
ちょっぴり(どころじゃないですね)時間が経ってしまいましたが……昨年11月に東京・大阪で来日公演を行った、シカゴの大御所・トラックスマン。来日前に掲載した当連載Vol.7でも解説されているので、彼についてのあれこれは割愛しますが、このタイミングでD.J.Fulltonoが訊いてみたかったことをぶつけるべく、トラックスマン(サイゼリヤの〈エビとイカのドリア〉ラヴァーであることが話題に)に直撃する機会を得ました。一旦話しはじめると湯水の如くさまざまな思いが溢れ出す彼のトークにやや面喰らいつつも、DJとして、プロデューサーとして真摯に音楽と向き合うトラックスマンの美学が窺える話や、故・DJラシャドとのエピソードなど興味深い内容に胸熱です!

いつも頭にあるのは、常にDJであること
D.J.Fulltono「また来日してくれてありがとう」
トラックスマン「いや、こっちこそサンキューだよ。まじ、サンク・ユー!」
D.J.Fulltono「前回と同様に盛り上がったけど、手応えはどうでしたか?」
トラックスマン「(日本に)来るたびに良くなってるし、デカくなってる気がする」
D.J.Fulltono「今回、ハウスからスタートして、ゲットー・ハウスやフットワーク(ジューク)を軸に、色んな音楽をミックスしてましたね。あれが普段のスタイル?」
トラックスマン「まぁ、それこそが〈DJをする〉っていうことだと思うよ。ジュークDJだとかフットワークDJだということではなく、自分は〈DJ〉である、ということを示したいんだ。他のDJとも話すことなんだけど、DJのアート(美学)っていうのはスタイルを型にはめるのではなく、すべてのスタイルに手を出してみることにあると思ってる」
D.J.Fulltono「僕もそう思う。僕もテクノからエレクトロまでやりますからね」

トラックスマン「そう、マルチタスクだよ。テクノ、ドラムンベース、ジャングル、ダブ……ああ、ダブはそれほどでもないかな。UKのグライムやガラージ、インディカ・ハウス※とかね。とにかくさっきも言ったように、自分を型にはめず、めざすのは〈DJたちのフェイヴァリット〉になることさ」
※トラックスマンいわく「アフリカの土着民族っぽいサウンド。マイクQに似た感じ」とのこと
D.J.Fulltono「僕はもともとアメリカのダンス・ミュージックばかり買ってたから、それほど幅広くはできないなけどね」
トラックスマン「君のことに関して言うとね、ラシャドが日本でDJした後※に電話で話した時、君の名前を挙げていたんだ。〈いるぜ、日本に(注目したほうがいいDJが)いるぜ〉って。忘れもしないよ。そして俺はそれを賞賛と捉えたんだ。なぜなら〈そいつ、君(トラックスマン)にそっくりだったぜ〉なんて言うもんだからさ。俺は〈マジで!?〉って感じ。で、フルトノのトラックをかけてくれたんだ。で、〈ほら、そっくりだろ?〉って」
※2014年1月に行われた〈Hyperdub 10〉ツアーでの初(で最後の)来日時
D.J.Fulltono「僕はラシャドやトラックスマンの曲からインスピレーションを受けて、それをどうにかして自分のものにしたいと思って作ってるから、もちろん似てるとは思うよ」
トラックスマン「トラックのパターンとかね。フルトノの言う通りさ、俺が選びそうなパターンのものだった。で、思ったんだ、〈こいつ、俺と同じような思考だな〉って」
D.J.Fulltono「例えば、トラックスマンの“Bussin”は衝撃的で、スネアの打ち方とかそのまま真似したこともあるし」
トラックスマン「ああ、あれね! DJボビー・スキルズにリズム・マシーンを返さなきゃいけなくて、返す直前に急いで“Bussin”を書いたんだ。“Blow Your Whistle”もその時に作った曲なんだけど、10分ぐらいで作ったってのに、大ヒットしたんだよ。あの時ボビーは〈早く返しやがれ! 早く早く!〉っ て迫ってきてた。すごく考えて作った曲に聴こえるけど、実は衝動的に出来た曲なんだよ。ボビーの目の前で〈ほら、いまレコーディングしてるからなー〉なん て言いながら、あの〈ピッピッピッピッ ピピピピ ピッピー〉の時には奴はすでに家の中に入ってきてたからね。そうしたらボビーの動きが止まって、〈オッケー、じゃあ早く完成させな。あと10分だからなー〉って言ってた。あのホイッスル音はクール・アンド・ザ・ギャングからサンプリングしてるんだ。あとリン・コリンズの“We Want To Parrty, Parrty, Parrty”からもサンプリングしてるよ」
D.J.Fulltono「(ボビーがマシンを取りにこなければ)何かメロディーが乗る予定だったんですか?」
トラックスマン「そうだねぇ、たぶんそうなっていたと思うよ」
D.J.Fulltono「また“Bussin”に話を戻すけど、あのトラックのスネアの音は?」
トラックスマン「(TR-)909だよ。(TR-)808と909のタム。“Bussin”は結構クールなアイデアがあったんだよね。50セントが使っていた音をサンプリングしたんだ。他のアーティストと比べて俺のスタイルはオーソドックスではない部分が強くて、何が起こるかわからない、そこが自分の持ち味かな」
D.J.Fulltono「なるほど。その“Bussin”を聴いてスネア・パターンを真似た僕の曲を聴いてみてください」
トラックスマン「なんて言ったらいいかな……俺がリズム・マシーンを使って学んだのは、タムはキック音をバウンスさせて、キックはスネアをバウンスさせる。それはスリージーD(Sleezy D)※の“I’ve Lost Control”(86年)で学んだんだ。聴くとわかるよ、レイヤーにレイヤーを重ねると全部の音が弾んでいる感じになる。それがユニークなんだ。“Bussin”にもそういう感じが聴き取れるはずさ。それがフルトノのこの曲からも聴こえるよ」
※86年にトラックス(Trax)で“下掲のI've Lost Control”のみ作品を残し、それがアシッド・ハウスの金字塔となっている謎のヴォーカリスト。“I've Lost Control”は、マーシャル・ジェファーソン(彼の解説は後記)による10分に及ぶスーパー・マッド・アシッド・グルーヴに乗った〈アイヴロ~ス・コントロール〉というヴォーカルが印象的だが、さしたる展開はない。しかしそのドラッギーな中毒性でいまなおフロアを虜にしている。ちなみにDJピエール“Acid Trax”(87年)と〈アシッド元祖争い〉が生じているが、どちらが起源かは不明
D.J.Fulltono「あなたはそれを直感的に作れるけど、僕は同じループを1週間くらい聴いたりしてやっと作れるんですよ」
トラックスマン「もう頭の中で出来ているからね。リズム・マシーンの前にいなくたって出来るさ。トラックを作る時は、すでにそれが頭の中で鳴っていて、そこからアウトプットしているようなものなんだ」
D.J.Fulltono「大阪で一緒にMPCを叩いて曲を作ったけど、あなたは15分ぐらいで形にしていた。僕にとってそれは考えられないことです」
トラックスマン「そうだね、あの時は時間が決まってたから急いでいたし」
D.J.Fulltono「あと30分で家を出る、っていう時に〈曲を作ろう〉と言い出すから……」
トラックスマン「ここ(東京)に来なきゃいけなかったからね。でも、(曲を作っているところを)見せられる時間があって良かったよ。時間に余裕があったら2~3時間は一緒にやっていたかったよ。それができたら20曲は出来ていたね」
D.J.Fulltono「常にトラックを作り続けてるんですか?」
トラックスマン「いつも頭にあるのは、常にDJであること、それがまずいちばん。曲作りはその次だよ。ストラクチャーを築いて音楽を作るっていうのを本当に学んだのは、マーシャル・ジェファーソン※1やラリー・ハード※2か。直接本人たちから学んだのではなく、曲を聴いて学んだんだ。他の人と同じように、最初はいちファンでしかなかったけど、後に俺もDJになって、彼らと会うこともできた。曲作りを始めた当初は、スリック・リック※3とつるんでいたんだけど、87年にはスリック・リックが僕をDJファンク※4に紹介してくれた。カシオRZ-1とかで曲を作ってたんだ。87年にはジャミン・ジェラルド※5とも出会って、彼は自分が出会った人のなかで初めて自分の曲をプレイする人だった。もう唖然としたね。タスカムのテープ・デッキでプレイしてたんだ」
※1 “Move Your Body”“Lost In The Groove”“Do The Do”といった名トラックを生み出した、シカゴ・ハウス界のクラシック製造機。ヴァーゴ(Virgo)やジャングル・ウォンツ(Jungle Wonz)、オン・ザ・ハウス(On The House)など多数の名義を使い分け、アシッドからジャック・ハウスに歌ものまで、幅広く手掛ける。メインではないが、先に登場したスリージーD“I've Lost Control”やテン・シティのアルバムなど、初期シカゴ・ハウスの傑作で彼が関わった作品は数多い
※2 かのロン・ハーディも愛した、シカゴ・ディープ・ハウスの礎を築いた巨人。トラックスやDJインターナショナルからリリースした“Can U Feel It”“Music Is The Key”など、メロウかつエモーショナルなハウスで知られる。特に“Can U Feel It”のキング牧師のスピーチをそのままサンプリングしたヴァージョンが有名。その一方で、ミスター・フィンガース(Mr. Fingers)やガーキン・ジャークス(Gherkin Jerks)、ディスコD(Disco D)などの別名義では、ミニマルでフリーキーなマッド・アシッド・トラックも多数手掛けており、そちらでの顔も近年再評価が著しい
※3 トラックスマンが所属する、92年に設立されたシカゴ・ウェストサイドのハウスDJクルー、ゲトーDJz(GETO DJ’Z)の主要メンバー
※4 90年代にゲットー・ハウスを世界に知らしめた功労者。2000年代のジュークを経て、現在はEDM界隈へも進出する、シカゴ・ウェストサイドが産んだスーパースター
※5 DJ ファンクと共にシーンを盛り上げたゲットー・ハウス・レジェンド。ゲトーDJzのメンバーでもある

D.J.Fulltono「ピッチが変えられるテープ・デッキですよね」
トラックスマン「その通り! それを使っていたんだ。それに衝撃を受けて、ただのDJだけじゃなくて、自分の曲も作ろうと思うようになった。そこについては本当にジャミンには感謝してる。ミックスした曲がクールなのはわかってても、タスカムの前に立ってプレイされたら〈いよいよ(彼の)曲をかけるぞ〉とワクワクしたし、かかった曲を聴いては〈いまの、どうやったんだ!?〉って感嘆したものさ。みんなでよくファクトリーというクラブに行くようになって、そんななかで自分のスタイルを身に付けていったんだ」
D.J.Fulltono「なぜ自分の曲をかける必要があると思ったんですか?」
トラックスマン「よくわからないけど、それが〈自分の個性を出す〉ってことだったんじゃないかな。自分がファクトリーに出入りしたり、聴いてきたレコードに出会っていなければ、自分のスタイルを確立することはなかったと思うよ。自分の時代はすべて完全に808に対応している時代だった。(曲をかけて)これがファクトリーのトラック。ここからみんなのスタイルが生まれてきた。(別のトラックをかけて)これとかフットワークの生まれた原点だけど、誰もそれを知らないだろ。〈フット・シャッフル〉って言うんだ」
※以下、トラックスマンが紹介してくれたフット・シャッフルの音源、いずれも(おそらく)85年にリリースされたヴァーゴ(マーシャル・ジェファーソン)の『Go Wild Rhythm Trax』からの2曲。曲名はナシ
D.J.Fulltono「いまやよく聴く感じの曲だけど、当時はかなり新しくて新鮮だったんじゃないですか?」
トラックスマン「いまよく聴かれているフットワークのトラックはすべて古いトラックから生まれているんだよ。ラシャドだっていろんなスタイルから影響を受けているしね。当時はみんなスタイルを借り合っている状態だったんだ。ファーリー・ファンキン・キース(ファーリー・ジャックマスター・ファンク)※の『Funkin’ With The Drums』から影響を受けている人は多いんじゃないかな。(同作収録曲)“Jack In The House”は聴いただけで〈これはまったく新しいものの到来だ〉って心底思ったね。ラシャドはこの曲からスタイルを借りているけど、いま聴いてもスマートでニュー(斬新)だろ。でも30年前のものなんだよ! 曲の躍動感やフィーリングはこういうところから来ているんだ。ファーリーをはもちろん、チップEやマーシャル・ジェファーソンなどがいなければ、いまみたいなゲットー・ハウスやジューク/フットワークは存在し得なかった。心から敬意を払うよ。これらの音楽にラシャドが影響を受けて、さらにそこから影響を受けて……と続くと流石に〈おい、ラシャドの真似事ばっかりやめろよ〉と言わなきゃならない時もあった。でもそれくらい、ラシャドは僕らにとってのマイケル・ジョーダンみたいなものだったんだ。そんな存在がいなくなるっていうのは、すごい衝撃だったね」
※キング・オブ・ハウス・ミュージックの異名を持つ。ファーリー・ジャックマスター・ファンク名義で大ヒットした“Love Can't Turn Around”、ハウス・マスター・ボーイズ&ザ・ルード・ボーイズ・オブ・ハウス名義の超アンセム“House Nation”で聴けるヴォイス・サンプルを連呼するスタイルは、後に誕生するゲットー・ハウスの基礎になっている
D.J.Fulltono「ラシャドが亡くなってからシカゴのシーンで変わったことはありますか?」
トラックスマン「なんていうか……彼の死がみんなの目を覚ました、とは言わないけど、みんなが興味を持つようになったところはあるかな。〈なんでみんなこの音楽をこんなに聴いてるんだ〉ってところから」

世界をダメな音楽から救うために戦い続ける
D.J.Fulltono「いまのトラックスマンのスタイルになったのは、J・ディラにインスパイアされたからというのをインタヴューで読みました」
トラックスマン「90年代初期、彼がスラム・ヴィレッジで活動していた頃からハマってたよ。あとはピート・ロック、DJプレミアにも惹かれた。J・ディラはまさにダーティーな感じでね。自分がトラックを作る時も、みんながやりたがるクリーンな音というよりは、ああいうダーティーな感じに影響を受けたよ。だから〈ちょっと土をぶっかけちゃえ〉っていう意識を持っている。土埃を被ったような、ザラついたサウンドにするようにね。サンプリングに関しては特に」
D.J.Fulltono「最初の頃のトラックスマンはゲットー・ハウスのスタイルだったけど、急にジャズのサンプリングを使うようになったりしましたよね」
トラックスマン「(そういう要素は)いつも自分のなかにあったよ。いろんなスタイルの音楽を常に聴いているし……耳は常にオープンであるべきだからね。思いつくままアウトプットしてる感じかな」
D.J.Fulltono「“Packman Juke”を作った時は、やっぱりアイデアがひらめいた!ってことですか?」
トラックスマン「パックマンね。あれは……ああそうだ! あれは“Blow Your Whistle”と同じ(パターン)。実は、パックマンの曲はもともと1分40秒のトラックで、短いんだ。2002年か2003年にあれを作っている時に何か用事が発生して、ちょうどあのお馴染みのフレーズの部分で誰かが電源ボタンを押しちゃったみたいで、そこで終わってしまったんだ。でも俺もトラックを長くするための作業を続けようとはしなくて」
D.J.Fulltono「僕が“Packman Juke”を最初に知ったのは、2006年か2007年にあの曲で子供が踊っている動画がYouTubeにいっぱいアップされているのを見つけた時で。地元のシカゴで相当流行ったんですか?」
トラックスマン「あの曲をプレイした時の盛り上がりようと言ったら、それはもうすごかった。異様だったよ。みんながあの曲に合わせて踊っていて、心底怖くなったよ。本当にビビった」
D.J.Fulltono「もう1曲、シカゴでヒットした“Get Down Lil Mama”は、当時僕が聴いたどのミックスにも入っていました」
トラックスマン「あのトラックはなかなかおもしろいんだ。もともとは別のタイトルだったんだけど、クラブ・ダイナスティーっていうところでDJしていた時、クラブに来ていた女の子を〈リル・ママ(Lil Mama)〉って呼んでたことがあって、そこに他の曲からのインスピレーションも得て“Get Down Lil Mama”に変えることになったんだ。その曲とDJラシャド&ギャント・マンの“Juke Dat Juke Dat”、DJスピンの“Bounce And Break Yo Back”と“What That Booty Do”――これらがまさにジューク・ミュージックの代表的なトラックだよ」
D.J.Fulltono「それらの曲はみんな使っていましたよね」
トラックスマン「その通り。いまでも使われているよ。でもシカゴはどうも頑固になってしまった。ラジオがどこもクリーンをめざすようになってしまったからね。だから状況は変わってきているよ」
D.J.Fulltono「そういえば、この間アップされたDJスラゴの新曲が“Get Down Lil Mama”をパクってましたね」
トラックスマン「ああ、あれね。放っとこうかな。スラゴは日和見主義だよな。いいんじゃないかな、すごいビジネスマンだ。いろいろ悪口を言ったりする人もいるけど……彼は悪い奴ではないと思う。ただ、ひたすらビジネスマンなんだよ。ちょっとやり方が良くない時はあるけどね。でも、使いたいなら使えばいいさ。ただし、タイトルまでパクることがあれば、それは大問題だよ。個人的に俺はそういう奴とはビジネスしないけど。例えばスラゴの作品に収録されたゴジラの曲※の場合と一緒だよね」
※ゴジラのテーマをサンプリングしたDJスラゴ“114799”(2001年作『Born Ghetto - From My Hood To Your Hood』収録)のこと。詳しくはこちらの回で解説されている
D.J.Fulltono「それは有名な話になっちゃってますよね……。では、これからの若いアーティストの話をさせてください。テックDJz(TEKK DJZ)※に僕を入れてくれたけど、あのクルーを結成したのはすごく急なことだったんですか?」
※〈Saving the world from bad music〉をテーマにトラックスマンが立ち上げたプロジェクト。2014年頃からクルーとして活動開始。USのみならず他国のDJも所属しており、D.J.Fulltonoもメンバーの一人
トラックスマン「そんなことないさ。みんなに説明して回ってるんだけど、名前はラシャドに由来している。2009年にDJヤング・テレム、DJキラーEなどの若手も加えて〈ゲトーDJ・オールスターズ〉をやろうと思ったけど、X・レイ(X-ray、ゲトーDJzのリーダー)に止められてしまった。いいアイデアだけどタイミングはいまじゃないのでは?ってことで。そのうちゲットー・テクニシャン※と合流したんだけど、ある時自宅でふらふらしていたら〈テックDJz〉という言葉が浮かんだんだ。ラシャドが付けた名前じゃないんだけど、彼からアイデアを得た。ちょうどロニー・リストン・スミスの“Quiet Moments”って曲を聴いている時にラシャドと思いついたんだ」
※現テックライフの前身となるクルー。DJラシャドを中心に、シカゴのローカル・ミュージックであったジューク/フットワークを世界に知らしめようという意気込みのもとに結成された
D.J.Fulltono「僕にとってはすごく急だった。僕が朝起きたらテックDJzに加入していることに気付いた……という状況で」
トラックスマン「いろんなことは俺が決めているけど、何かを決める時は必ずラシャドがその場にいたよ。彼が亡くなるまでは、誰を加入させるかを決める時も一緒に考えていたし。最初に入ったのはクロスファイアとDJフレッド、それに続いたのがK・ロックで、この3人がテックDJzのコア・メンバーさ。その後にいろんなDJが〈入れてくれ〉って言ってきたけど、ラシャドは〈こいつはやめとけ〉とか意見してくれた。でも俺が(テックDJzの)コンピに取り掛かろうとした矢先にラシャドが亡くなってしまったんだ。その時は集中もできなくなって、食事もできなくなったし、何も手につかなかったよ。ちょうど俺はNYにいたんだ。何が辛かったって、(ラシャドの)家族も話せる状況ではなくなってしまったから、遠い親戚などにそのことを伝える役を担ったのが俺で――まあその後、さらにテックDJzを拡大をすることになったんだけど、キュニーク(Cunique)を看板娘として入れたり、ジェイク(DJイネス)やフルトノ、ジャナラッシュとかが加入した……ボビー・スキルズは常にいたな。テックDJzがやっていることには誇りを持っているよ。みんながお互いに支え合って、困ったことが起きた時はサポートし合う、そんなネットワークがある。テックDJzは俺のものではなく俺らみんなのものだ。俺はキャプテンでもなんでもなくて、用務員みたいなものさ」
D.J.Fulltono「じゃあ僕はテックDJzの一員として何ができるでしょう?」
トラックスマン「いまやっていることを続けてくれればいいよ。君はBooty Tuneを持っているし、すでにかなりすごいことをやっているじゃないか。これからは他のクルーに入っているDJも積極的に入れていこうとも考えているんだ。一方で他のクルーと一緒になろうというアイデアもあるけど、いまは自分のやりたいこともあるからね」
D.J.Fulltono「では最後に、トラックスマンとして今後やっていきたいことを訊かせてください」
トラックスマン「悪い音楽から世界を救うことかな。救世軍に加わって、世界をダメな音楽から救うために戦い続ける。あとは、自分のハートに従ってリズムを追求し続けること。その追求が終わることはないんだ。ラシャドについて俺が好きだったのはそこなんだよ。一緒にひたすら探求し続けていたから。思い出すのが、彼が“CCP”(2012年)という曲を作るにあたってサンプルを探し求めていたんだ。たまたま俺が持っていたこともあって、〈なんで俺、サンプルあげちゃってるんだろ?〉って心の中で思いながらもあげたんだけど、そういうところでもラシャドのように探し求める姿勢が重要なんだ。また、そうやってサンプルを提供できるようにするのも俺のするべきことかな」

~対談を終えて from D.J.Fulltono~
この取材の後、次の現場である、〈トラックスマン流トラックメイク講座〉が開催される東京・恵比寿のKATAへ向かいました。トラックスマンは現場に着くなり、用意されていた彼の愛用機材(MPC)にすぐさま電源を入れ、その日の朝から言っていた、頭の中ですでに完成している曲をオープン前にものの30分程度で完成。トラックメイクのスキルの違いを見せつけられました。
ところで、僕との対談という設定でスタートした今回のこのトーク企画は、トラックスマンが約2時間、仲間や先輩を賞賛し続けるという(予想通りの)展開になってしまいました。ただそれは自分に話す隙を与えられなかったからではなく、トラックスマンが話しはじめて少し経ったところで彼が言い放った一言に、話そうと思っていた話題も吹っ飛んでしまうくらい面喰らってしまったからです。それは、
「タムはキック音をバウンスさせて、キックはスネアをバウンスさせる。レイヤーにレイヤーを重ねると全部の音が弾んでいる感じになる」
これは自分が曲を作るにあたってなんとなく頭にあった感覚そのものでした。それを理論的に〈お前がやりたいのはこういうことだろ〉と突きつけられたのです。早く大阪の自宅へ帰って自分自身の音楽と向き合いたい、そんな気分になるくらいのインパクトがありました。
僕が探り探りで作ったビートの、ほんの少し上手くいった部分にラシャドが気付き、それを理解できるトラックスマンに伝えた――この人たちの探究心と理解度はハンパない。自分の曲を褒められたとか、そんなことはどうでも良くて、ただただ凄いと思いました。
D.J.Fulltonoからのお知らせ
2月20日(土)TRIPPIN FACTORY @大阪・Triangle
http://triangleosaka.net/event/trippin-factory-2/
3月11日(金)ROBERT ARMANI IN OSAKA @大阪・SOCORE FACTORY
http://jp.residentadvisor.net/news.aspx?id=33477