器楽と違い、オーケストラの録音はライヴしかありえない!
旧ソ連の一角、オセチア出身の新進指揮者トゥガン・ソヒエフはレコーディングに関して実に明快な考えを持っている。「無理に《××全集》をつくるつもりはない」「1つのオーケストラとの共同作業の進化(ワーク・イン・プログレス)が明確に伝わるよう、なるべく体系立てた曲目に絞る」「器楽のソリストには可能なスタジオ録音がオーケストラには至難。100人の人間が同時に最大限のエネルギーを注ぎ、興奮とともに演奏するだけのアドレナリンがセッションには不足する。“電気的フィーバー”をCDからも感じてもらうには、ライヴ録音しかありえない」。確かにスタジオ録音は1枚もない。
2013年から首席指揮者を務めるベルリン・ドイツ交響楽団(DSOB)とソニークラシカルの契約にはプロコフィエフを選び、2013年1月に収録した第1作、「イワン雷帝」作品116のオラトリオ版は日本で昨年、第53回「レコード・アカデミー賞」(声楽部門)を授かった。第2作は14年4月の「交響曲第5番」作品100と、13年10月の「スキタイ組曲(アラとロリー)」作品20の組み合わせ。2点を比較試聴すると、DSOB楽員のプロコフィエフに対する理解、演奏ノウハウの着実な改善が、はっきりとわかる。
「首席に就任後改めて、他のオーケストラも含め、ベルリンの交響曲レパートリーの主軸がブラームス、マーラー、ブルックナーといったロマン派の大作に置かれ、プロコフィエフは《交響曲第5番》以外あまり演奏されていない実態に気付いた。ならば自分は、ゆっくり時間をかけてDSOBのプロコフィエフ理解を深め、精神の領域へと踏み込む成熟を目指そうと考えた」「《イワン雷帝》はスコアが非常に面白く書かれているので、スタートには打ってつけだった。そこでテイストに目覚めた次は当然の展開として、同じく円熟期の傑作である《交響曲第5番》。彼らにも最初とは全く違う次元でプロコフィエフを奏でているとの手応えはあったはず。録音でも明らかだと思う」「洗練ばかりでも困るから、野性的な初期の作品《スキタイ組曲》を対峙させた。信仰の対象が太陽、木、水といった自然界にあった時代の原始の強烈さを描き、激しい対照を描いている」
いま一度、ソヒエフのバックグラウンドをながめると、サンクトペテルブルク音楽院で伝説の名教師イリヤ・ムーシン(1903~99)に師事したのが目を引く。「一言で旧ソ連出身の音楽家といってもモスクワ派、ペテルブルク派という帝政ロシア時代からの流派の違いは今日も厳然と存在する」といい、「ムーシン教授はペテルブルク楽派を体現する名匠だった」と振り返る。日本の齊藤秀雄、イタリアのフランコ・フェラーラ、ウィーンのハンス・スワロフスキー、フィンランドのヨルマ・パヌラらと並び称されるムーシンの門下生はバルシャイ、テミルカーノフ、ゲルギエフ、ビシュコフ、西本智実…と多彩を極める。ソヒエフにムーシン・スクールの特徴を尋ねると、「何と言っても、強い音楽のアイデアを指揮により、的確に示す表現能力にある」と即答した。「テンポを保つだけにとどまらず、作品の深いところを探り当て、指揮法で伝えるという極めて難しく、重要な技を学んだ」という。
国立トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団、DSOB、NHK交響楽団とそれぞれ、明確に異なる音色、音響を造形すること自体が驚きだ。ソヒエフによれば「私の内面にある作品観、サウンドイメージと共演するオーケストラのケミストリー(化学反応)を何よりも大事にしている」結果であり、ここでもムーシンに授かった指揮法が大いに役立っている。「N響ではN響にしか出せない音がある。フランスやドイツの楽団と比べるなどという発想自体が、ヨーロッパ人の傲慢だ」と言い切った。
DSOBのポストは間もなく、ロビン・ティツィアーティーに引き継ぐ。だが、ドイツのオーケストラの特徴をフルに引き出したロシア近代音楽のサウンドもまた、一期一会の貴重な記録=レコードだ。ぜひ定期的な客演を続け、全集とはいかないまでも「ベルリンのプロコフィエフ」の名に値する傑作ライヴ盤をあと何点か、残して欲しい。
LIVE INFORMATION
トゥガン・ソヒエフ 2016年来日予定
NHK交響楽団
○第1846回 定期公演 Bプログラム
10/26(水)10/27(木)19:00開演 サントリーホール
トゥガン・ソヒエフ(指揮)NHK交響楽団
エリーザベト・レオンスカヤ(p)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
○NHK音楽祭2016
10/31(月)19:00開演 NHKホール
トゥガン・ソヒエフ(指揮)NHK交響楽団
ギャリー・マギー(Br)* 東京混声合唱団*
ハイドン :交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」
武満徹:マイ・ウェイ・オヴ・ライフ ― マイケル・ヴァイナーの追憶に(1990)*
ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 作品73
www.nhkso.or.jp/index.php