映画「TENET テネット」クリストファー・ノーランの掌の上で踊らされる? 時間の逆行を描くSFスパイ作に翻弄された体験

2020.09.21

コロナ禍によって窮地に立たされている映画界において、クリストファー・ノーラン監督の新作ということで大きな話題になっている「TENET テネット」。本作が、ついに日本でも公開された。映画館での映画体験に並々ならぬ情熱を持つノーランにとって、この状況下で劇場公開に漕ぎつけるまでは苦難の連続だったにちがいない、と推測する(実際、本作の公開は数度延期されている)。

そんな難境をくぐりぬけて、「TENET テネット」は好調なスタートを切っている。公開後3日間で日本の興行収入は4.5億円、世界では2.5億ドルを稼ぎ出しているという。とはいえ、称賛された前作「ダンケルク」(2017年)に比べて海外での批評家ウケはやや渋めで絶賛一色とは言いがたく、〈クリストファー・ノーランの映画でもっとも複雑、難解〉といった前評判が肯定的にも否定的にも広く共有されている。それでも、その難解さを体験したい、ノーランの新作に挑もうじゃないか、と多くのファンが映画館に足を運んでいる状況はおもしろい。

満を持して公開された「TENET テネット」。はたして映画を観てみると、マジで複雑怪奇な代物だった。なんなんだ、これ。

映画の前半は、やけに説明過多なせりふと説明不足な状況に翻弄されつつも、〈なんだ、みんな「難しい」とかなんとか言っているけれど、たいしたことはないじゃないか〉と余裕の態度で観ていられた(特に、冒頭部分は劇場で先行上映されていたので、なおさらである)。〈ふーん、これが「TENET テネット」ね〉てなもんである。

しかし、そんな〈「TENET テネット」、余裕だぜ〉という態度は、映画のちょうど折り返し地点でへし折られる。問題は、予告編やTVコマーシャルでも見せ場になっているカー・チェイスのシークェンス以降だ。そこから、「TENET テネット」という映画はまったく異なる様相を帯びていき、観ているこちらの頭の中には〈?〉がひとつまたひとつと増えつづけ、気づけば〈?????〉に埋め尽くされている。荒波のような怒涛の展開に観客は身を委ねて飲み込まれるほかなく、思考がほとんど停止してしまい、プロットを追うことをなかばあきらめ、あとは呆然としながらスクリーンを見つめるのみである。なんなんだ、これ。

「TENET テネット」のテーマは〈時間〉だ。映画というアートの根幹に、時間は密接に関わっている。であるからにして、時間をテーマにした映画は古今東西たくさん撮られてきた(クリストファー・ノーランは時間についての映画をいくつも撮ってきた作家である)。しかし「TENET テネット」が扱っているのは、一方向に進むしかないと私たちが考えている時間の流れそのものである。現代の物理学で実証されているという、エントロピーが増大から減少へと逆転する――つまり、〈時間の矢〉が逆向する、という現象。クリストファー・ノーランはこれに注目し、時間の〈順行〉と〈逆行〉が複雑に絡まり合うSFスパイ映画を作り上げた。

時間を逆行する、ということでいえば、ノーランの出世作である「メメント」(2000年)が思い出される。しかし、「メメント」で重要だったのは〈記憶〉だ。対して、「TENET テネット」で重要なのは〈記録〉であり、実際にキーワードとして映画の後半、頻繁に登場する。時間を逆行し、時間そのものをめぐって戦争状態に突入していく「TENET テネット」の世界において、〈記録〉は決定的な武器になりうるのだ。

それこそ、本作の主人公である名もなき男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は背景(記憶)をまったく持たないまっさらな存在であり、むしろ彼とその物語において重要なのは、過去の記憶ではなく知りえない〈未来〉である。その点で名もなき男(役名は〈主役〉を意味する〈the Protagonist〉で、映画のなかでたびたび言及される)は観客とまったく同じ境遇に置かれており、〈なにが起きているのかわからない〉という私たちと同じ視点でものを見ている。「TENET テネット」における名もなき男(観客)は、これから先の未来を知ることができない(映画のプロットを知らない)存在であり、またそれこそが強みになっている。〈名もなき男=観客〉と考えるならば、「TENET テネット」は、いま先の見えない状況を生きている観客を勇気づける映画だとも言える(ただし北村紗衣は、この名もなき男という〈空虚な中心〉を人種のポリティックスの観点から批判的に見ており、たしかに問題含みなところもあると感じた)。

そんなふうに、「TENET テネット」は時間をかけた戦いを繰り広げるスパイ映画、戦争映画なのだが、一方でニール(ロバート・パティンソン)というキャラクターに象徴される〈起きたことは起きたことだ〉という諦念まじりの、虚無的な感触もある。名もなき男もニールも、時間を逆行するなかで彼らの時間に組み込まれてしまった〈起きたこと〉を〈起きたこと〉として再現することに腐心する。そんな彼らの行動は、時間を逆行しながらも、結局は一方向に進む時間の矢に、無抵抗に巻き込まれているだけのようにも見えてしまう。彼らは過去のために戦っているのか、それとも未来のために戦っているのか……。このあたりに、クリストファー・ノーランのリアリストっぷりが表れているのでは。

私は「インターステラー」(2014年)のヒューマニスティックでエモーショナルなところが好きだったので、「TENET テネット」はいささかキャラクターの描写が平面的に感じたこともいなめない。背景を持たない名もなき男がその象徴であり、エリザベス・テビッキやケネス・ブラナーら、俳優たちの演技が素晴らしいだけに、そこは少し残念だった(その点、ニールはとても魅力的な人物だ)。

「TENET テネット」が優先しているのは、キャラクターよりもクレイジーなロジックによる映画的な仕掛け、そしてそれが生み出すスペクタクルである。だからこそ、余計なことを考えずに映画にのめり込むことができる、とも言えよう。

……という具合に、「TENET テネット」を観てからというもの、この映画について丸一日、いやそれ以上考えつづけるハメになった。〈あそこのシーンはどうなっているのか?〉〈あれはなんだったのか?〉と。パンフレットに掲載された物理学者・山崎詩郎(日本公開にあたって科学監修を担当)の図解と〈研究〉を読み、さまざまな記事や解説やブログを漁り、視覚化されたタイムラインをもとに交わされているRedditの議論を眺め……気づけば、2回目の鑑賞のために映画館に足を運んでいる。それでも理解が追いつかないし、説明不可能なところがかなり多い。

そうしたことも込みで、〈「TENET テネット」を観る〉という体験であるような気がする。とはいえなんだか、クリストファー・ノーランの手のひらの上で踊らされているような気も。ああ、また「TENET テネット」のことを考えていた。いかんいかん……。

そんな体験を、あなたも映画館でしてみてはいかがだろう?

 


FILM INFORMATION
TENET テネット

監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン 
製作:エマ・トーマス 製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ
出演:ジョン・デイビッド・ワシントン/ロバート・パティンソン/エリザベス・デビッキ/ディンプル・カパディア/アーロン・テイラー=ジョンソン/クレマンス・ポエジー/マイケル・ケイン/ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画

オフィシャルサイト:http://tenet-movie.jp
Twitter:https://twitter.com/TENETJP #TENETテネット

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