Photo Kenshu Shintsubo

古来、お能は厄いを鎮める神事として奉納されてきた

 昔から日本人は目に見えないものに畏敬の念を持って接してきた。自然災害や疫病などの悪いことが起きると、死者の祟りと考え、その死者を神として祀り、芸能を神事として神社仏閣で奉納することで、神を鎮めようとしてきた。その芸能の一つが能である。能の大きな特徴も、目に見えないものを舞台上で見るところにある。主人公の大半は、亡霊や精霊など実際には誰も見たことがないものだ。

 能の正式な上演形式は五番立といい、決められた順番で演目が上演される。まず最初に天下泰平、五穀豊穣を願う〈翁〉、最後は鬼を退治する演目というように、始めと終わりに祈りがテーマの演目が入っている。鬼は能に限らず伝統芸能ではよく演じられてきた題材である。もともと〈鬼〉は〈隠〉という字を当てられ、隠れて見えないものを指していると言われる。それは疫病のような厄いをもたらす大きな力の象徴である。能には神も鬼も登場するが、それらは本来目に見えない大きな力を、舞台上に可視化したものといえる。そこには、そうした力を鎮めようとする人々の願いが込められている。

 また、能の創始者、観阿弥・世阿弥親子が所属していた大和猿楽四座は、奈良の多武峰(談山神社)における維摩八講会に参勤し、能を奉納するのが務めであった。維摩会は病気平癒との結びつきが強く、そこで能は厄いを鎮める神事として奉納されていた。このように能は長きにわたって、世の平和を祈りつつ演じられ続けてきた。そして現在我々も目で見ることのできない新型コロナウイルス感染症という疫病の猛威に苦しんでいる。

 私は東京藝術大学で能の観世流シテ方を学び、現在は〈能声楽家〉として、現代音楽の作曲家と能の声楽〈謡〉のための新しい楽曲を発表している。能は謡と舞で構成される歌舞劇であり、能面を掛けての舞姿が印象的だが、実は謡という声楽部分が大きな位置を占めている。私はこの謡の素晴らしさを広めたいと思い活動を始めた。

 今や〈謡〉という日本独自の声楽は世界に広がり始めてきている。ペーテル・エトヴェシュ、細川俊夫などの著名な作曲家も謡の楽曲を手掛け、私もロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポランと共演をしてきた。この十年間の活動を通して十五カ国で公演し、謡の曲を作曲してくれた十九カ国五十名の作曲家たちは世界的に活躍している。