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創作の原体験

黒川「日々の暮らしが自分の書くものに影響してくる感覚があるんですけど、憲太郎さんは何が影響しているのか知りたいです。好きな食べ物とかありますか?」

中尾「……それはラーメンかもしれない。嫌いな音楽はあるけど、嫌いなラーメンは今のところないな(笑)。でも、音楽じゃなく音だけで考えると嫌いなものはないかもしれない。ドラムセットの音とかキックの音とかベースの音とか。音にフォーカスすると、それはそれで聴けるんだよね」

黒川「音楽はお仕事でもありますけど、それ以外で趣味はありますか?」

中尾「映画は観るね。何もない日があったら1日4本とか観ることもある。それこそモジュラーシンセを触りながら観ることもあるし。30代の頃はサーフィンやったり、40になってからはキックボクシングとか、両生類にハマった時期もあったけど、結局はどれも落ち着いて。イモリって言うと、みんなアカハライモリしか知らないじゃん。でもそれって日本と一部のアジアだけのイメージで。世界のイモリはすごいんだよ。繁殖期になるとオスの背ビレや尻尾が伸びて求愛行動するやつとか、水玉模様のやつとかいろんなのがいて」

黒川「それを飼っていたんですか?」

中尾「そうそう。温度管理と餌さえきちんとやればいいから」

黒川「僕は生き物を飼ったり、生き物が身近にいたりすると、暮らしに影響が出ると思っていて。ちょっと前に自宅の玄関脇の電気メーターの箱にスズメが住み始めたんですよ。愛着がわいて一日に何度も覗きこんだり撫でたりして。生き物が自分の暮らしの範疇にいる時は、世界を見るときのレイヤーも変わったり、普段気が付かないような言葉が思い浮かんだりしてましたね。趣味以外で、憲太郎さんの創作に影響しているものは何ですかね?」

中尾「あー……でも、自分の最初の音楽体験は何だろうと考えた時に、僕の地元の北九州に小倉祇園太鼓っていう祭りがあって、両面打ちの和太鼓を山車に乗せて叩きながら練り歩くんです。それを町内会でやってるから、僕も参加できて。何がいいって、それに参加すると学校を半ドン(半休)で出ていいんですよ。だから積極的に参加してて。

ああいう反復のリズムをずっと叩いてるのが楽しそうだったし、他の町内の山車とすれ違いざまに対抗意識が出てきて、相手のテンポをずらしてやる争いみたいなことが起こるんですよ(笑)。すっごい速いテンポでやって急に落としたりしたり、相手に合わせてみたり。だから街中でやってる時はイケイケで楽しいんだけど、評議会になるとつまらないわけ。最終日の終わる時間が決まっているんだけど終わらせずにずーっとやったりとかね。今思うと、音楽におけるトランス状態みたいなものの原体験はたぶんそれだったと思うな。だって、手が血まみれなのに熱中してやってたもん」

黒川「なるほど。その時のトランス状態とか、そこから〈爆発〉を起こすことが、その後の音楽と結びついていると。じゃあ、憲太郎さんがもしミュージシャンを選ばなかったとしたらどんな仕事をしていたと思います?」

中尾「たぶん地元で飲食店をやっていたと思う。福岡を出るまでは地元の飲食店で働いていて、接客とかが好きだったもん」

黒川「音楽が自分の生業になっていくのを意識したのは、どれぐらいの歳だったんですか」?

中尾「それって本当にさ、今でもそんなに意識してなくて。音楽に関しては全部成り行きなんだよね。中学まではさっき言ってた太鼓を叩いてて……高校の時にバンドブームだったから、興味はそんなになかったんだけどクラスでバンドを組むことになって、クラスの仲間に〈お前は背高いからベースな〉って言われてベースを持たされて、コピーバンドをやり。

そうこうするうちに他のバンドにも誘われたり、高校卒業してからも、うちの親父がよく飲んでいたバーがあって、そこに親父を迎えに行ったら、バーの人から〈私の友達がベース探してるんだけどやらない?〉って言われて、そうやって入ったバンドがBACK DROP BOMBで今ドラムを叩いている(有松)益男さんがいたバンドで。それで福岡の音楽シーンに触れていったら面白くて、そんな感じで遊んでいたらお世話になっていた先輩の紹介で、ベースを探していた向井くんと出会い、ナンバーガールになり。だから全部成り行きで、音楽が仕事になっていくっていう意識はないままなんだよね。隆くんはさ、詩の仕事の方が難しくない?」

黒川「〈詩で食えるようになりたい〉ってずっと思ってはいたんですけど、食えることをゴールにはしてはいなかったんです。そっちを優先にすると、書く必要がないことも書かなきゃいけないことも出てくると思うので。そういうことをせずに今こうして食べていけてるのは奇跡的なことだと我ながら思います」

中尾「詩はいつから書いてるの?」

黒川「意識的に書いたのは15、16歳ですね」

中尾「そういうことをやってるとさ、〈あいつ変だな〉って言われない(笑)?」

黒川「まだ意識的に詩を書く前の小学6年生ぐらいの時に書いてるものが親に見付かって、病院に連れて行かれそうになったことはありますね。かなり暗いことを書いていたんだと思います(笑)」

中尾「なんで音楽とかじゃなく、子供の頃から詩を書いてたの?」

黒川「子供の頃って日記を書くじゃないですか、おそらくあれが詩だったんだと思うんですよね。ずっと書いてはいたんですけど、中学3年生ぐらいのときにブログが流行って、そこに書いたものを載せてみたら〈この言葉に励まされました〉といったコメントが来るようになって。こんな日記みたいなものが、人の何かしらになるんだなっていう体験があったんで、その後も書き続けたっていう」

中尾「なるほどね。特に影響を受けた詩があるんじゃなくて、日記の延長みたいな感じで始まっているのか」

黒川「そうですね。それで徐々に、〈ここにこういう言葉を書いてもらえないかな〉って言われるのが仕事になっていった。だから僕も、偶然と言ってしまえば偶然なんですよね」

中尾「それでも、やっぱり詩を書くって言うのは結構能動的な作業じゃん。僕のベースは誰かがいてそれに合わせて弾くから、能動的な作業じゃないからさ。そこは違うなって思うね」

 

人に繋ぐ、人と作る

――中尾さんが〈意識してミュージシャンになったわけではない〉のに対して、黒川さんは詩だけで食えてない頃から〈詩人です〉って言っていて、そこは対照的だなと思います。

中尾「自分はバンドマンだなとは思うけど、ミュージシャンだなと言われるとすごくこそばゆいんですよね」

黒川「僕は自ら〈詩人です〉って名乗ったことはほとんどないんですけど、その場にいる人から〈彼、詩人なんだよ〉って紹介されることが多いので、詩人という言葉が強いからそう記憶されがちなのかもしれないです。僕は腹の底から〈生きている人はみんな詩人だな〉と思っていて。詩人って何かっていうと、生命体だと思うんですよ。その上で僕自身は、より、人生を噛み締めながら生きようとする人間だと思っていて。

今ここにあるテーブルも、普通の人にはただの平坦なテーブルに感じるかもしれないけど、僕はこの真っ直ぐの中にある0.1ミリの起伏にも気付くと思うんですよ。そこは毎日の暮らしの中で、いろんなことに対する感度を高い状態に保っているからで。でも、そうした感度も本来はみんなが持っているものなので、僕の詩によってそれぞれが持つ既視感を呼び起こしているんじゃないかなって思います」

中尾「言葉って結局は、日本語だったら日本語というものに接してきた人たちの、共通認識の集合じゃないですか」

黒川「まさにそうです。だから僕は、先人が繋いできた共通記号のバトンを渡されて、今そのバトンを持っているだけなんですよ。サグラダ・ファミリアの主任彫刻家の外尾悦郎さんにお会いした時に、〈君はなんで詩を書いているの?〉って言われて。そこで今のバトンの話をしたら、〈君は分かってるね〉と言われたのが嬉しかったです。外尾さんはガウディの跡を継いだけど、最初はサグラダ・ファミリアをどう造っていけばいいかが分からなかったらしいんですね。でも、ある時にガウディと向き合うのではなく、ガウディの見ていた方を見てみようと、ガウディと同じようにサグラダ・ファミリアを見た時に、自分がどうしていけばいいのかスーッと分かったといった話をしてくれて」

中尾「なるほどね」

――中尾さんは機材の知識も豊富で、機材に関する文章も書いていらっしゃいますよね。そういう意味では中尾さんも、誰かから受け取ったバトンを渡しているというのは共通することではないですか?

中尾「僕は機材が好きなだけで、ちょっと前にも〈若い人に教えてくれないですか〉って言われたんだけど、教えるって難しいなと思うんです。そもそも自分が教わってないし……我流が強すぎるんだよね。でも、結局はたまたま持たされた楽器がベースだっただけで、中学生の頃の太鼓を叩いてトランス状態になっていたあれを今でも目指しているところがあると思うのよ。ベースという楽器が、衝動的な気持ちを打ち付けても応えてくれる楽器だったっていうのもあるし、モジュラーシンセをやっているのもドラムを叩くのも同じように楽しいし」

――中尾さんは、向井さんや浅井健一さん、日暮愛葉さんなど言葉を操る個性の強いフロントマンとバンドをやられていますが、そういう方々とうまく一緒にものを作る秘訣などはありますか?

中尾「どうやっているんでしょうねえ(笑)。でもぶつかったりすることはないかな。役割分担がはっきりしているというか、その人の世界を具現化する一員っていう感じだから、〈その人が表現したい意図〉と〈自分がやる意味〉を、うまく自分の中でせめぎ合わせるというか。浮世絵に例えると絵師がいて彫る人がいて刷る人がいるみたいな感じ。だからアーティストとかミュージシャンって言われてもピンとこなくて、どっちかといえば職人って言われるほうがスッと納得できるね。

ナンバーガールをやっていた頃は若かったから、ぶつかるというか〈ケッ!!〉って思ったことはあったけど、それ以降はそういうことはないかな。でも、さっき言ったように言葉を操る人というか、〈ザ・アーティスト〉みたいな人に対しての尊敬とか畏怖も自分の中ではある。隆くんは詩人だもんね、すごいなと思うよ」

――黒川さんは高校で講師をやることもありますけど、後輩に〈繋ぐ〉という意識はありますか?

黒川「それはあります。ただ、ものの作り方や詩の書き方って、てにをはは教えられても、そこから先を教えるのはほとんど無理なんじゃないかと思うんですよね」

中尾「道を歩きながら、いかに自分のフィルターを通して感覚を文字にできるかってことだもんね」

黒川「まさにそうです。詩人として目指すところって、自分がこの星の濾過機になることだと思うんですよ。自分というフィルターを通してポタポタと落ちたものが詩になるので、純度の高いフィルターを目指しているっていうことですね。

ここまで濃い内容のお話ができましたが、最後に今後この企画に出ていただけたら面白そうだなっていう方がいたら紹介していただけないでしょうか」

中尾「難しいなあ。……隆くんのおじさんじゃない(笑)?」

黒川「画家をやってる僕の叔父ですか(笑)」

中尾「ミュージシャンだったら……曽我部恵一さんなんてどうだろう。いつも飾らないから好きなんだよなあ」

黒川「なるほど、曽我部さんですか。僕も大好きなアーティストです。今日はありがとうございました」




PROFILE:黒川隆介
神奈川県川崎市出身。16歳から詩を書き始め、国民文化祭にて京都府教育委員長賞受賞。「詩とファンタジー 寺山修司抒情詩篇」に山口はるみ氏とのコラボレーションで掲載。柏の葉T-SITEにて登壇、ファッションブランドとのコラボレーションなど、近年、詩と映像を軸に広く活動中。