古いピアノが紡ぎ出す音響の海

 ディスクがスピンするとすぐ体が不思議な音色に包まれる。特殊なエフェクトを施した電化チェロのピチカートのような浮遊感のある響き。だがジャケットのクレジットにはただ〈ピアノ〉のみ。知的興奮とイマジネーションを喚起するこのサウンドを生み出したのは、ポーランドのピアニスト、スワヴェク・ヤスクウケ。ピアノ王国として有名なこの国の現代ジャズ・シーンの中でも、とりわけ刺激的な演奏家として知られ、キャリアの初期はポスト・ロックやドラムンベースの強い影響下にある尖った個性で注目を浴びた。

SŁAWEK JASKUŁKE 『Sea』 Kayax/コアポート(2016)

 アルバム・タイトルの「海」が象徴するような、メロディと即興、幻想的なサウンドがゆるやかに一体化して流れる本作は、ピアノに対して私たちが持っている先入観を覆す革新的な美しさに満ちている。本人も影響を受けていると語るニルス・フラーム、オーラヴル・アルナルズ、ハウシュカに連なる音響の驚きに満ちた音楽と言えそうだ。しかしその予想に反し、ヤスクウケの視線は、綿密な準備と計算のもとにピアノのポテンシャルを引き出す野心的なチャレンジとは正反対の方向に向けられていた。

 バルト海沿岸の小都市で生まれ育った彼にとって、海は人生の重要な部分を占めている。その海を表現するサウンドは、どこまでもパーソナルな響きでなければならなかったと彼は言う。言わばピアノで綴る日記のようなもの。その日記を記すのにふさわしいツールとして彼が選んだのは普段作曲作業用に弾いている古いピアノと2本のマイク、ポータブルレコーダーのみ。このきわめてアマチュア・ライクな環境から生み出された音の海には、時折ピアノのパーツが鳴らすノイズが、ボートのオールやヨットの帆のはためきのごとくこだまする。ピアノであることを疑うこの音響は、標準装備のハンマーフェルトの可能性を追求した結果でしかないそうだ。謎と驚きと感動が聴くたびに深まっていく傑作。