知られざるマンドリン大国・日本の出発点を知る録音
マンドリンという楽器はあまり目立たないかもしれないが、長く深い歴史を持っていて、世界各国で多彩な花を咲かせている。近年は、イスラエル出身のマンドリン奏者アヴィ・アヴィタルがドイツ・グラモフォンからアルバムをリリースし、アメリカのブルーグラス界の天才クリス・シーリーがヨーヨー・マと一緒にアルバムを作って注目されるなど、メジャーなシーンでもマンドリン奏者の活躍が目立って来た。
日本には堀雅貴がいる。ドイツ留学後、第10回ラファエレ・カラーチェ国際マンドリン独奏コンクール第1位を獲得するなど世界的な活躍を始め、すでにソロ・アルバムもリリースしているが、その堀が今回挑んだのは日本のマンドリン界の先駆者である田中常彦(1890~1975)だ。
「田中常彦先生について、そのお名前だけは知っていて、詳しくは存じ上げませんでした。日本のマンドリン界の黎明期にイタリアで本格的に学ぶなど、田中先生は日本のマンドリン界の基礎を作られた方でした。その田中先生が残された1冊のスクラップブックがあり、そこには日本での演奏記録や、イタリアでの活動など、貴重な記録が含まれていました。そこで、田中先生の足跡を追ったアルバムをぜひ作らなければ、と思ったのです」と堀は語る。収録曲は、イタリアのマンドリン・黄金期を代表するラファエレ・カラーチェ(1863~1934)の名作“サルタレッロ”“ポロネーズ”などに加え、田中をイタリアへ導いたテノール歌手アドルフォ・サルコリ(1872~1936)の“セレナテルラ”、田中自身の残した“ナポリの思い出”や“ゆりかご”などが収録されているが、いずれもマンドリンの名曲という枠を超えて、その作品の書かれた時代や温かい人間の交流などを教えてくれる味わい深い作品ばかりだ。
「田中先生は2度にわたりイタリアへ留学されていますが、その第2回目は1927~31年で、ちょうどイタリアでマンドリンが全盛だった黄金期でもあります。そうした時代の息吹が田中先生のスクラップブックからは感じられました。そのイタリアで触れられた音楽への感動は、後世の私たちが共有して行きたいものだと思います」
実は日本はマンドリン大国でもある。各地にマンドリン・アンサンブルがあり、大学での演奏活動も盛んで、アヴィタルに言わせると〈世界で最もマンドリン・アンサンブルの多い国〉だそうだ。その先駆者としての田中常彦の存在は、日本の音楽ファンにももっと認識されて良いだろう。鈴木大介(ギター)と草間葉月(ピアノ)を共演者に迎えたこのアルバムは、知られざるマンドリンの歴史への優れた案内役となるはずだ。