わない。なので自分もそうですね、アルバム『COYOTE』『ZOOEY』『BLOOD MOON』、この三作については特にストーリーテラーであろうと工夫しました」
――個人的には、佐野さんの曲の中ではもちろんヒット・シングルも好きなんですけど、ささやかなんだろうけど実は味わい深いみたいな曲が好きっていうのが昔からあって。日常のさりげない描写もちょっとした人の感情の日常の中での機微というか、ひとつの言葉ではなかなか言えない感情みたいなところを描く曲がとくに好きだったりするんですよ。レイモンド・カーヴァーの短編小説にも感じるようなところだと思うんですけど。
――さきほど僕が好きだと言った“虹をつかむ人”もそうですけど、“冒険者たち”とか『THE SUN』の中の“希望”とか。直接的な明確な感情表現とかメッセージじゃないものっていうのは、小説や映画のような組立のストーリーっていうか、これは音楽自体とは離れちゃうかもしれないんですけど、物語を紡ぐっていうところのモチーフはどういったところからきます?
「今回の『BLOOD MOON』アルバムでいうと、“本当の彼女”ですね。一人の女性をスケッチしました。日本の歌にありがちなのは私小説的な表現。私を中心とした世界観。日本の歌にあるもうひとつの特徴的なことは抒情であるということ。これは悪いことではないんだけれども、抒情っていうのは人によって感じ方が千差万別。歌い手が悲しいと歌っていてもある聴き手にとってはどこが悲しいんだっていうようなこともある。だから自分がソングライティングするときには、三人称の視点で書くことが多い。叙情ではなく叙事的な表現でいい曲が書けないか工夫をしてきた」
――個人的な感情はさておいて。
「自分のことはまず横に置こうという話。自分が悲しいとか怒ってるとかはどうでもいい。僕がやりたいのは、目の前で起こってることをどれだけ冷静にスケッチできるかということです。それは映画製作でいうとムービー・カメラマンの視点だ。ムービー・カメラマンは監督の要請に応じて役者たちの演技を記録する。ときには女と男が痴話げんかで泣き叫んで大変なことになってるのをムービー・カメラマンはひとつの情景として冷静に切り取る。冷静に切り取られた場面を見て、観客はそこで何が起こってるんだろうということを自分の方から状況をとりにいく。僕はこの手法こそがいい手法だと思ってる」
ソングライティングの本質~音楽は時代や世代の境界線を越える
――ザ・コヨーテ・バンドが10周年、佐野さんがデビュー35周年。音楽活動、表現活動はまだまだ続くと思いますが、今後はどういった考えやモットーで活動していこうと思いますか?
「考えは特にない。今までどおり自分のやり方でいくし、それしかできない」
――曲作りで大事にしていることはなんですか?
「自分の場合、今回もそうですけれど、どうも歌詞に焦点があてられがちです。歌詞に関心を持っていただくということはすごく嬉しいんですが、それを形にしてるのはビートでありハーモニーであり演奏でありヴォーカルであり、もっと広く言うとサウンドのデザインですよね。自分にとって歌詞はもちろん大事ですが、全体のデザインの一部にすぎない。誰でもいいのでもっと演奏やバンドのパフォーマンスについて注目して欲しい」
――日本のミュージシャンがどうしても、ロックだとしたら英語圏で生まれて発達した、英語のビートがくっついてるみたいなところで昔から日本語をどうトータルのサウンドとしてうまくつけられるかっていうのは、みんなずっとチャレンジしてるというか。僕、ゆらゆら帝国というバンドの坂本慎太郎さんのインタヴューをしたときもやっぱり同じことを仰ってました。言葉をどう最適な音に落とし込めるかをずっと作業してて、今日もできなかったって1日が終わるみたいなことが続くみたいなことを言ってて。
「そこ、工夫なさってるんだろうね」
――一番しっくりくるというか、かっこいいかたちに完成させるっていうところですよね。佐野さんはデビュー時から日本語とビートの関係に意識的でしたね。
「ロックンロール音楽やブルース音楽っていうのはどこの文化にでも入り込んでいって、そこの文化圏でローカライズすることができる汎用性の高い表現フォーマットだ。日本では自覚的なソングライターが出現したのは60年代でしょうか。それまでは欧米の楽曲のカヴァーが多かったけれども、60年代には日本語でロックをやってみたいというひとたちが出てきた。その中で先陣を切ったクリエイティヴなバンドは〈はっぴいえんど〉。松本隆さんの詞を見てみると欧米のロック音楽のフォーマットに日本語をどう機能させたらいいのかという悪戦苦闘が見える。大瀧詠一さんの文節をぶった切ったような歌唱方法もそうですよね。先人の創意工夫があり試行錯誤があり、僕は1980年に“アンジェリーナ”という曲を出した。それまで一音に一語しか乗らなかったところ、一音に複数の言葉を乗せたソングライティングと歌唱でやったのが“アンジェリーナ”。そこに新しさを感じてくれた人もいると思う」
――最近の音楽を聴いてどう思いますか?
「技術的に日本のミュージシャンも欧米のミュージシャンとひけをとらない素晴らしいプレイをするようになった。ハードウェア、ソフトウェアの発達で、例えば60年代モータウン的なサウンドを作ろうと思ったら素人でも作れる時代になった。そこで僕らが問われてるのは〈どういうつもりで音楽をやってるんだ〉っていうその態度だと思う。音楽の世界にも市場原理主義が押し寄せてきてる。売れることに焦点を合わせすぎると、創作のダイナミズムが失われる。自分も含めてそう思っている」
――『ZOOEY』も『BLOOD MOON』も、聴く人の世代を問わない内容になってると思うので、ある特定の世代に向けてではなく、全ての音楽ファンに向けて、この時代に、こんな良い音楽があるよって示したいって思います。
「僕は自分の新しい作品を作るときにまず聴いてもらいたい世代は15歳から25歳。自分がロック音楽に目覚め、ロック音楽から多くのことを学んだ時期。だから新しいアルバムを作るたびに、僕のこのレコードが15歳から25歳の誰かの耳に届くようにと思ってる。そう思ってれば必ず届く。そして彼らも楽しんでくれると自信をもっている」
――老若男女問わず、楽しんでくれると思います。
「自分の話になるけれど、16歳のときに、自分よりずっと年上のランディー・ニューマンのレコードを聴いてなぜだかわからないけど涙が出た。英語でなんて歌ってるかわからないけれども彼の音楽のリアリティーが多感な僕の心を掴んだんだろうね。音楽にはそんな可能性がある。音楽を世代で区切るような風潮はナンセンスだ」
――特に日本がですよね。ジャーナリズムの紹介の仕方も僕はよくないなって感じています。この人たちにしか話さないみたいな小さい村みたいになりがち。日本人の歴史の特性上なのかもしれないんですけど、聴いてみたら絶対なんかビビッとくるものがあるよっていうラインをぶった切るような悪しき紹介の仕方が多い気はします。
「境界線をとっぱらっていくのは音楽だからできるんじゃないかなと思う。最近はロック・フェスティヴァルが日本のあちこちで開かれてる。時々出演しますが、若い聴衆の前で演奏するのは楽しい。彼らも楽しんでくれてるように見える。ロック音楽で世代を越えていける。これはずっと昔から思っていたことなので、これからもやっていきたい」
――欧米の成熟さにどこまで日本も同じようになるかっていうか、世代を問わず音楽を楽しむっていう、もっとオープンで開けた状況になるといいなと思いますね。
「ソングライターの力が試されてると思うよ。僕の友人で40代のソングライターが何人かいる。いい曲を書いてるんだけど、彼らの音楽を求めてるリスナーに届いてないという状況がある。どうやったら届くかなっていうことをいつも考えてる。この問題が解決したときに日本の音楽の状況はまたひとつ変わっていくと思う。成熟するっていいことだよ。成熟っていうのは大人になることじゃないから、よりピュアになっていくっていうことだから」
――より開かれたところを目指して、Mikikiもやっていこうと思います。
「楽しくいきましょう!」