聴衆を置いてきぼりにしない“わかりやすさ”を重んじた“いまの新しい音楽”を求めて

 マハン・エスファハニとファジル・サイ。前者はイランからアメリカに移住した後、古楽の本場イギリスで彗星のごとくデビューを飾り、現在は名門ウィグモア・ホールでバッハ鍵盤音楽全曲演奏シリーズ(完結まで数年かかる)を継続中のチェンバロ奏者。後者はトルコに生まれドイツで学んだ後、《春の祭典》多重録音で衝撃的なCDデビューを果たし、日本でもおなじみの存在となった人気ピアニスト。両者のあいだには、中近東出身ということ、鍵盤楽器奏者ということ、そしてバッハを得意とすること、くらいしか共通点が見出だせないかもしれない。

 偶然にも、ふたりは今シーズンすみだトリフォニーホールで演奏会を開催することになり、それぞれが相次いで制作発表記者会見を開催した(エスファハニはスカイプによる参加)。その時、彼らと直接話してみて強く感じたのは、エスファハニもサイも既成概念に捕らわれない自由な発想の持ち主であること、そして“いまの新しい音楽”を伝えるために、ある種の“わかりやすさ”を重んじているという点だ。

 まず、12月10日のチェンバロ・リサイタルで、スティーヴ・ライヒ初期の名作《ピアノ・フェイズ》チェンバロ版を演奏するエスファハニ。もともとピアノのために書かれた《ピアノ・フェイズ》は、マリンバ用に編曲された《マリンバ・フェイズ》という変種も存在するが、これをチェンバロで演奏しようと思い立ち、ライヒ本人から正式な許諾を得たのはエスファハニが最初である。そこで「なぜ、チェンバロで演奏するのか?」と単刀直入に訊ねてみると、「なぜチェンバロで演奏してはいけないのか?」と予想外の答えを返してきたので驚いた。彼の主張はこうだ。この曲で、2台のピアノが同一音型をユニゾンでループ演奏し、少しずつユニゾンをズラしていくと、ピアノの波形が倍音の重なりやその他の影響によって濁ってしまう。ところが、2台のチェンバロで弾いた場合、ピアノに比べて音色がクリアなため、チェンバロの波形が濁らず、きれいなサイン波を描くことが出来る。その結果、ライヒ特有のズレの技法(いわゆるフェイズ・シフティング)がはっきり聴こえるようになるというのだ。なるほど、フェイズ・シフティングは単なる“カオス”でも“トランス”でもない。そこに存在する固有の“音楽の美”(ミニマルなカノンと言い換えてもいい)を、彼は一点の曇りもなく伝えようとしているのだ。

 一方のサイは、11月9日の演奏会でピアニストとして《皇帝》を弾くだけでなく、作曲家として交響曲第2番《メソポタミア》を日本初演する。そこで「なぜ、メソポタミアという題材を選んだのか?」と質問してみると、彼はこう返してきた。「メソポタミアは古代文明発祥の地のひとつだが、現在はシリア、イラク、イラン、トルコなどの中近東国家が支配している。これらの地域では、テロや戦争が日常茶飯事のように起き、その様子が連日テレビなどで報道されている。そうした現状に対する自分の“思い”を、音楽で表現したかった」。その“思い”を、サイはさまざまな二元論的対比の形で表現している。各楽章の標題にもなっているティグリスとユーフラテスの2つの大河、あるいは太陽と月。そして曲全体を通じ“兄”と“弟”という設定で登場する、バスリコーダーとバスフルートの2つのソロ楽器。なぜ、そこまでして二元論にこだわるのか? それは、人間が“善”と“悪”という2つの対比的側面を抱えているからだ。その本質を、彼は“対比の交響曲”という形で伝えようとしているのである。

 エスファハニもサイも、一見すると奇異なアプローチで音楽に取り組んでいるように思えるが、その根底には、聴衆とのコミュニケーションを重視した“わかりやすさ”への強い志向がある。“いまの新しい音楽”とは、必ずしも聴衆を置いてきぼりにする難解な前衛音楽とは限らない。ふたりのアーティストは、それを日本で実際に示そうとしている。

 


ファジル・サイ  (Fazil Say)
1970年、トルコのアンカラに生まれ、92-95年までベルリン音楽院で学ぶ。94年にフランスでリサイタル・デビュー。作曲家でもあり、ピアノ協奏曲《シルクロード》《ブラック・アース》をはじめ、交響曲4曲を書いており、自作曲お収めたCDを定期的にリリース。2014年に交響曲第一番《イスタンブール》が日本初演された。

 


マハン・エスファハニ (Mahan Esfahani)
1984年テヘラン生まれ、ワシントンDC育ち。スタンフォード大学で音楽学と歴史を学び、ボストンでピーター・ウォッチオーン、プラハでズザナ・ルージチコヴァにチェンバロを師事。2015年BBCミュージック・マガジン年間最優秀新人賞。トップ・チェンバリストとして、「非凡なる才能」(タイムズ紙)など高い評価を得ている。

 


LIVE INFORMATION

トリフォニーホール《ゴルトベルク変奏曲》2018
○12/10(月)18:30開場/19:00開演
【曲目】ライヒ:ピアノ・フェイズ(マハンによるチェンバロ版)/ナイマン:チェンバロ協奏曲/J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
出演:マハン・エスファハニ(cemb)川瀬賢太郎(指揮)日本センチュリー交響楽団
会場:すみだトリフォニーホール

トリフォニーホール・グレイト・ピアニスト・シリーズ2018
○11/9(金)18:30開場/19:00開演
【曲目】ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73《皇帝》/ファジル・サイ:交響曲第2番《メソポタミア》(日本初演)
出演:ファジル・サイ(p)イブラヒーム・ヤズィジ(指揮)チャアタイ・アキョル(B -rec)ビュレント・エヴジル(B -fl)アイクト・キョセルリ(perc)滝井由美子(Theremin)新日本フィルハーモニー交響楽団
会場:すみだトリフォニーホール

www.triphony.com/

 

●制作発表記者会見 YOUTUBE

マハン・エスファハニ チェンバロ・リサイタル

 

ファジル・サイ《皇帝》&《メソポタミア》