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全身全霊でモーツァルトを生きぬく

 ファジル・サイモーツァルトとともに帰ってきた。手を携えてというよりも、モーツァルトと一体化して、独自の音楽世界を生きぬく、というほうが近い。

 2016年11月、紀尾井ホールでのリサイタルは、K330からK333のソナタを、ハ短調幻想曲K475で締めくくる構成。4つのオペラに序曲が続くような重量級の演奏会と言うと、そのとおりだとサイは笑った。「モーツァルトばかり5曲も弾くのは、演奏者にとっては非常に難しい。ひと月前にミラノで演奏したときは、第12番と第13番が途中で混ざっちゃった(笑)」。

FAZIL SAY モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集 avex-CLASSICS(2016)

 ザルツブルクで2014年に集中して録音した6枚組のソナタ全集は、サイ最初のモーツァルト・アルバムから20年後の果実となった。「日々変わっていくもので、新たな発見がある。今回もまた新しいことを学んだよ。18曲のソナタのうち10曲はすでに演奏していた。ザルツブルクのモーツァルト週間が何度も全曲を要望するので、ついにそれを受け、ミュンヘンとイスタンブールでチクルスをして、その後で録音した」。

 当初から自然な繋がりを抱くモーツァルトだが、ここ20年の経験はなにをもたらしたのだろう。「20年前に録音したとき、僕は若くて、もっと自然に演奏していた。いまはもっと彼のテクストに配慮し、なにかを付け足したりはしない。モーツァルトの曲は大抵4オクターブ半で書かれているから、若いピアニストはもっと欲しくなる。いまの僕はテクストに深く入り込み、オーケストラ的な響きを抽き出すようにしている。それには高度な集中が必要だし、想像力と物語もいる。いつどこで誰が何をするかを、考えながら弾いていく。録音後には、曲ごとに呼び名をつけ、テクストも書いた。主観的だけど、それが僕のリアリティー。CDは調性ごとに分けて、作曲家の進化を聴きとれるようにした。イ、ハ、ヘ、ニ、変ロにほぼ集中し、短調は稀だ。これが全曲の概観で、すべてのソナタにストーリーがあり、すべての音が歌ったり踊ったりしている。こうしてマクロコスモスから、ミクロへと分け入っていくことで、私の意図を理解してもらえると思う」。

 演奏するときに、内面で描くイメージと、実際に出てくる音の距離はどこまで近づいてきたのだろうか。

 「それは同じでなければいけない。そこが人生でいちばん難しい問題なんだ。自然な繋がりはいつも存在しているが、身体や楽器、集中力などの理由で達成するのは困難なもの。音と人間の間には、シークレットな橋がある。音楽も、音も身体に属している、自分の第3の腕のように。音のイメージが演奏するべきで、弾き手が音に向かうのではないんだ。かたちではなく、聴いている音楽だけがそこにあるように」