台湾をはじめアジア各国のアーティストが頻繁にライヴを行うなど、これまでにも増してアジアに目が向けられている昨今の日本。そのなかでも注目度が高いのは間違いなく韓国勢だろう。本国のみならずアジアを中心に絶大な人気を誇る気鋭のヒョゴが日本でCDデビューしたのをきっかけに、かの地のインディー・ロックにいっそう熱い視線が注がれている――そんな日本での盛り上がりをヒョゴと共に牽引することになるであろうバンドが、12月7日にEP『オリエンタルディスコ特急』で本邦デビューを果たすファンク・バンド、スルタン・オブ・ザ・ディスコだ。UKの〈グラストンベリー〉に出演するなど海外ツアーも多くこなし、日本では〈サマソニ〉に2度参戦、昨年はSCOOBIE DOや思い出野郎Aチームらを招いてのツアーを行っている。MikikiではSCOOBIE DOとの共演時にスルタンとの対談インタヴューを公開したので、すでに彼らの存在を知っている人も少なくないはずだ。
クール&ザ・ギャングやシックら70~80年代のファンク・バンドを手本にしたサウンドを軸に、韓国歌謡の薫りもあるグッド・メロディーを携えて自己流にアップデートした音楽性、そして揃いのファニーな衣装に、ダンサーを擁する派手でエンターテイメント性溢れるパフォーマンス……一度見たら/聴いたら忘れられないインパクトを残すスルタン・オブ・ザ・ディスコ。今回はこのバンドの音楽的なバックグラウンドから、綾小路 翔が日本語詞を手掛ける楽曲も収めた日本デビューEP『オリエンタルディスコ特急』について、メンバー全員に訊いた。
SULTAN OF THE DISCO 『オリエンタルディスコ特急』 バップ(2016)
ソングライティング自体は80sポップスが根底にある
――そもそもスルタン・オブ・ザ・ディスコはダンス・グループとして活動が始まったそうですね。
ナジャム・ス(ヴォーカル/シンセ/ダンス)「はい。歌もありましたが口パクで、ライヴでは僕が作った曲をデモのままかけて、それに合わせて踊っていました。でもダンス・グループをやりたいと思ってスルタンを始めたわけではなくて、本当はバンドでやりたかったんですけど、当時の自分の実力も含めてバンドをやれる状況ではなかったんです。楽器をまともに弾けるメンバーもいなくて……だから最初は趣味活動のような感じで始まりました。それで、バンドをやれる準備が整ったタイミングでいまのような形になったんです」
G(ベース)「メンバーも現編成ではなく、結成当時からいるのはナジャムだけです」
ナジャム「2010年にデビューEP『Groove Official』を出したのですが、それを作る時に初めてGとキム・ガンジ(ドラムス)と一緒に録音したのがきっかけでバンドに発展していきました。ガンジとホンギ(ギター)はブルナバン・スター・ソーセージ・クラブ※1というバンドをやっていて、僕が彼らの作品の録音やプロデュース※2をした時に知り合って、一緒にやることになったんです。Gはもともと勤め先の同僚で、その頃はまだライヴなどをたくさんやっているわけではなかったのですが、ベースをやっているという話を聞いていたので声を掛けて。ダンサーのJ・J・ハッサンはバンドになる前に加入していたんです。ダンス・グループ時代、ライヴに来られないメンバーの替わりを探していた時、チャン・ギハ※3に紹介してもらったのがきっかけで知り合いました。元のメンバーよりもセンスが良かったので(笑)、そのままダンサーとして定着した感じです」
※1 韓国でスルタンと同じレーベル=ブンガブンガ・レコードに所属する、オルタナティヴ・ラテン・バンド。ガンジ&ホンギを擁していた2010年に解散するが、現在は新たなメンバーで再始動している
※2 ナジャムは自身のアーティスト活動のみならず、ブンガブンガに所属する面々をはじめ、チャン・ギハと顔たちやZEN-LA-ROCKとのコラボも話題となったKIRINなど多くのアーティストの作品でエンジニアリング/ミキシングを担当している
※3 チャン・ギハと顔たちのフロントマン。大学時代にはハッサンとバンドをやっていたこともあるそう
――ではディスコ/ファンクといういまのような音楽性になったのはその頃から?
ナジャム「最初からそういった音楽をやりたいと思っていて、バンドとして始めることになってようやくできるようになりました」
――やはり昔からそういった音楽を聴いていたんですか?
ナジャム「最初から話すと、小さい時にお父さんの車の中で昔の韓国歌謡のコンピやビートルズのアルバム、『フットルース』など映画音楽のサントラなどをいろいろ聴いていて、そのあたりが僕の音楽的な原風景になっています。
中学に入って、友達のお姉さんが編集したメタルの楽曲をミックスしたテープをきっかけにメタルにハマり、大学1年くらいまでは完全にメタル少年でしたね。
その後、軍隊へ行ったりしてジャズやアシッド・ジャズにハマったり、2004年~2005年くらいに渋谷系が韓国で遅れて流行っていたのでFPMやキリンジを聴いたりもしていました。それから1950~90年代までのUSのビルボード・チャートから、時代ごとにどういう音楽が流行っていたのかを研究したことがあったんです。そこでいろいろ聴いているなかで自分にとっていちばんしっくりきたのが、70~80年代のディスコ/ファンクでした」
――やっと(ファンクの話が)出てきましたね(笑)。
一同「ハハハハハ(笑)」
キム・ガンジ(ドラムス)「長いよ! そんな最初から話す必要ないだろ!」
ナジャム「まあ、そんな音楽の影響がスルタンを作っているという重要な話ですよ(笑)」
――でも確かに、スルタンの軸にあるのはファンクであるのは間違いないですが、メロディーの感じは韓国歌謡など小さい頃に車の中で聴いていたものが反映されているような気がします。
ナジャム「そうだと思います。それに、スルタンの曲にある起伏や展開の仕方はメタルから学んだ部分は多いですね。必死で70~80年代当時のファンクを真似しても同じにはならないから、全体的なムードは引き継いでいても、ソングライティング自体は80年代のポップスから影響を受けていたりするんです」
――そのあたりもビルボード・チャートの研究が活きているんですね! ナジャムさん以外のメンバーはブラック・ミュージックに馴染みはあったんですか?
ナジャム「その部分は、僕とガンジはわりと知識があって、趣味も合ったんです」
ガンジ「学生の頃はハードコアやブラック・メタル/デス・メタルが好きだったんですが、ある日『モ・ベター・ブルース』※を観たことをきっかけに、ジャズやファンクにハマって、アース・ウィンド&ファイアやメイシオ・パーカー、マイルス・デイヴィスなどを聴くようになりました。その頃にドラムも始めたんです」
※デンゼル・ワシントンやウェズリー・スナイプスが出演した、架空のジャス・トランペッターの半生を描いた90年公開のスパイク・リー監督映画
G「他の3人はとりわけファンクなどに思い入れがあるわけではなかったのですが、スルタンをやるにあたって2人にいろいろ教わりながら好きになりました」
――スルタンのようなサウンドはベーシストがとても重要ですし、演奏も大変なのでは?
G「はい。すごーく重要で、ダンスとは比較になりません!」
J・J・ハッサン(ダンス)「(Gは)僕のバックで楽器を弾いているだけの存在です(笑)」
――ハハハ(笑)。
G「ベースを始めた頃はテクニック的にすごいものに興味があって、そういうプレイヤーに注目していましたが、いまはそんなに派手なプレイ・スタイルは好んでいないんです。でもナジャムが複雑なフレーズを用意してきたりすると、スポーツをするような感覚、挑戦するような感じでやっています。そのおかげで演奏能力が維持されている気がします」
ナジャム「スルタンの楽曲ではベースが難しくなることが多いので、最近はもっとシンプルにしようという努力はしています。でも、デモは僕がPCで作るので、〈こんなの誰も弾けないんじゃないの?〉というものが出来てしまうこともあって……」
――それは曲作りあるあるですね(笑)。そのようにスルタンの楽曲はすべてナジャムさんが手掛けていますが、楽器のアレンジを各プレイヤー陣に任せたりは?
ガンジ「デモの段階でだいぶ作り込まれていて、アレンジの細かいところまで決めたものをメンバーが聴いて、それに対して個々に意見していきます。デモのヴァージョンが気に入ればそのままやりますが、大概は気に入りません」
一同「ハハハハハ(笑)」
G「(メンバーそれぞれがスルタン以外でも活動しているので)なかなかメンバー全員が集まることはできないので、ナジャムと個々にやりとりしていく感じです」
ナジャム「ドラムはそこまで細かく指定していないので、ある程度は自由にアレンジしてもらっています。ギターは僕みずから弾いてデモに入れたりしますが、決して上手くはないから何を弾いても似たような感じになってしまうので、ホンギがアレンジを加えたりします」
ホンギ(ギター)「〈こういうのはどう?〉と僕がいろいろ弾いて、そのなかでナジャムが良いと思うものをピックアップしていくんです」
――ハッサンさんは振り付けをされるんですよね? 全曲ですか?
ハッサン「デモが上がってきた時点で聴いて、振り付けを考えはじめます。曲の完成形がデモから変わったとしても、全体的な方向性や雰囲気みたいなものはそこでわかるので」
ナジャム「おとなしい曲でやたらと踊るのはヘンなので、全部というわけではないんですが」
ハッサン「バレエの素養があればそういう曲でも対応できると思うけど、僕はバレエを知らないので」
――……ここは笑うところ?
ハッサン「笑ってくれればいいです(笑)」