「日本でも本格的なリートのツアーを実現したいです」
~ドイツの新鋭バリトン、ソニーと契約~
ベンヤミン・アップル、36歳。196cmの身長の半分くらいが脚で小顔のモデル体形、ブラッド・ピットに似た姿はポップスター風だが、実際は ドイツのバリトンでリート(歌曲)の大家ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ最後の弟子に当たる。出身地レーゲンスブルクの大聖堂少年聖歌隊員として過去2度来日したが、大人になってからは今回が初来日。10月1日に東京・NHKホールでパー ヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団とオルフの「カルミナ・ブラーナ」を歌って帰国した。12月の再来日も2日に大阪城ホールで行われる佐渡裕指揮、〈サントリー1万人の第九〉にゲスト出演し、マーラーとバーンスタインを歌うだけ。「3回目こそ複数の公演を伴うツアーで、リートの世界をきちんとお伝えしたい」と、切に願う。
「カルミナ」のソロで接した生の声は、聖歌隊出身らしい澄んだ頭声発声を基本にした柔らかいリリックバリトン。「ドイツではフィッシャー=ディースカウ先生が72年にインタヴューを受けた時点ですでに、〈リートは死んだか?〉の問いかけがなされていた。これに対し英国では、室内楽の良い伝統の中にリートが位置付けられ、ウィグモアホールなどが優れた自主企画の録音を続けている。自分も3年前にロンドンに移住、ピアニストのグレアム・ジョンソンらの薫陶を受けながら、アルバムを制作してきた」と過去の録音の背景を語る。ソニークラシカルからのデビュー盤にはずばり、〈Heimat(ハイマート)〉のタイトルをつけた。「単純に〈故郷〉とだけでは訳しきれないドイツ語独特の言葉。ロンドンに生き、古典から現代までのドイツリートとともに英語、その他の国の言葉の作品を歌う自分自身のアイデンティティーと見つめ、幅広い国々の聴き手に届けるとの願いをこめた」という。
ドイツ語の発音は第2次世界大戦の終結以降、英語の影響が顕著となり、シューベルトが作曲した時代の発音とは食い違いが生じている。アップルは20年代、俳優向けに出版された「ドイツの舞台の発音(Deutsche Buehnen Aussprache)」で示された発音を基本に「過去と今日の発音を近づけ、少しでも現代の聴衆のそばに引き寄せよう」と努める。ドイツ語を母国語としない国々では「単なる歌詞の説明ではなく、それについてどう思うかの意見も交え、愛と死、喪失の意味を歌に託して伝えていく試み」を続ける。ソニーには今後、アイヴォール・ボルトン指揮バーゼル交響楽団との共演でベリオによる管弦楽編曲のマーラー歌曲集、フォーレの「レクイエム」など計5点のアルバムを録音する予定。柔らかな美声と知的解釈に魅了される聴き手が激増するはずだ。