深沼元昭(ギター)、藤田顕(ギター)、高桑圭(ベース)、渡辺シュンスケ(キーボード)、小松シゲル(ドラムス)――優れたミュージシャンシップを持つ5名から成るバンドがTHE COYOTE BANDだ。2005年に結成され、佐野元春のバックを20年にわたって務めている彼らは、それ以前に佐野を支えたHEARTLAND、The Hobo King Bandと同等……いやもはやそれにも増して、佐野元春サウンドの形成に貢献していると言っていい。

そして、このたびリリースされる佐野元春 & THE COYOTE BAND名義でのニュー・アルバム『HAYABUSA JET I(ハヤブサ・ジェット・ファースト)』は、その印象をさらに強く印象付ける作品だ。“ヤングブラッズ”、“ガラスのジェネレーション”、“約束の橋”など佐野が80~90年代に発表してきた10の名曲を、THE COYOTE BANDで再録音。オリジナルとアレンジが大胆に変わっているのはもちろん、歌唱、歌詞、さらに一部はタイトルまでも変えられている。なぜ佐野元春は、いまのタイミングで過去の楽曲を新しい形で再提示しようとしたのか。その理由を本人に問うた。

※このインタビューは2025年3月25日(火)に発行予定の「bounce vol.496」に掲載される記事の拡大版です

佐野元春 & THE COYOTE BAND 『HAYABUSA JET I』 DaisyMusic(2025)

 

THE COYOTE BANDは僕の歴史でもっとも長いバンドになった

――佐野さんがTHE COYOTE BANDを結成されたのは2005年。深沼元昭さん、高桑圭さん、小松シゲルさんとのセッションを出発点に、追って藤田顕さん、渡辺シュンスケさんが加わり、佐野さんを含む6人組の現編成になりました。改めて当時の佐野さんが、自分より一回りも違うミュージシャンたちとバンドを組もうと思った背景から教えてください。

「バンドを一緒にやるうえで年齢は気にしない。THE COYOTE BANDはみんな90年代のオルタナティブなロック音楽を聴いて育った世代だ。僕は70年代の音楽で育った。一緒にバンドを組んだらきっと楽しいだろうと直感した。過去のふたつのバンド、80年代のHEARTLAND、90年代のThe Hobo King Band。彼らとは違う、新たにもっとモダンでギター傾向のロックンロールバンドをやってみたい、そう思って出発したのがTHE COYOTE BANDです」

――THE COYOTE BANDと最初に制作したアルバム『COYOTE』(2007年)時のインタビューで、佐野さんは自信とバンドとの関係を「ポール・ウェラーがオーシャン・カラー・シーンやオアシスのメンバーとライブをしたり、スタジオに入ったりという感覚に近い」と話されていました。ただ、そこから20年経って、もはやレジェンドが自分を慕う後輩を引き連れて……という雰囲気ではないように感じます。

「(ニヤリと笑って)違うね。HEARTLANDがだいたい14年、The Hobo King Bandは一部のメンバーとはまだ続けていますけれど、実質バンドとして活動を続けたのは約12年。THE COYOTE BANDは、僕の歴史のなかでもっとも長いバンドになりました。スタジオアルバムも今回の『HAYABUSA JET I』を入れて7枚。残した作品の枚数もいちばん多くなった」

――結成した頃と現在でTHE COYOTE BANDが変化した面は?

「THE COYOTE BANDを結成したときは、〈HEARTLANDやThe Hobo King Bandみたいな素晴らしい演奏がお前らにできるのか〉といった厳しい目もあった。メンバーたちもそこにプレッシャーを感じていた。

でも、変化が訪れたのはアルバム『BLOOD MOON』(2015年)を出したとき。あのアルバムはバンドとしてのアイデンティティーがしっかりと確立した作品だった。自分もソングライターとして新たな領域に踏み込んでいた。ツアーではクラシック曲に頼らず、THE COYOTE BANDのレパートリーだけに絞った。それがとても上手くいったんですね。ファンがそれに熱狂してくれた。そこからいまに繋がる、THE COYOTE BANDの飛躍があったように思います」

――『BLOOD MOON』はTHE COYOTE BANDの結成10周年にリリースされた作品でしたね。

「そうだね。HEARTLAND、The Hobo King Bandの時も、10年を超えたところでクリエイティブなピークが来た。一緒にライブ、スタジオレコーディングをやっていると、自分の場合10年というのが一つの節目になるようだ」