トラックスマンの元にDJファンクから電話があり、こう聴かれた。

〈お前どうやって日本でそんなに人気者になった?〉

2人は10代の頃からの遊び仲間。一緒に車に乗ってロン・ハーディのDJを聴きに行っていたのだとか。しかし、DJファンクは90年代に入ってから世界中で人気者になり、片やトラックスマンはDJファンクらが所属するダンスマニア・レコードの手伝いをしながら地元のシカゴでDJをし、リリースされない曲をひたすら作り続ける音楽漬けの毎日を送った。ところが2010年代に入り、40歳を迎えたトラックスマンはシカゴ・ゲットーで培った経験と知識を武器に、世界を舞台に躍進しはじめる。

さて今回は、3度目の来日を目前に控えたトラックスマンの足跡を辿ってみようと思います。

トラックスマンがDJを始めたのはハウス・ミュージック夜明け前の81年、なんと当時まだ10歳。クラブにはまだ出入りできない年齢でした。ハウスの黎明期を迎える頃には、シカゴのラジオ放送から流れるハウスDJのミックス・ショウを聴き、DJの基礎を学びます。彼のズバ抜けたスキルは、クラブ現場を体験する前の少年時代に養われたものかもしれません。

 

TRAXMAN “Da Geto DJ”

これが96年リリースのデビュー曲。僕はこの曲をほぼリリース当時に聴きましたが、ハウスでもテクノでもゲットー・ハウスでもない、パッとしない印象でした。しかしこれが現地でどのようにプレイされているのか。非常に謎めいた不気味な何かを感じながら、ネットも普及していない時代にいろいろと想像を膨らませていました。まさかこの曲の作者が15年後に日本にやってきて、満員のフロアをぶちアゲている姿を1ミリも予想していませんでした。

ところが、このファースト・リリースの後に彼の音源を見かけることはしばらくありませんでした。リリースにありつけないながらも、彼はひたすらトラックメイキングとDJ活動に明け暮れていたそうです。僕がふたたび彼の曲を耳にするのは、それから10年も後のことです。

 

TRAXMAN “Pacman Juke”

〈パックマン〉を大胆にサンプリングしたこの曲に合わせ、キッズが部屋や街中でシカゴ・フットワークを踊る動画がYouTubeにたくさんアップされはじめたのが2006年頃。この頃に普及したYouTubeの登場により、これまで知り得なかったシカゴのローカル・シーンが少しずつ世界に露出するようになるのですが、あきらかに現地で流行っているはずなのに、このパックマンの詳細はまったく掴めませんでした。僕はどうしてもこの曲を手に入れたくなって必死に作者をディグった結果、数年後にトラックスマンであったことが判明。当時はこのように地元だけで流通しているヒット曲というのが、シカゴのジューク・シーンには数多く存在したようです。

 

TRAXMAN “Get Down Lil’ Momma”

これもトラックスマンの初期の代表作と言えるでしょう。実際のリリースよりもずいぶん前、2000年代初期に作られたものです。この頃の作風は4つ打ちのビートにヴォイス・サンプリングが入るゲットー・ハウスを受け継いだスタイルで、現在のトラックスマンのようなヴァラエティーに富んだサウンドではありませんでした。

しかし2000年代半ばを過ぎたあたりから、彼の作風に変化が見られはじめます。ヒップホップのようにジャズやソウルのネタをコラージュする手法に目覚めたのです。それは本人いわく、J・ディラのアルバム『Donuts』(2006年)を聴いたことが転機になったのだとか。

 

J DILLA “Workinonit”(2006年作『Donuts』より)

 

ここからトラックメイカーとしての才能をさらに発揮するようになり、リリースの機会こそなかったものの、彼は来る日も来る日もAKAIのサンプラー、MPC2000のパットを叩きながら曲を量産していきます。

僕がその変化を遂げたトラックスマンの音楽を知るのは2009年。当時流行していたMySpaceで彼を見つけます。そこで公開されていた10分間のDJミックス・シリーズが、これまで僕が知っていたゲットー・ハウス、ジュークの概念を覆す凄まじいものでした。複雑なビートを自由自在に繋ぐ、いわゆる現在のトラックスマンに近いジューク/フットワークのスタイルです。もともとのDJスキルに拍車を掛ける、聴いたこともないビートの数々、しかも曲はすべてアンリリース。それらの曲が手に入れたくて仕方がなかったけど、英語のできない僕はただただ次の情報を待つしかありませんでした。

もしも彼がこのプレイを日本で披露したら、いろいろなことがひっくり返るんじゃないだろうか――そんな期待感がふつふつと湧いてきました。 

2011年に入り、その曲たちがついに陽の目を浴びる時がやってきます。この年、立て続けに3作のEP(『Pacman Juke EP』『Mr Boogie Guy EP』『Traxaholix』)をリリース。そして翌2012年、皆さんも知っているであろう初アルバム『Da Mind Of Traxman』がイギリスの老舗、プラネット・ミューより発表されます。このアルバムの制作にあたり、彼がレーベルに渡したデモはなんと約800曲。いわば『Da Mind Of Traxman』は、リリースのあてがなくてもひたすら機材と向き合った努力の賜物と言えるでしょう。そして同作を機に、瞬く間にトラックスマンの名は世界へ知れ渡ります。

 

TRAXMAN “Itz Crack”

 

TRAXMAN “Blow Your Whistle”

この時代の彼による代表曲のひとつ。自身がプレイすることで話題になった、これぞシカゴ・ゲットーというキラー・チューン。翌年リット・シティ・トラックス(Lit City Trax)からリリース

 

そしてついに来るべき時を迎えます。東京は代官山UNIT、そして大阪は室内フェス〈SATURN〉にトラックスマンの出演が決まりました。シカゴのジューク勢が来日するのも初。ドタキャンはないだろうか、ゲットー・ミュージックが本当に日本のオーディエンスに通用するのだろうか――僕らのさまざまな不安をもろともせず落ち着いた様子でステージに立ち、自分のルーツであるシカゴ・ハウスからプレイ。ゲットー・ハウス~ジューク~フットワークへと徐々にビルドアップさせ、最後には完璧にフロアを掴む素晴らしいプレイを見せてくれました。

 

SATURN 2012 at なんばHatchi
(TRAXMAN with AG, Takuya, Weezy / VJ Colo GraPhonic feat. VOID & MODULIGHT)

 

シカゴから日本へやって来た最初のジュークDJが、ヨーロッパで先に人気を得ていたDJラシャドでもDJスピンでもなく、トラックスマンだったという事実は、ある意味そうなるべくしてなった気がしてなりません。彼は〈ハウス・ミュージックが何たるかを世界に伝える〉と言います。トラックスマンは世間一般で言うハウスDJではないはず。しかし伝え方は人それぞれ、さまざま。彼のプレイを聴いていると、それがホラではない気がするんです。僕にはまだ気付いていないなにかがあるのかもしれません。その昔ハウス・ミュージックが誕生したシカゴのゲットーで起こっていた想像の世界でしかないなにか。もしかすると、それはいま僕がいちばん欲しいものかもしれない。

 


 

TRAXMAN Japan Tour 2015

11月13日(金)
SOMETHINN Vol.13
at CIRCUS OSAKA
Open 23:00

TRAXMAN
D.J.Fulltono
okadada
Keita Kawakami
Hiroki Yamamura

11月14日(土)
TRAXMAN, DJ Fulltono TEKK DJ'Z IN JAPAN 2015
at CIRCUS TOKYO
Open 23:00

★Main Floor★
TRAXMAN
D.J.Fulltono
THE LEFTY -KILLER BONG & JUBE- [BLACK SMOKER]
andrew & Carpainter [TREKKIETRAX]
DALLJUB STEP CLUB [SUBENOANA]
SEKIS & DIKE ft. ALCHINBOND [ONEDAY REC]
KATA FOOTWORK CLUB

★1st Floor★
KENT ALEXANDER [Pan Pacific Playa, Бh○§†]
dubstronica [GORGE.IN]
MORIURA [TOPGUN]
$HOW5 [#テガキ]
珍盤亭娯楽師匠 [珍盤亭一門]

 

PROFILE:D.J.Fulltono


 

 

関西を拠点に活動するDJ/トラックメイカー。ジューク/フットワークを軸に ゲットー・テック、エレクトロ、シカゴ・ハウスなどをスピンする一方、自身のレーベル=Booty Tuneを運営。パーティー〈SOMETHINN〉も主催する。また、プラネット・ミューやハイパーダブでリリースされたジューク・関連作品の日本盤特典ミックスCDを手掛けるほか、国内外の音楽メディアへジューク関連記事を多数執筆。最近ではCRZKNYとのユニット=THEATER 1で連続して音源を発表する一方、ソロでも新EP『My Mind Beats Vol​.​02』をリリースしたばかり。

THEATER 1の2015年のEP『4/12』
 

D.J.Fulltonoの新EP『My Mind Beats Vol.02』