Photo by Marco Borggreve

おやすみ、まだ夢のなか。

 おやすみなさい。よい夢を――そう言って別れたあとは、それぞれの物語を漂泊していく。まだ起きているのか、もう眠っているのかもわからない。音楽を耳にした気はするが旋律は覚えていない。静けさだけがあったか。

 やさしいピアノの響きが聴こえていた。薄く開いた扉の向こうから、なにかいい香りのように漂ってきて。それもいつのまにかふっと消えてしまう。近くも遠くもない、不思議な質感の響きだ。ベルトラン・シャマユらしく明朗さと儚さが溶け合って、さまざまな感情に触れながら、誰も傷つけることのない繊細な気づかいに充ちている。

 マルティヌー、バラキレフ、リャプノフ、グリーグ、ブゾーニ、ブラームス、リスト、そしてショパン。〈子守歌〉だけでもこれだけの多彩さと、ピアニストの私的なまなざしが感じられる。リストとラッヘンマンはゆりかごで、ヴィラ=ロボスとメル・ボニは少女で繋がっていく。ブライス・デズナーが寄せた新作の透明感も特別だ。ヤナーチェクの“おやすみ!” で短篇集ははじまり、アルカンの“私は眠った、しかし心は目覚めている”で夢は途切れる。

 誰だって、子守歌の思い出はあるだろう。もし思い出せないとしても、子守歌はやはり子守歌で、音楽である以前に、そのような心のかたちをしている。ゆりかごで揺れるように、まだかたちにならない、そのまま深くに残る感情がいろいろに流れ込んでくる。

 愛、安らぎ、おそれ、さみしさ――そうした気持ちはすべて、目覚めている間も、眠っている間も、僕たちの心を離れることはない。そもそも、ひとつの呼びかたに割り切られた感情なんて、もともとありはしないのだった。

 つらいことだが、このアルバムを聴いていて、あの人もきっと好きだろう、と僕は思った。それぞれにきっとなにかを言いたくなる。だから、また会って話したいと思った。夢のなかではどんなことも可能だが、約束はない。起きているときだって、たいして変わりはなかった。それはまだ叶えられていない。なにも急ぐことはなかった。

 シャマユの眠れない、いつまでも眠らない夜は、そうしてあなたの起きぬけとなる。