師匠・国吉源次のスピリットを受け継ぐ宮古民謡の唄者がデビュー

 沖縄本島とも八重山諸島とも異なる宮古島民謡の伝統を長年にわたって背負ってきた国吉源次が先日亡くなった。その1か月後、国吉が亡くなる約2か月前にレコーディングを終えていた弟子の初アルバムが世に出ることになった。松原忠之の『清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~』。93年生まれの若い歌い手だが、8歳から20歳まで国吉に師事したという直系の弟子である。松原自身は沖縄県浦添市の生まれ。両親ともに宮古島にルーツを持ち、浦添のなかでも宮古色の濃いコミュニティーで育った。

松原忠之 『清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~』 RESPECT(2021)

 「2、3歳の頃から三線に関心を持っていたみたいで、親には〈あんたはずっと三線を追っかけてたよ〉といまだに言われます。8歳から源次先生の民謡教室に通い始めて。子供の生徒は自分だけでした」

 松原が特殊なのは、民謡と同時にヒップホップに目覚め、17歳からの10年間はラッパーとしても活動したということだ。

 「最初の頃は思いきりのめり込んでいたんですけど、ヒップホップをやればやるほど民謡がかっこよく思えてきて。27歳のときに区切りつけてラップは引退して、民謡でやっていこうと決めました。ヒップホップも生活の中から滲み出た部分があって、自分にとってそれは民謡そのものでもあるんですよね」

 デビュー作には師匠から習った宮古民謡の代表的なレパートリーが並ぶ。しっとりとした古謡からグルーヴィーなクイチャーまで、どの楽曲でも松原の声が生き生きと躍動しており、現在進行形の民謡を堪能することができる。松原自身、もっとも思い入れのある歌として挙げるのが“伊良部トーガニー”。「先生が持ち歌として歌ってきた歌だったんで、どうしても入れたかった」という。

 「源次先生がいつも言っていたのは、〈歌には残してきた先人たちの魂が宿っている。真剣に向き合えば向き合うほど歌から何か跳ね返ってくるものがあるし、続けていればそれを感じられるときが必ずやって来る〉ということ。誰でも民謡を歌うことはできるけど、誰もが歌いこなせるわけではないんですね。そういうことは口うるさく言われてきたので、今でもひとつ心に置いて、歌と向き合っていかないといけないと思っています」

 歌い手の生き様が声に乗ることで一言一言に重みが出てくるのは民謡もラップも変わらない。「沖縄や八重山の民謡を歌う唄者は自分と同世代や下の世代でもたくさんいるし、なかには怪物みたいにすごい人もいる。そのなかで自分も宮古の民謡の格好よさを見せつけていきたい」―松原はそう力強く言い切る。自分のなかの実感を通して、ヒップホップと民謡を並列に語ることのできる歌い手が、ついに沖縄から出てきたのだ。松原忠之という新たな怪物の門出を心から祝福したい。