ちょっぴり(どころじゃないですね)時間が経ってしまいましたが……昨年11月に東京・大阪で来日公演を行った、シカゴの大御所・トラックスマン来日前に掲載した当連載Vol.7でも解説されているので、彼についてのあれこれは割愛しますが、このタイミングでD.J.Fulltonoが訊いてみたかったことをぶつけるべく、トラックスマン(サイゼリヤの〈エビとイカのドリア〉ラヴァーであることが話題に)に直撃する機会を得ました。一旦話しはじめると湯水の如くさまざまな思いが溢れ出す彼のトークにやや面喰らいつつも、DJとして、プロデューサーとして真摯に音楽と向き合うトラックスマンの美学が窺える話や、故・DJラシャドとのエピソードなど興味深い内容に胸熱です!

 

 2015年11月のトラックスマン来日時

 

いつも頭にあるのは、常にDJであること

D.J.Fulltono「また来日してくれてありがとう」

トラックスマン「いや、こっちこそサンキューだよ。まじ、サンク・ユー!」

D.J.Fulltono「前回と同様に盛り上がったけど、手応えはどうでしたか?」

トラックスマン「(日本に)来るたびに良くなってるし、デカくなってる気がする」

D.J.Fulltono「今回、ハウスからスタートして、ゲットー・ハウスフットワークジューク)を軸に、色んな音楽をミックスしてましたね。あれが普段のスタイル?」

トラックスマン「まぁ、それこそが〈DJをする〉っていうことだと思うよ。ジュークDJだとかフットワークDJだということではなく、自分は〈DJ〉である、ということを示したいんだ。他のDJとも話すことなんだけど、DJのアート(美学)っていうのはスタイルを型にはめるのではなく、すべてのスタイルに手を出してみることにあると思ってる」

D.J.Fulltono「僕もそう思う。僕もテクノからエレクトロまでやりますからね」

トラックスマン「そう、マルチタスクだよ。テクノ、ドラムンベース、ジャングル、ダブ……ああ、ダブはそれほどでもないかな。UKのグライムやガラージ、インディカ・ハウスとかね。とにかくさっきも言ったように、自分を型にはめず、めざすのは〈DJたちのフェイヴァリット〉になることさ」

※トラックスマンいわく「アフリカの土着民族っぽいサウンド。マイクQに似た感じ」とのこと

D.J.Fulltono「僕はもともとアメリカのダンス・ミュージックばかり買ってたから、それほど幅広くはできないなけどね」

トラックスマン「君のことに関して言うとね、ラシャドが日本でDJした後に電話で話した時、君の名前を挙げていたんだ。〈いるぜ、日本に(注目したほうがいいDJが)いるぜ〉って。忘れもしないよ。そして俺はそれを賞賛と捉えたんだ。なぜなら〈そいつ、君(トラックスマン)にそっくりだったぜ〉なんて言うもんだからさ。俺は〈マジで!?〉って感じ。で、フルトノのトラックをかけてくれたんだ。で、〈ほら、そっくりだろ?〉って」

※2014年1月に行われた〈Hyperdub 10〉ツアーでの初(で最後の)来日時

D.J.Fulltono「僕はラシャドやトラックスマンの曲からインスピレーションを受けて、それをどうにかして自分のものにしたいと思って作ってるから、もちろん似てるとは思うよ」

トラックスマン「トラックのパターンとかね。フルトノの言う通りさ、俺が選びそうなパターンのものだった。で、思ったんだ、〈こいつ、俺と同じような思考だな〉って」

D.J.Fulltono「例えば、トラックスマンの“Bussin”は衝撃的で、スネアの打ち方とかそのまま真似したこともあるし」

トラックスマンの2013年作『Teklife Vol 3: The Architek』収録曲“Bussin”

 

トラックスマン「ああ、あれね! DJボビー・スキルズにリズム・マシーンを返さなきゃいけなくて、返す直前に急いで“Bussin”を書いたんだ。“Blow Your Whistle”もその時に作った曲なんだけど、10分ぐらいで作ったってのに、大ヒットしたんだよ。あの時ボビーは〈早く返しやがれ! 早く早く!〉っ て迫ってきてた。すごく考えて作った曲に聴こえるけど、実は衝動的に出来た曲なんだよ。ボビーの目の前で〈ほら、いまレコーディングしてるからなー〉なん て言いながら、あの〈ピッピッピッピッ ピピピピ ピッピー〉の時には奴はすでに家の中に入ってきてたからね。そうしたらボビーの動きが止まって、〈オッケー、じゃあ早く完成させな。あと10分だからなー〉って言ってた。あのホイッスル音はクール・アンド・ザ・ギャングからサンプリングしてるんだ。あとリン・コリンズの“We Want To Parrty, Parrty, Parrty”からもサンプリングしてるよ」

トラックスマンの2013年作『Teklife Vol 3: The Architek』収録曲“Blow Your Whistle”

 

D.J.Fulltono「(ボビーがマシンを取りにこなければ)何かメロディーが乗る予定だったんですか?」

トラックスマン「そうだねぇ、たぶんそうなっていたと思うよ」

D.J.Fulltono「また“Bussin”に話を戻すけど、あのトラックのスネアの音は?」

トラックスマン「(TR-)909だよ。(TR-)808と909のタム。“Bussin”は結構クールなアイデアがあったんだよね。50セントが使っていた音をサンプリングしたんだ。他のアーティストと比べて俺のスタイルはオーソドックスではない部分が強くて、何が起こるかわからない、そこが自分の持ち味かな」

D.J.Fulltono「なるほど。その“Bussin”を聴いてスネア・パターンを真似た僕の曲を聴いてみてください」

D.J.Fulltonoの2011年のEP『Down Low E.P.』収録曲“Outside Floor”

 

トラックスマン「なんて言ったらいいかな……俺がリズム・マシーンを使って学んだのは、タムはキック音をバウンスさせて、キックはスネアをバウンスさせる。それはスリージーD(Sleezy D)の“I’ve Lost Control”(86年)で学んだんだ。聴くとわかるよ、レイヤーにレイヤーを重ねると全部の音が弾んでいる感じになる。それがユニークなんだ。“Bussin”にもそういう感じが聴き取れるはずさ。それがフルトノのこの曲からも聴こえるよ」

※86年にトラックス(Trax)で“下掲のI've Lost Control”のみ作品を残し、それがアシッド・ハウスの金字塔となっている謎のヴォーカリスト。“I've Lost Control”は、マーシャル・ジェファーソン(彼の解説は後記)による10分に及ぶスーパー・マッド・アシッド・グルーヴに乗った〈アイヴロ~ス・コントロール〉というヴォーカルが印象的だが、さしたる展開はない。しかしそのドラッギーな中毒性でいまなおフロアを虜にしている。ちなみにDJピエール“Acid Trax”(87年)と〈アシッド元祖争い〉が生じているが、どちらが起源かは不明

D.J.Fulltono「あなたはそれを直感的に作れるけど、僕は同じループを1週間くらい聴いたりしてやっと作れるんですよ」

トラックスマン「もう頭の中で出来ているからね。リズム・マシーンの前にいなくたって出来るさ。トラックを作る時は、すでにそれが頭の中で鳴っていて、そこからアウトプットしているようなものなんだ」

D.J.Fulltono「大阪で一緒にMPCを叩いて曲を作ったけど、あなたは15分ぐらいで形にしていた。僕にとってそれは考えられないことです」

トラックスマン「そうだね、あの時は時間が決まってたから急いでいたし」

D.J.Fulltono「あと30分で家を出る、っていう時に〈曲を作ろう〉と言い出すから……」

トラックスマン「ここ(東京)に来なきゃいけなかったからね。でも、(曲を作っているところを)見せられる時間があって良かったよ。時間に余裕があったら2~3時間は一緒にやっていたかったよ。それができたら20曲は出来ていたね」

トラックスマンの2015年作『Slash Time』ダイジェスト音源

 

D.J.Fulltono「常にトラックを作り続けてるんですか?」

トラックスマン「いつも頭にあるのは、常にDJであること、それがまずいちばん。曲作りはその次だよ。ストラクチャーを築いて音楽を作るっていうのを本当に学んだのは、マーシャル・ジェファーソン※1ラリー・ハード※2か。直接本人たちから学んだのではなく、曲を聴いて学んだんだ。他の人と同じように、最初はいちファンでしかなかったけど、後に俺もDJになって、彼らと会うこともできた。曲作りを始めた当初は、スリック・リック※3とつるんでいたんだけど、87年にはスリック・リックが僕をDJファンク※4に紹介してくれた。カシオRZ-1とかで曲を作ってたんだ。87年にはジャミン・ジェラルド※5とも出会って、彼は自分が出会った人のなかで初めて自分の曲をプレイする人だった。もう唖然としたね。タスカムのテープ・デッキでプレイしてたんだ」

※1 “Move Your Body”“Lost In The Groove”“Do The Do”といった名トラックを生み出した、シカゴ・ハウス界のクラシック製造機。ヴァーゴ(Virgo)やジャングル・ウォンツ(Jungle Wonz)、オン・ザ・ハウス(On The House)など多数の名義を使い分け、アシッドからジャック・ハウスに歌ものまで、幅広く手掛ける。メインではないが、先に登場したスリージーD“I've Lost Control”やテン・シティのアルバムなど、初期シカゴ・ハウスの傑作で彼が関わった作品は数多い

※2 かのロン・ハーディも愛した、シカゴ・ディープ・ハウスの礎を築いた巨人。トラックスやDJインターナショナルからリリースした“Can U Feel It”“Music Is The Key”など、メロウかつエモーショナルなハウスで知られる。特に“Can U Feel It”のキング牧師のスピーチをそのままサンプリングしたヴァージョンが有名。その一方で、ミスター・フィンガース(Mr. Fingers)やガーキン・ジャークス(Gherkin Jerks)、ディスコD(Disco D)などの別名義では、ミニマルでフリーキーなマッド・アシッド・トラックも多数手掛けており、そちらでの顔も近年再評価が著しい

※3 トラックスマンが所属する、92年に設立されたシカゴ・ウェストサイドのハウスDJクルー、ゲトーDJz(GETO DJ’Z)の主要メンバー

※4 90年代にゲットー・ハウスを世界に知らしめた功労者。2000年代のジュークを経て、現在はEDM界隈へも進出する、シカゴ・ウェストサイドが産んだスーパースター

※5 DJ ファンクと共にシーンを盛り上げたゲットー・ハウス・レジェンド。ゲトーDJzのメンバーでもある

D.J.Fulltono「ピッチが変えられるテープ・デッキですよね」

トラックスマン「その通り! それを使っていたんだ。それに衝撃を受けて、ただのDJだけじゃなくて、自分の曲も作ろうと思うようになった。そこについては本当にジャミンには感謝してる。ミックスした曲がクールなのはわかってても、タスカムの前に立ってプレイされたら〈いよいよ(彼の)曲をかけるぞ〉とワクワクしたし、かかった曲を聴いては〈いまの、どうやったんだ!?〉って感嘆したものさ。みんなでよくファクトリーというクラブに行くようになって、そんななかで自分のスタイルを身に付けていったんだ」

D.J.Fulltono「なぜ自分の曲をかける必要があると思ったんですか?」

トラックスマン「よくわからないけど、それが〈自分の個性を出す〉ってことだったんじゃないかな。自分がファクトリーに出入りしたり、聴いてきたレコードに出会っていなければ、自分のスタイルを確立することはなかったと思うよ。自分の時代はすべて完全に808に対応している時代だった。(曲をかけて)これがファクトリーのトラック。ここからみんなのスタイルが生まれてきた。(別のトラックをかけて)これとかフットワークの生まれた原点だけど、誰もそれを知らないだろ。〈フット・シャッフル〉って言うんだ」

※以下、トラックスマンが紹介してくれたフット・シャッフルの音源、いずれも(おそらく)85年にリリースされたヴァーゴ(マーシャル・ジェファーソン)の『Go Wild Rhythm Trax』からの2曲。曲名はナシ

D.J.Fulltono「いまやよく聴く感じの曲だけど、当時はかなり新しくて新鮮だったんじゃないですか?」

トラックスマン「いまよく聴かれているフットワークのトラックはすべて古いトラックから生まれているんだよ。ラシャドだっていろんなスタイルから影響を受けているしね。当時はみんなスタイルを借り合っている状態だったんだ。ファーリー・ファンキン・キースファーリー・ジャックマスター・ファンクの『Funkin’ With The Drums』から影響を受けている人は多いんじゃないかな。(同作収録曲)“Jack In The House”は聴いただけで〈これはまったく新しいものの到来だ〉って心底思ったね。ラシャドはこの曲からスタイルを借りているけど、いま聴いてもスマートでニュー(斬新)だろ。でも30年前のものなんだよ! 曲の躍動感やフィーリングはこういうところから来ているんだ。ファーリーをはもちろん、チップEやマーシャル・ジェファーソンなどがいなければ、いまみたいなゲットー・ハウスやジューク/フットワークは存在し得なかった。心から敬意を払うよ。これらの音楽にラシャドが影響を受けて、さらにそこから影響を受けて……と続くと流石に〈おい、ラシャドの真似事ばっかりやめろよ〉と言わなきゃならない時もあった。でもそれくらい、ラシャドは僕らにとってのマイケル・ジョーダンみたいなものだったんだ。そんな存在がいなくなるっていうのは、すごい衝撃だったね」

※キング・オブ・ハウス・ミュージックの異名を持つ。ファーリー・ジャックマスター・ファンク名義で大ヒットした“Love Can't Turn Around”、ハウス・マスター・ボーイズ&ザ・ルード・ボーイズ・オブ・ハウス名義の超アンセム“House Nation”で聴けるヴォイス・サンプルを連呼するスタイルは、後に誕生するゲットー・ハウスの基礎になっている

D.J.Fulltono「ラシャドが亡くなってからシカゴのシーンで変わったことはありますか?」

トラックスマン「なんていうか……彼の死がみんなの目を覚ました、とは言わないけど、みんなが興味を持つようになったところはあるかな。〈なんでみんなこの音楽をこんなに聴いてるんだ〉ってところから」