2016年に突如SoundCloudにアップされた〈千紗子と純太〉という見慣れない名前のアーティストによる楽曲“夢の海”は、その年のベスト・ソングに選出する音楽ファンが続々現れたように、現代の〈歌モノ〉ポップスとして非常な瑞々しさと耐久性、そして完成度を持った逸曲だった。
オリエンタルな情緒を感じさせるメロディー、どこかレトロ・フューチャー的ノスタルジーを喚起するシンセサイザー、ストリングスや生ドラムを交えたヒューマンな手触り、そして中音域で伸びやかに泳ぐグルーミーな女声ヴォーカル……。
neco眠るでシンセサイザーやコンポーズを担当し、DJとしても活動するBIOMANこと純太と、ラップやテクノ、果ては民謡までをも取りこんだ躁的パーティー(?)グループ、CASIOトルコ温泉のメンバーでもあるMTGこと千紗子によって突発的に開始されたこのユニットによる同曲は、それまでの二人のキャリアからは導き出すのが容易ではないような、ポップスとしての快感とミドル・オブ・ザ・ロード的魅力に溢れた一曲だった。その後12インチ・シングル化され、その興奮がいまだ冷めやらぬなか、待望されていたファースト・アルバム『千紗子と純太と君』がいよいよリリースとなる。
期待通りにヴァラエティーに富んだ〈良質なポップス〉が詰め込まれた本作だが、どこかしらに漂う憂いや苦味、そして敢えて記名的なもの=オリジナルなものへ拘泥しない知性としたたかさが折り混ざり、実に一筋縄ではいかない楽曲集となっている。
結成のいきさつ、デュオという形態の魅力、いま音楽表現を行うことの意義、その歌詞内容について、彼らの住む大阪でまさに台風が暴れまわった晩、ビデオチャットでのロング・インタヴューが行われた。
千紗子、めっちゃ歌うまいやん!(純太)
――まずは結成のいきさつを教えてください。
純太「かなり前の話なんですけど、neco眠るでヴォーカルを入れた曲を作ろう、という話が漠然とあったんです。最初は友だちの素人の女子にヴォーカルをやらせてみようと考えたりもしてたんですけど(笑)、あの娘は絶対歌ってくれないだろうなあと……。それで誰に頼もう?と思ったとき〈あ、千紗子がええやん〉って思ったんですよね」
千紗子「その話、いま初めて聞いた(笑)」
純太「そのときは千紗子の歌声は全然聴いたことなかったんですけど(笑)、仲の良い友だちだし、なんか合いそうかなっていう(笑)」
――千紗子さんはそのときすでにCASIOトルコ温泉で活動していた?
千紗子「してましたね。neco眠ると同じ〈こんがりおんがく〉のレーベル・メイトだからバンド同士交流もあって。確か大阪のCONPASSのイヴェントで会ったときに〈歌ってや〉って誘われました」
純太「で、neno眠るのメンバーにも聴かさず、自分で勝手に曲を作りはじめたんです(笑)。それが“夢の海”なんですけど、作っているうちにだんだんストリングスが入ってきたり、〈neco眠るでこれを演奏するのは無理やろ〉って感じになってきたんですよ。そこから俺と千紗子の作品という形のほうがいいなと思って、千紗子にトラックを送ったんです」
千紗子「〈これ歌ってや〉っていきなり来ましたね(笑)」
純太「そしたら、返ってきたヴォーカル入りのを聴いて〈めっちゃ歌うまいやん!〉ってびっくりして」
――“夢の海”は、CASIOトルコ温泉のときの千紗子さんとはまったく違う歌い方ですね。
純太「こんな歌い方ができるなんて全然知らなかったんです。最初は下手くそでも別にええか、みたいに考えてたんですけど(笑)。テクニックもあるけど、なんというかヴァイブスが良かった」
――千紗子さんは純太さんから特にディレクションを受けずに、素直に歌って返したという感じですか?
千紗子「そうですね。CASIOトルコ温泉以外で自由に歌えるということが新鮮でしたし、けっこうガチで歌いました(笑)。逆に言ったら、私も初めて純太くんのトラックを聴いたときは意外でしたね。想像してる曲調ではなかったので」
――確かに純太さん=BIOMANさんのそれまでの音楽性からは想像できないようなストレートなポップさがあります。
千紗子「だからこちらもなんだか楽しくなって、気持ちよく歌ってしまって(笑)」
オリジナリティーとか記名性とかみたいなものって有効なのか?(純太)
純太「そんな感じで結成のいきさつも偶発的なユニットではあるんですけど、“夢の海”を経て、いまの自分にとってちょうどいい形態だなと思えて。これまであんまり〈ずっとやっていこう〉って思えたものってなかったんですけど、〈千紗子と純太は一生やっていってもいいかも〉って思えましたね」
――それは音楽的な手応えがあったから?
純太「それもあったし、デュオっていう形態がしっくりきたというか。シンガー・ソングライターとしてソロでやる形だったり、自分ばかりにフォーカスが当たっている形態だったりすると、好きなもののお披露目で終わっちゃうかもしれないなという気持ちがあって……」
――純太さんというか、BIOMANさんは以前『MISSANGA』(2012年)という歌モノのシンガー・ソングライター的な作品も作ってましたよね?
純太「……いや、そんなの知らないです」
千紗子「あははは!」
――え、封印したい感じなんですか?
純太「あれは、それこそそのときの自分の気持ちを100パーセント注ぎ込んだ感じなんですよ。でも結局、自分のなかでそれが寒くなっちゃって。俺の場合、DJをやってることもあって、一時的にブームが来てハマっても、結局飽きるんですよ。
〈自分のことをさらけ出しても結局冷めてしまうんやなあ〉という感じになって、どうしようかなと思っていたときにアイデンティティーの発揮の手法として、千紗子と純太という二人の形態がちょうどよかった」
――なるほど。
純太「tofubeatsくんが以前に〈『自分の曲』という概念〉ってツイートしていたことがあって。この時代に〈自分の曲〉ってそもそもなんだろう?ってことだと思うんですけど、すげえわかるなって。いまは情報の速度もどんどん増してきているし、他人の音楽をトレースしようと思えばなんぼでもできるし……」
――作家的オリジナリティーとか固有性とかみたいなものが、いまの時代に有効なのかっていう意識?
純太「そう。〈音楽に特別な神話性が宿る〉みたいなのも、流行が何回転もするなかでどんどんなくなっていっていると思うし、結局何かの形式美の範疇に収まってしまう。そういうなかで〈オリジナリティーや記名性みたいなものって有効なのか?〉とか〈そもそも記名性ってなんだろう?〉とかいろいろ考えてしまったんですよね」
――以前は記名的なことをやろうとしていた?
純太「めっちゃそうです(笑)。というか勝手に出てしまっていた。ああ、キモいっす。いまもパソコンに自分の顔が映ってるんですけど、キモい(笑)」
千紗子「あはははは」
純太くんの物語のなかの〈音色〉に徹しているというか(千紗子)
――そのデビュー曲“夢の海”はドラムやストリングスだったり、生音志向を強く感じました。それに比べて今回のアルバムではデジタルな質感が増していると思いました。
千紗子「“夢の海”はちゃんとレーベルからも制作費が出たけど、今回は予算が限られていたというのもあって(笑)」
純太「単純にそれもある(笑)。けれど今回は制作自体が、歌モノを作るとしたら自分は何ができて何がしたいかを確認する作業でもあったんで、コントロールしやすいデジタルの感触が強まったのかもです」
千紗子「初めに送られてきたデモから90パーセントくらい変わった曲もあったし、純太くんが作りながらめちゃめちゃ考えて変えていっているなっていうのは強く思いました。学ぶことと作ることが並行して行われている感じ。メロディーや細かいアレンジだけじゃなくて、トラックがまるごと変わってしまったり」
純太「自分の手癖に染まってしまうのが嫌で。自分の素直な好みより〈この曲がより良い方向にいくにはどうしたらいいか〉っていう基準で作っていきました」
――男女デュオをお二人自身でプロデュースしているというような感覚ですか?
純太「そこまでガチガチにプロデュースしているって感じではないかな」
千紗子「私からすると、このユニットにおける私というのは完全に〈語り部〉的存在だなと(笑)。一貫したテーマが純太くんのなかにあるので、その作品の登場人物として私自身も作品の一部になっている感覚。
一緒に発信することで我を通すというより、純太くんの物語のなかの〈音色〉に徹しているというか。消極的ではなく、そのほうがこのユニットにおいては音楽自体にもマッチする気がします。でも私にとってはそれがとても楽しい作業で」
千紗子の〈憂い感〉を出せる人はあんまりおらへんやろうなって(純太)
――千紗子さんはなるべく記名的なニュアンスを出さないよう気をつけて歌ったんですか?
千紗子「デモの時点ですごくエモい感じに歌ってみたら、自分としてもなんか違うなあっていうのはありましたね。歌いグセみたいなものもあるので、それをなくしていくイメージで」
――僕は歌声を聴いてユーミンの声を思い出しました。フェイクが抑制されてノーマライズされているような。それは純太さんのディレクションなんでしょうか?
純太「でも実は、俺としては千紗子の歌いグセをそこまで抑えた意識はないんですよ。むしろエモいところは残しているつもりだけど(笑)。たぶんユーミンっぽさっていうのは、どこか憂いがある感じなんやないかな」
――千紗子さんはどんなシンガーがお好きなんですか?
千紗子「ユーミンはとても好きですし、小川美潮さんも好きですね。あと浅川マキさんは昔からすごく好き。憂いや孤独をちゃんと表現した人として……」
純太「いま浅川マキっぽいことやる人っていなくないですか? みんななんか妙に明るくないですか(笑)?」
――確かに……。新宿ゴールデン街でうらびれて、みたいな〈不幸な私〉はいまリアルじゃないし……。けどそういうなかで要素として〈憂い感〉を軽やかに取り入れるってのは、おもしろいかも。
純太「千紗子の声が良いなって思ったのは、そういうのもありますね。その〈憂い感〉みたいなのが出せる人はあんまりおらへんやろうなっていう。だから、千紗子はそう思っていないかもですけど、千紗子の個性がいちばん出ている部分は残しているつもりです」
千紗子「そうやったんや(笑)。私が思っている私らしさと純太くんが思っているのには違いがあるのかもしれないし、それはそれでおもしろいですね」
〈エモ終身雇用〉みたいなものがないのかな、俺には(笑)(純太)
――では、楽曲面について。5曲目の“you know who you are”やオオルタイチさんが作曲と演奏で参加した7曲目“骨拾い”などに特に感じたんですが、アルバム全体からほのかにスペイン〜ポルトガルっぽいテイストや、南米音楽的なニュアンスも感じました。以前の王舟さんとのインタヴューの際もスペインのアーティストであるコンラッド・セトの作品についてお話されてましたよね。
純太「たぶんそれは俺の意図したところじゃなくて、血肉化している層から意図せず出てきてしまっている要素かもしれないですね(笑)。“骨拾い”に関しては兄貴(オオルタイチ)もブラジル音楽には以前から傾倒しているし、そういう要素はあるのかも」
――そういったいわゆるワールド・ミュージック的要素と歌謡曲感というか、湿り気のある和なテイストが混じり合って、ある種のエキゾな印象を受けました。
千紗子「あ〜、なるほど」
純太「確かに単一のイメージに回収されないような、一筋ではいかない音楽性というのは意識しましたね」
――俯瞰的にアジアや自国を見たときに見えてくるエスニシティーというか……。かつて細野晴臣さんがやられていたことにも通じる感覚なのかもしれないですが。
純太「うーん、それも意識的ではないかもしれないです。でも、そうやって俯瞰的視点でネタをピックアップして用いるというのがエキゾとかの特徴の一つだとするなら、日本人は自分たちのことですらネタにできるので、そういうのが得意なんだと思う。それが出ちゃったんですかね(笑)」
――それこそ現代日本における土着的文化であるところのJ-Pop性みたいなものまでも、俯瞰的に扱っているのかなと感じました。
純太「そうですね。いまの自分の思いを作品にするという目的のもとで、自分が持っているいろいろな音楽の手札のなかから日本語詞のポップな歌モノという手法を取ってきた感じなので」
――tofubeatsやパソコン音楽クラブといったアーティストたちに感じるような、ヴェイパーウェイブやフューチャー・ファンクの文脈での再評価を経たうえでシティ・ポップ的なものを取り入れていくみたいな感覚と、千紗子と純太にある俯瞰性って通じるものがあるのかもなと。
純太「そうですね。でも、根底にある思いはちょっと違うのかもなとも思いますね。やっぱり〈どうせ俺はいつか冷めてしまうんだろうな〉っていう大前提があって……。なんというか、〈エモ終身雇用〉みたいなものがないのかな、俺には(笑)。こう言うと後ろ向きに聞こえるかもしれないですけど、やりたいことは常に前向きに探していますよ(笑)」
無根拠に安心してもいいんじゃないの? それは千紗子と純太が請け負いますよ(純太)
――次に歌詞についてもお訊きしていきます。やはり歌詞にもどこか憂いが含まれている感じがあります。
純太「歌詞については特設サイトに載せている長いテキストでも書いているんで、それもぜひ読んで欲しいんですけど、このアルバムは群像劇ですね。各々の曲に各々の登場人物がいる。
〈憂い〉ということでいうと、〈恋人が戦争で死んで悲しい〉みたいな、ストーリーで描くことのできる悲しみじゃなくて、ストーリー性や意味がない、満たされているはずなのに一人になったときに寂しくなるという感じの〈もう一段階上の悲しみ〉のようなものを描きたかったんです」
――いろいろ経たうえでやってくる虚無感みたいな?
純太「歳のせいもあるんかもしれないですけど、悲しさに意味があるときってまだ救いがあると思うんですよ。〈戦争で家族が殺されて敵国が憎らしい〉という場合、ストーリーがある。でも天災の被害とか、意味を求めようとしても意味が見つからない状態がいちばん悲しいよなって思って。
それはクリストファー・ノーラン監督の戦争映画『ダンケルク』を観てそう思ったんですよね。人間同士の憎しみとか、そういうストーリーテリングはほぼなくて、代わりにその背景を埋めているのは綺麗な海であったり空であったりする。人が死ぬということってあまり意味のないことなんじゃないかって思って」
――1曲目“千紗子と純太”の一節〈いつか色褪せていく未来 閉じていく心〉とか、生活感覚的にその悲しみを捉えているような気がしました。
純太「〈ストーリーを見出そうとしても、そこには存在しない〉みたいな悲しみを音楽作品にしようする人ってあまりいないじゃないですか。ストーリーを設定したほうがやりやすいし。〈意味がない悲しみ〉について、いっぺん自分なりに統括しなくちゃなと思って」
――と言いつつ、同曲では〈たとえフェイクでもいい 大丈夫〉〈千紗子と純太に任せとき〉といった不思議な前向きさもある。
千紗子「そうですよね」
純太「植木等が歌う〈♪仕事のないやつぁ俺んとこへこい/俺もないけど心配すんな〉(“だまって俺について来い”)みたいなのって、根拠ないじゃないですか(笑)。〈まあ大丈夫だって!〉って背中バンバン叩くおじさんみたいな。
それだけで気が楽になることもあったと思うんですけど、いまって変に文脈だとか根拠がないと安心できない社会になっていると思うんですよ。でも、いっぺんそういうのを無しにして、無根拠に安心してもいいんじゃないの?っていう。それは千紗子と純太が請け負いますよっていう意志の表れなんです」
千紗子「あはは。とりあえず私たちがドーンとやりますよ、と」
純太「リスナーに対する表明でもあるし、最近俺が自分に言い聞かせていることでもありますね。そういう悲しみを無理に解決しようとせずに、大丈夫だよって気持ちと共に生きていきたい、生きていってやるぞ!っていう覚悟というか(笑)」
〈複雑に入り組んだアイデンティティー〉というのに興味があったんです(純太)
――4曲目の“小道 - Nós uma Estrada -”。これはアンビエントなピアノに乗せたポルトガル語の朗読ですね。
純太「このところ自分のなかで〈複雑に入り組んだアイデンティティー〉というのに興味があったんです。
例えば6曲目の“Iglesia ni Cristo”の曲名は、フィリピンのマニラでいまで起こっているキリスト教の新興宗教のことなんですけど、植民地だからだったから他国の文化も流入してきつつ、キリスト教から分派したネイティヴによる宗教が興っているっていう副層的な状況があるんです。そこに置かれたときにアイデンティティーや自己肯定感をどこに置いているのかというのに興味があって。
“小道 - Nós uma Estrada -”に関してはspeedy lee genesisさんというポルトガル語を勉強している東京在住の日本人DJの方がいて、朗読をやってもらったんです。曲自体のアイデンティティーも入れ子構造というか、そういう副層的な美しさのあるものにしたかったんです」
――単一性に回収されないことのおもしろさ。
純太「〈この人はこんな感じだよね〉って片付けきれないことを、曲自体でもやりたかったんです」
フィクションとして書いていたんですけど、リアルに起こってしまったのに身震いしましたね(純太)
――7曲目の“骨拾い”ではceroの髙城晶平さんが〈主題〉としてクレジットされています。
純太「〈曲のテーマになるものがなくて悩んでいる〉と髙城くんに話したことがあったんです。そしたら〈いま一個テーマあるからあげるよ〉って言われて。
髙城くんのお母さんのルミさんが亡くなったとき、家族でルミさんの地元の大阪に行って、いろんなお店とかゆかりのあった場所とかを巡ったらしいんです。その行程が〈亡くなった人の散らばった骨を拾っているようだ〉って思ったらしくて、〈これをテーマにして曲作ってみなよ〉って言ってくれて」
――そうだったんですね。
純太「ルミさんの亡くなった親族も改めて一つの墓に入れようと、あちこちに散らばっていた遺骨を髙城くんの親父さんが集めたらしいんですよね。そのなかの一つが古過ぎて骨壺にも入ってなくて、新聞紙の上に土ごと広げた中から骨を一個一個拾い上げたりしたんだそうです。親父さんと骨の持ち主は他人なんやけどそういう状況になっている、それもおもしろいから誰か歌にしてくれへんかなあって髙城くんは言ってて。
それで家に帰ってから15分くらいですぐ歌詞を書き上げて。パーソナルなテーマなので、作曲は身内に頼みたいなって思って兄貴にお願いしたんです」
――髙城さんの生活体験のなかから出てきた主題だったんですね。
純太「それを髙城くんという家族の視点じゃなくて、別の人の視点にしてみたんです。曲の主人公は骨を拾うけど、それが誰の骨かわからない。けれど、これは誰かが探している骨なんだろうなと感じる。それが誰の骨なのかは、この街や土に訊いてみたらわかるんじゃないかと、さらに別の視点の人物が言っているという構造ですね。
実は後日談があって、完成した曲を特設サイトに上げたテキストと一緒に髙城くんに送ったんですよ。今回のアルバムのテーマのきっかけになった、細川ガラシャっていう戦国時代のキリシタン女性の石像が立つ教会があるんですけど、〈あのテキストに載っている細川ガラシャ像のある教会って、オカンの兄が骨を納めているところだよ〉って言われて」
千紗子「えっ! そうだったんだ」
――すごいシンクロニシティー……。〈どこで誰がすれ違っているかは誰もわからないけれど、街は知っている〉っていうこの曲の内容がそのまま現実でもあった。
純太「そう。俺はフィクションとして書いていたんですけど、リアルに起こってしまったというのに身震いしましたね」
千紗子と純太は予想ができなくて楽しい。それを流れるままに表現できたらと思います(千紗子)
――今回のアルバムを経て、次はどういうことをやっていきたいですか?
千紗子「私は純太くんが作ってくる物語や歌を表現するというのがとにかくおもしろいので、次はどんなものになるかというのがとても楽しみですね」
――最初のリスナーみたいな感覚もある?
千紗子「そういう部分はありますね。突拍子がなくて、びっくりするような曲を送ってきたりするので、予想ができなくて楽しい。私としては、それを流れるままに表現できたらなあと思います」
――映画監督に対する俳優の感覚のような。
千紗子「ああ、それが近いのかもしれない。ぼやっと私が考えていることが純太くんとリンクしていることもありますが、〈それに対しては私もそう思う、だからこう言いたい〉とぶつかっていくのではなく、どう実現するかを考えて歌っていくほうが楽しいですね。
次はどんな方向に音楽性が振れていくのか楽しみでもありますし。バリバリのテクノに振れても、生音のほうに振れても、それに合わせてどんな歌い方ができるかな、ということを考えていくと思います」
――純太さんは?
純太「デジタルと生っぽい音のせめぎ合いは引き続き自分のなかでありつつ、いまはもうちょっと歌モノの路線を統括してみたいですね。今回のアルバムをもうちょっと補完した曲を作りたい。それと、ライヴはやりたいですね。全部生バンドっていうのも違うなって思っていて、模索しています。ライヴをやる際はぜひ観に来て欲しいですね」