オリジナル楽器との一期一会 世界にひとつしかない音色
チェンバロ奏者の植山けいが18世紀の名器、クリスチャン・クロールのオリジナル楽器(1776年製作)を使い、J.S.バッハの《6つのパルティータBWV825~830》を2017年10月23~27日、仏イル・ド・フランスのヴィラルソー城で録音した。11年10月に録音した同じ作曲家の《ゴルトベルク変奏曲BWV988》は1632年に最初の完成をみたヨハネス・ルッカース製の楽器だったので「同じオリジナルでも144年の開きがあります」。日本を代表するピリオド楽器の大家、有田正広も「これほど後期の楽器を初めて聞いた」と驚いたそうだ。とにかく《パルティータ第1番》を聴き始めた瞬間から、クロールの音色美に魅了される。植山は楽器の魅力を1音1音かみしめ、慈しむかのように弾き進める。
「ヴァイオリンの名器と同じく、ヨーロッパの気候の中で240年も生き残ってきただけに、深遠な音の世界が新しい楽器とは全く違います。録音中にも“呼吸”をし続け、弾き手しだいで新たな魅力をどんどん放つ。キャパシティも非常に広く、楽器に順応しながら表現意欲を高め、可能性をどんどん広げていきました」
桐朋学園大学音楽学部ではピアノ科専攻だった。「有田先生の古楽の授業に出るまでバロック時代の様式感、文化を知る機会がなく、まさに目から鱗が落ちました」と振り返る。だが日本ではチェンバロに転向せず、米国留学後、副科でチェンバロを学ぶ際に恩師ピーター・サイクスと出会い、「15台くらいの楽器を前にタッチや音色の違いを示され、完全に感化されました」。ジャズの授業で即興演奏の自由を知ったり、タングルウッド音楽祭で芝生に寝転びながら小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏を楽しむ人々に衝撃を受けたりするうちに、日本の厳しい音楽教育の殻を破ることに成功した。
続くオランダ留学では「J.S.バッハは1音たりとも無駄な音を書いていない。すべて必要な音なのだから、演奏家の使命はそれを余すところなく伝えることに尽きる」と奉仕の精神をたたき込まれた。
20年前より、欧米の楽器博物館、個人のコレクションを訪ね歩いてきた。「その作品を書くとき、バッハが聴いていた音に近づくヒントになる」といい、探求の旅を続ける。
「同じ時代の楽器でもドイツはドイツ語、フランスはリエゾン、イタリアは明瞭な滑舌…といった違いがあって、興味は尽きません。私のオリジナル楽器信奉は深まるばかりです」と言ってはばからない。