命の重さを考える
~〈ペット後進国〉日本が突きつけられる問題に、どう向き合うのか?
人間の命は地球よりも重いとされるが、それはつまり地球上でもっとも重い命を授かったのが人間だということを意味するのだろうか。諸外国から〈ペット後進国〉と揶揄されるわが国ではそういう考えを持つ人は少なくないかもしれない。しかし生命の尊厳とは人間のみが持ちえた特権などとは決して思えないし、かつて誰かの家族だった犬や猫がまるでゴミのように殺処分されていく事態に対して、それが彼らの寿命だ、などと落ち着きを払った口調で呟くことなど到底できやしない。それにしても、彼らの命を奪う残虐な行為に胸を痛める、なんて想像力を働かせられるわれわれは、他の動物よりもマシな生き物なのだろうか。
命に期限が付けられた動物たちと向き合わねばならない職場、動物愛護センターにおいてさまざまな葛藤を抱えながら働く人々を描いたドラマW『この街の命に』を観ている最中、頭のなかで渦巻いていたのはこのようなことだ。
主人公は、無慈悲に殺処分されていく犬や猫を目の当たりにしながら無力さに苛まれている牧田(加瀬亮)。そして老いた母親の世話をしながら、精神安定剤を手放せなくなっている幡枝(戸田恵梨香)。行政獣医であるふたりは、日々市民からの心無い苦情に心を痛めながらも淡々と職務をまっとうしている。ある日、彼らの仕事場に新所長の高野(田中裕子)がやってくる。かつて在籍していた頃と比べてなんら進歩のない現状を目の当たりにし、業務改革に着手する高野。彼女が提議したのは、殺処分ではなく譲渡数の向上に力を注いでいこうというものだった。最初は戸惑いを隠せないセンター員たちだったが、少しずつ変化していく状況を受け入れつつ、次第にひとつでも多くの命を救いたいという思いが強まっていく。
動物たちと正面から向き合い始めた職員は、やがて彼らの〈視線〉に気づく。みずからの運命を知りながらもなお人間たちに優しく語りかける彼らの瞳の存在を察知し、動揺しながらも心を開放させていくのだが、そんな登場人物たちの戸惑いやめざめを抑え気味の演出で律儀かつ丹念に描き出すのは、2005年モントリオール世界映画祭審査員特別賞を受賞した『いつか読書する日』を監督した緒方明。シナリオは、同映画で緒方とタッグを組んだ青木研次によるもの。この作者らは動物愛護の現場を舞台に、さまざまなルールやしがらみに縛られたキャラクターを画面上に交錯させては、〈街〉では人間と動物のはたしてどちらが不自由なのか?という問いを突き付けてみせる。身内を捨てざるを得ない飼い主らが浮かべる不機嫌で悲しげな表情は、むごたらしい殺処分シーンよりもより強い痛みをもたらすかもしれない。
熊谷真実、黒田大輔、きたろうといった名プレイヤーたちが脇を固める本作だが、なかでも注目したいのは、もの言わぬ彼らの声に最初に気づいてしまう渋川清彦演じる作業員・志賀だ。ここでの彼の表情ひとつひとつがまったくもって魅力的で、犬にもっとも近づきすぎた彼が浮かばせる迷子犬のような目、子犬のような微笑みが観客を物語へと引き込む役割を担っているといってもいい。
犬猫の殺処分の現場で葛藤する登場人物たちの救いの道を描くこのドラマだが、最終的に突き付けるのは、いまなお年間10万頭以上の犬や猫たちが死刑台へ送り込まれている揺るぎない現実だ。終盤、死なねばならなかった今際の際の犬の瞳を大写しにし、事実を静かに厳しく語りかけるカットに心引き裂かれるような思いに駆られるに違いない。正しい選択とはいったい何か。当然ながら物語が終りを迎えるまでに的確な答えが導き出せるような問題ではない。
ただ、間違いなく言えるのは、ドラマのセリフにもあるように「犬や猫にとって不幸な街は人間にとっても不幸な街」であるということだ。幸福な暮らしを実現するためには、理想論を振りかざすだけではなく現実と折り合いを付けながら少しずつマシなやり方を探すしかほかない。そんな問いかけがきっと深いところまで下りていくだろう。
ドラマW『この街の命に』
4/2(土)夜9時より WOWOWプライムにて放送
加瀬亮 戸田恵梨香 田中裕子
渋川清彦、黒田大輔、岡山天音、諏訪太朗、篠原篤、柳英里紗、高橋長英、島かおり、きたろう、熊谷真実
脚本:青木研次(『独立少年合唱団』『いつか読書する日』『家路』)
監督:緒方明(『独立少年合唱団』『いつか読書する日』)
音楽:coba(『顔』『のんちゃんのり弁』)
www.wowow.co.jp/dramaw/konomachi/