新潟出身、弱冠二十歳のシンガー・ソングライター、伊津創汰がアルバム『DREAMERS』をリリースした。影響源に秦基博や奥田民生、斉藤和義などの名前を挙げ、ライブではアコースティック・ギターとルーパーを駆使する彼は、2017年、高校生の頃より音楽活動を開始。〈マイナビ 未確認フェスティバル2019〉のファイナリストに選ばれるなど、着実にその才能を世に知らしめている。
ファースト・フル・アルバムとなる今作は2枚組仕様となっており、ディスク1にはバンド・アレンジの楽曲を並べ、ディスク2はディスク1にも収録された楽曲を中心に、彼の普段のライブでの姿に近い弾き語りでの音源を収めるという、かなり変則的な構造の作品となった。しかし、この分裂しながらも統一感のある作品スタイルこそが、伊津創汰の現在のリアルな姿なのだろう。アンセム的存在感を感じさせるスケールの大きな先行配信シングル“Try”をはじめとして、ある種〈王道的〉ともいえるポップなバンド・サウンドを響かせるディスク1に対し、極めて現代的な言葉とリズムの感覚を特徴に、弾き語りの生々しい響きを感じさせるディスク2。どちらも、伊津創汰という若き才能の新鮮な煌めきと、「時代を超えて残る名曲を作りたい」と語る彼の〈普遍〉への貪欲で本能的な探求心を露わにしている。
そんな伊津創汰にインタビューを行い、その経歴やルーツ、アルバム『DREAMERS』についての話などをじっくりと聞いた。
時間が経っても色褪せない名曲を残したい
――新潟では、伊津さんの周りにソロのシンガー・ソングライターは多いですか?
「それが、周りにはそんなにいないんですよ。新潟はバンド・シーンのほうが盛り上がっていて。ライブで東京に出てくると、新潟にいた頃は知らなかったシンガー・ソングライターの方がたくさんいて刺激になりますね」
――そもそもなぜ、ソロで活動しようと思ったんですか?
「元々はバンドがやりたかったんです。中高校生の頃はONE OK ROCKやRADWIMPSのような流行りのロック・バンドが好きだったし。でも、周りにバンドをやっている人もいなくて。それでもライブハウスに行けば音楽好きの高校生が集まっているのは知っていたので、おじいちゃんにもらったアコギを持ってライブハウスに行くようになり、そうしたらそこの店長さんに、〈ひとまずアコギでライブやってみな〉と言われた。そのまま弾き語りをやり続けていたら、今の形になったんです。最初はワンオクの曲をアコギで弾いたりしたんですけど、続けていくうちに、秦基博さんのようなシンガー・ソングライターの方の曲を必然的に聴くようにもなって」
――秦基博さんの存在は大きいですか?
「そうですね。当時、高校生イベントに出たんですけど、周りはバンドばっかりのなか、僕が唯一の弾き語り。そこで秦さんの“鱗”(2007年)をカヴァーしたときの反響が大きかったんです。ガチっときたというか、お客さんによる投票制のイベントだったんですけど、そのイベント史上初めて弾き語りで優勝できたんです。〈弾き語りでもバンドに勝てるんだ〉という感覚を、そこで味わいましたね」
――伊津さんは今年で二十歳ということですが、高校卒業後の進路として大学進学などは考えなかったですか?
「大学に行きながら音楽をやるという中途半端な感じが嫌で。親に、〈どうせ音楽をやるのなら大学にお金を使う気はない。やりたいことがあるなら、そっちに専念しろ〉と言われたのも大きかったですね。あと、音楽の専門学校に行く選択肢もありはしたんですけど、僕は独学で曲を作り続けてきたし、高3の頃にはもう〈曲は失敗作でもいいから、とにかく書き続けるしかないんだ〉と思っていたんです。教えてもらった技術で作るより、とにかくたくさん自分で作りながら、なにがよくてなにが駄目なのか、自分のなかで見つけていくしかないんだろうなって。なので、自ずとバイトをやりながら音楽活動に時間を割いていく生活になりました」
――では、これまでもかなりの数の曲を作ってきたんですね。
「そうですね。失敗したものも含めて、曲はたくさん作ってきています」
――その原動力になっているのは、〈音楽で生きていきたい〉という想いですか?
「それもありますけど、それ以上に、とにかく作曲が好きだし、作品を作ることが好きなんです。〈いいものを作りたい〉という想いがずっとあります。自分が納得のいく曲が書けるまでは、とにかく曲を書き続けたい」
――納得がいく曲を書くというのは、自分の内側にある理想の音楽のイメージを具現化したい、みたいなことですか?
「漠然としているように聞こえるかもしれないですけど、生きている間に、時代を超えて残せる作品を作りたいというか。代表作と呼べるような1曲を残したいという気持ちが強くあるんですよね。そこにジャンルや音楽性のこだわりはないんです。とにかく、〈伊津創汰といえばこの曲〉と言われるような曲を残しておきたい。そこに向かって曲を書き続けている気がします」
――その代表作は、多くの人に理解されてほしいですか? それとも、自分さえ愛せればいいですか?
「自分だけ納得できるような曲だったら、残らないと思うんです。ずっと残り続けている名曲ってあるじゃないですか。それこそ、秦さんの“鱗”はもう10年以上前に出た曲ですけどいまだにテレビで使われていたりするし、奥田民生さんの“イージュー☆ライダー”(96年)や“さすらい”(98年)、斉藤和義さんの“ずっと好きだった”(2010年)なんかもそうですよね。ああいう、時間が経っても色褪せない、ずっと多くの人から〈いい曲だ〉と思われるような曲を残したいんです。それにはやっぱり、自分がいいと思うだけではダメじゃないですか」
――なるほどなぁ。あくまでも伊津さんは普遍性を求めていくというか。
「うん、そうですね」