フィルム・コンサート〈JOKER〉日本初公演!
大スクリーンで蘇る大ヒット作「ジョーカー」の感動を全編上映 × フル・オーケストラによるライブ演奏で再び!

 米国アカデミー賞で作品賞を始め11部門にノミネートされ、主役を演じたホアキン・フェニックスが主演男優賞を受賞するなど世間を大いに賑わせた「ジョーカー」は、すでにご覧になっている方も多いのではないかと思う。今となってはすっかり市民権を得ているアメリカン・コミックスの実写映画だが、よもやヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲るとは数年前ではまず考えられなかった事態だろう。アメコミ原作の映画が権威ある最高賞を受賞したことについて〈異例の快挙〉という奥歯に物が挟まったような評価がありつつも、その賛否を問わず様々な議論を呼んだ本作そのものが異例づくしの話題作であることは間違いない。

 スーパーマンと並びアメコミを代表する最も有名なスーパーヒーローとして知られる「バットマン」シリーズのスピンオフである本作は、近年やや迷走気味にも思われたDCコミックス映画にとって、ジョーカーというまさに切り札に相応しい。そのタイトル通り主人公はバットマンの宿命的な敵役であるジョーカーなのだが、マーベルによる「アベンジャーズ」シリーズのようなフランチャイズ化した映画群とは異なり完全に独立した作品となっている。

 原作コミック「バットマン:キリング・ジョーク」を参照したと思われる本作のジョーカーの誕生譚は、これまでにジャック・ニコルソンやヒース・レジャーが演じたジョーカー像に慣れ親しんでいる方にはやや拍子抜けに映るかも知れない。なぜならジョーカーというキャラクターは、これまで素性の一切が謎に包まれた正体不明の犯罪者として描かれてきたからだ。クリストファー・ノーラン監督による「ダークナイト」(2008年)のジョーカーでも、本人の口から度々語られた生い立ちはてんでデタラメだった。ジョーカーが企てる冷酷無慈悲な犯罪もさることながらその存在そのものが、偽善に満ちた世界を暴くためのブラックジョークであり、ジョーカーが収容されている精神病院を舞台にしたコミック「バットマン:アーカム・アサイラム」では、バットマンが精神的に追い詰められ遂には白旗を上げている(!)。

 ジョーカーのキャラクター造形は、夜な夜なコウモリのコスチュームに身を包み、独善的な正義の暴力によって超法規的な自警活動を行うパラノイアックな大富豪ブルース・ウェインことバットマンの鏡像として描かれてきた。この分裂的なパーソナリティーを巡るモチーフは、ブルース・ウェインの幼少期のトラウマティックなエピソードをはじめ、シリーズの最も普遍的なテーマとしてこれまでに幾度となく繰り返されている。本作でもご多分に漏れずバットマンとジョーカーの関係性を複雑に変奏しているのだが、本作ではいよいよその顔面に張り付いた笑みで常にファンを煙に巻いてきたジョーカーの謎に満ちた素性に切り込んでいく。

 ところが、ホアキン演じるジョーカーは、発作的に不気味な笑い声を上げてしまう障害を抱えた居場所のない孤独な男であることが早々に明かされる。アーサー・フレックという実名が与えられており、そればかりか病床の母親を自宅介護する心優しいピュアな好青年にすら見える。底知れぬ悪のカリスマ像からはほど遠い本作のジョーカーは、単なるサイコパスとしてではなく、貧困と孤独に喘ぐ切実な現実を背負った存在となっているのだ。

 本作を監督したトッド・フィリップスは、大ヒットした「バングオーバー」シリーズなどコメディ映画の旗手として知られる。涙を流した白塗りのメイクという典型的なピエロの装いで登場するトッド・フィリップス版のジョーカーは、監督のこれまでの作風を反転させるように喜劇の表裏としての悲劇という古典的なモチーフを踏襲しつつ、人に笑われ、搾取されることでしか生きていけない道化たちの悲哀に焦点が当てられている。惨めな日々を過ごすスタンダップ・コメディアン志望の大道芸人の男が、次第に狂気に堕ちてゆく。成り行きで大衆のルサンチマンを象徴する悪のインフルエンサーとして祭り上げられ、稀代のスーパーヴィランへと成り上がる。そんなピカレスク・ロマンのように見える本作だが、物語が進んでいくにつれて観客はまんまとジョーカーの罠に嵌っていくことになるだろう。〈信頼できない語り手〉であるジョーカーの主観から語られる本作では、乾いた笑い声と共に妄想と現実は交錯してゆき、真実は再び闇の中へと消えていくのだ。

 この捉えどころのない極めて複雑なキャラクターを生々しく立ち上げたホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技が称賛されたことは、作品をご覧になった方の多くが納得するところだと思う。しかし本作がアカデミー作曲賞を同時受賞していることを知る人は意外に多くない。ジョン・ウィリアムズやアレクサンドル・デスプラなど名だたる映画音楽の巨匠たちを抑えて作曲賞を手にしたのは、ヒドゥル・グドナドッティルという耳慣れない名前の女性音楽家だ。

 アイスランド出身の彼女は、2018年に惜しくも急逝した同郷のヨハン・ヨハンソンと共に、映画やドラマのフィールドで近年目覚ましい活躍を見せてきた。múm(ムーム)というバンドのメンバーとしてエレクトロニカと呼ばれる決してメジャーとは言えないジャンルで活動していた稀有な才能が、現在は映画音楽家としてのキャリアを歩んでいるのは大変興味深い。10数年前に渋谷の小さなライブハウスで彼女の演奏を目撃したことのある身としては、なかなか感慨深くもありエキサイティングだ。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「ボーダーライン」(2015年)や「メッセージ」(2016年)などのヨハン・ヨハンソンにも通ずるヒドゥルの実験的で繊細な映画音楽へのアプローチは、今後の映画そのものの可能性を更に押し広げていくだろう。本作のスコアはチェリストでもあるヒドゥルらしい重厚で繊細なストリングスが印象的だ。同情すら拒むようなアーサーのどん詰まりの寒々しい日々に肉迫するノイジーな弦の響きは、まさにジョーカーという映画そのものを力強く象徴するサウンドとなっている。イメージと渾然一体となったその物悲しい旋律は、今回のフルオーケストラによる演奏によってその輪郭をよりはっきりと浮かび上がらせるだろう。

 近年では日本でもオーケストラの生演奏付きの上映イヴェントが増えているようだが、楽器や活動弁士などの実演を伴った上映形態は、トーキー以前のサイレント期に主流だったものだ。まるで先祖返りのようなこの生演奏による上映は、映画体験の持つ一回性の醍醐味と映画そのもののマジックをアンプリファイする。オーケストラピットに潜む演奏者たちの息づかいや、客席のささやかな衣擦れの音さえも作品の世界と同期し、劇場を満たす生々しい音の波の中でフィクションと現実は重なり合っていくはずだ。

 本作の舞台となっている70~80年代のニューヨークを思わせるゴッサムシティという架空の都市の風景は、映画がクライマックスに向かうにつれ奇しくも現在の激動するアメリカにオーヴァーラップしていく。この混沌とした時代の中で、フィクションとリアルは曖昧に溶け合い、我々はいつの間にか狂気の淵に立たされている。それこそが、まるでジョーカーが仕掛けた笑えないジョークのようだ。そんな不要不急とは真逆のスリリングな体験をナマで味わえるという贅沢に代わるものは今のご時世になかなか見当たらない。

 


JOKER LIVE IN CONCERT

○2021年2年20日(土)19:00開演
○2021年2月21日(日)13:00開演/18:00開演
会場:東京国際フォーラムホールA
上演時間:2時間2分(別途休憩あり)
上野正博(指揮)東京21世紀管弦楽団
stage.parco.jp/web/play/jokerliveinconcert/

上映作品「ジョーカー」
出演: ホアキン・フェニックス/ロバート・デ・ニーロ/ザジー・ビーツ/フランセス・コンロイ 他
監督・共同脚本・製作:トッド・フィリップス
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル(ムーム)
※R15+指定:15歳未満のお客様のご来場は、ご遠慮下さい
※英語上映、日本語字幕付き
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