短時間取材ゆえ〈ソウル・ネタで入れ食い状態〉を狙ったが、当日の流れはビデオ談義のほうへ。もはや御自身の口から耳の個人史を伺う機会も失せたが……本稿執筆を機に改めて資料整理をしてみたら、それなりに〈耳の構成要素〉が透視できた。反骨精神溢れるビートルズが大好きでギターを弾き始め、弟子入り先をコント55号かドリフターズかの二者択一で悩みつつも、「音楽の要素が入ったもの」「そのほうが笑いにも幅が出るだろう」と後者を選んだのは有名な話だ。その付き人時代からソウルに惚れ、ドリフ入り後は新宿のディスコ通いで本家本元の生演奏に触れ、「ずっとワンコードで同じリズムを刻むのが、とても気持ちよくて、ハマった」(新潮文庫「変なおじさん【完全版】」より)。

 冠番組を持った当初は、コントのBGMで流す曲も全部自選した。大ヒットした“ヒゲのテーマ”がテディ・ペンダーグラス“Do Me”の一部ベースラインを換骨奪胎したものならば、オーティス・レディングの“(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”を絡ませるコントもあった。毎回好きな曲を紹介するFM番組のコーナー名は〈ソウル・パワフル・ワンダフル〉、初回は同じオーティスの「落ち込んだ時なんかによく聴く曲」である“Security”を選んだ。一方、コントで重宝したのがランディ・クロフォードの“Almaz”、のちに“スウィート・ラヴ”の邦題でドラマ主題歌として話題を呼んだ辺りもソウル志村の先見の明を物語るエピソードだろう。

 かの“東村山音頭”の場合、4丁目は本家・三橋美智也の原曲どおりにメジャーで歌い、以外は詞も勝手に変えて3丁目はマイナー調、1丁目はややソウルっぽくアレンジした。また、“変なおじさん”の場合は、沖縄産の“ハイサイおじさん”と「語呂が似ているというだけの理由で、曲を使わせてもらってる」と、前掲文庫で綴っている。「動き自体は単純な」ひげダンスに関して、「あれも目の前にお客さんがいたからあれだけ受けたんだと思う」「お客さんに支えられて続いたネタだ」とコール・アンド・レスポンス的な効用を自身の総括としている。

 そして今、ネット上で話題沸騰中なのが、スカパラ × 上妻宏光 × 志村けん(+バカ殿)のコラボCM映像だ。〈キリン氷結〉のウェブムービー(2016年公開)なのだが、三味線の腕前を披露する故人の雄姿が追想派の間で脚光を浴び、〈再放送を望む!〉声が急増しているのだ。

 以上が志村耳の小史なのだが、小学4年生時、初めて人前でコントを披露した際の酔っ払いネタも、柳家金語楼の落語レコードが起点だったとか。では、自他共に「バカがつくほどのお笑い好き」を認める志村けんの、後輩評価とはいかなるものなのだろうか? 自身が芸人生活25周年の当時、彼はこう答えていた。

 「最近ではダウンタウンかなぁ。『ガキの使いやあらへんで!!』はビデオに録ってでも観てますよ。松本クンの発想と、浜田クンのあの真剣なツッコミね。あのツッコミが相当いいですよね。それから、あの風貌がね。初めのうちは松本クンの発想がずぅーっと面白いと思っていったんだけど、なんで面白いかっていうと結局、浜田クンのツッコミですよね。あれだけムキになって、あれだけ真剣にツッコんでくれたら、ボケやすいと思うんだよね。それに最近は、ああいう思いっきりツッコむタイプがいないから、いいよな」。

 4月3日放送の「ダウンタウンなう」は〈笑って偲ぶハシゴ酒特別編:ありがとう 志村さん〉と題し、4年前の麻布十番での酒宴模様を流していた。この場でも話題は自然と浜田のツッコミぶりに集中し、大先輩が「俺の頭を(パシッと)殴るのは今、浜ちゃんだけだもんな」と嬉しそうに爆笑を誘っていた。数多OAされた各追悼番組の名シーン中でも、このくだりはまるで28年前の実写補足編のようで私的には感慨深かった。

 その志村がかつて「なんでいつも、あんなに若い連中とカラめるんですか?」と、率直に質問した先輩がいる。初期「バカ殿様」で家老役を演じた故・東八郎、その人である。その「大きな影響を受けた」先輩の「忘れられない言葉」を志村けんは以降、座右の銘とした。東の答えはこうだった。

 「俺はいつもこうやってバカやってるから、若い人の中にでも平気で入れるんだ。ケンちゃんな、お笑いはバカになりきる事だよ。いくらバカをやっても観る人は分かってるって。自分は文化人、常識派だと見せようとした段階でコメディアンとしての人生は終わりだよ」。

 ずっと「その言葉を大事にしている」と自著で綴った志村けん、享年70、生涯一コメディアンを貫いた。

 


志村けん(Ken Shimura)
1950年生まれ。タレント、コメディアン。東京都立久留米高等学校を卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ弟子入りを志願。1972年、お笑いコンビ〈マックボンボン〉を結成し〈志村健〉として芸能界デビュー。1974年、24歳で正式にザ・ドリフターズのメンバーとなりギターを担当。その後〈ヒゲダンス〉〈♪カラスの勝手でしょ~〉〈変なおじさん〉などで人気を博す。代表作は「8時だョ! 全員集合」(TBSテレビ)、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBSテレビ)、「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)、「志村けんのバカ殿様」 (フジテレビ)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ)ほか。2020年3月に新型コロナウイルスに感染し、合併症の肺炎のため29日に逝去。享年70歳。現在放送中のNHK連続テレビ小説「エール」にて、山田耕筰をモデルとする役で4月27日放送分から登場予定。

 


寄稿者プロフィール
末次安里(Anri Suetsugu)

1954年4月、東京・荻窪生まれの著述家/編集者。近年はUstreamやFRESH LIVE(=いずれも無料配信事業から撤退)でネット番組を企画・制作し、近々に撮影・編集・構成・MCまでをソロで担う無謀な新番組(かつて編集兼発行人だった音楽誌「out there!」のネット版)を、懲りずにYouTube上で鋭意画策準備中。

 


INFORMATION

志村けん〈お別れの会〉
令和2年3月29日に逝去いたしました志村けんにつきまして、ファンならびに関係者の皆様に対し〈お別れの会〉を設ける予定になっております。開催時期や、詳細な内容については、新型コロナウイルスに関連する一連の状況を見極めながら、慎重に判断をする必要がございます。決定次第、弊社よりご報告をさせていただきます。それまでのしばらくの間、皆様にはご自愛いただき、元気に〈お別れの会〉にご参列いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
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