メロディーを立たせた冨田恵一プロデュースの“哀してる”

――冨田恵一さんと亀田誠治さんのプロデュース曲が入ることになった経緯は?

荒谷「シングルとして出す2曲はプロデューサーを入れてもいいんじゃないかっていう話になったんです。それで僕たちが大好きな人たちの名前を挙げてって、その中で冨田さんと亀田さんにダメ元でオファーして、OKをいただけたという感じでした」

――最初に配信された冨田さんプロデュースの“哀してる”はオリエンタルな旋律が印象的なミドル・テンポ・バラードですが、この曲を冨田さんにオファーしたのはどうしてだったんでしょう?

荒谷「メロディーが今までの曲とは結構違うなと思ったんですね。それで、メロディーをしっかり立たせる方向性がいいんじゃないかって思って。冨田さんの楽曲は、ストリングスとかを使ったメロディーが印象深い曲が多いので、この曲を託したらすごく良い感じになるんじゃないかなっていうのがありました。あと、メンバーみんな冨田さんの曲が大好きだし」

『遙かいま』収録曲“哀してる”

――冨田さんとのやりとりの中で印象に残ったことはありますか?

荒谷「これまで僕が作った曲は、Aメロ、Bメロ、Cメロっていう流れがあまりはっきりしてなくて、J-Popのフォーマットからは離れてる曲が多かったと思うんです。でも“哀してる”ではそこを一度整理してみて、伸びしろに挑戦してみようという話を冨田さんからいただいて、〈確かにそうだな〉と納得しましたね。そこから、小節を増やしたり、ちょっと拍を変えたり、歌詞を追加したりして仕上げていきました」

野元喬文「例えば“眠りの森”(2003年)とか、冨田さんがこれまで手掛けたいろんな曲で16ビートは聴いてたので、最初“哀してる”のアレンジを聴いた時は冨田さんらしいなって思いました。でも、これまでyonawoに16ビートの曲はなかったので、〈これを自分が叩くんだよな……〉みたいな(笑)。

冨田ラボの2003年作『Shipbuilding』収録曲“眠りの森(feat. ハナレグミ)”

亀田さんの“闇燦々”も普段叩かないようなフレーズばかりで難しくて、良い経験になったなって思います」

 

ちょっとやそっとじゃyonawoは揺るがない

――今回プレイヤーとしては相当苦労されたとか。

荒谷「レコーディングしてる期間は、楽しみながらもなんかすり減っていく感じだったよね(笑)」

野元「練習を重ねるごとにより曲の良さがわかってきて。そのために練習するみたいな感じでしたね」

荒谷「あと、今回ギターもね、なかなか弾かんようなコードが多くて」

斉藤「うん。めちゃくちゃ練習した。遊びに行った先でもギター練習してたから(笑)。〈間に合わん!〉って思って」

荒谷「でもプロデュースしてもらった曲でも雄哉が考えたフレーズがあって、めちゃくちゃかっこよくてハマってて良いなって思ったよ」

――プロデューサーを入れることで、自分たちの色が減ってしまうんじゃないかという不安はなかった?

斉藤「最初は少しあったんですけど、結局俺らが演奏すれば俺らかなと思って納得しましたね」

荒谷「個人的には、ファーストでその時やりたかったことを突き詰められたと思ってるんです。あのアルバムが作れたなら、そこから変化したとしてもちょっとやそっとじゃyonawoっていうものが揺るがないんじゃないかなって思ってたので不安はなかったですね」

田中「1枚目は自分たちの内に向かってるような作品だったので、引きこもりが外に出るじゃないけど(笑)、他の人と出会うことでもっと自分を理解していくような、そういうアプローチでアルバムを作るのは面白いんじゃないかなと思いました」

 

〈音楽が好き!〉な亀田誠治と作り上げた“闇燦々”

――亀田さんとの“闇燦々”もとても新機軸だと思いましたが、亀田さんとの作業はどうでしたか?

荒谷「プリプロを2、3回やったんですけど、その時にすごく丁寧に指示してくれたり意見交換したりして」

『遙かいま』収録曲“闇燦々”

田中「荒ちゃん(荒谷)が送ったデモに対して、亀田さんのベースが入ったアレンジが返ってきたのでそれをコピーしたんですね。それで最初のプリプロで、〈今こんな感じのベースをやってます〉って亀田さんに聴いていただいた時、自分がミスしてたんですよ。でもそこで、〈自分の色になってるから無しじゃない〉と言ってくれて。

自分はyonawoに入ってからベースを始めたっていうこともあって、今まで自分のベーシストとしての色を認識できてなかったところもあるんですけど、そこで〈自分はこういうベースを弾きたいんだな〉っていうのがわかって、自信に繋がりましたね」

――日本を代表するベーシストから直々にプロデュースしてもらったわけですしね。

野元「亀田さんは1つ1つの指示がすごく的確でわかりやすくて、しかもそれがバンドに寄り添った形なんですよ。最初のオンライン・ミーティングの時から、〈メンバーの1人〉という感じでいてくれて、すごく優しくて。だから安心して練習できたし、色々自分でも考えられましたね」

斉藤「亀田さんってとにかくずっと楽しそうなんですよね。でもすごく真剣で。最初のオンライン・ミーティングの時に〈僕、本当に音楽が好きなんだよね! もっとこうしてほしいとかあったらどんどん言ってね。僕、そういうことを言ってもらうのが大好きだから〉って言ってくれて。めっちゃかっこいいなって思いました。やっぱり楽しむのって大事なんだなって」

 

斉藤雄哉作、ノリとセッションで生まれた“The Buzz Cafe”

――今回のアルバムの中だと、斉藤さんが作曲した“The Buzz Cafe”だけ全編英語詞ですよね。ファンク調のセッション感のある仕上がりになっていますが、これはどういう流れでできたんでしょう?

斉藤「福岡のスタジオで遊びでコードから作って、その場で荒ちゃんが詞とメロディーを乗っけてくれて、すぐアコギとヴォーカルを録って、ノリでいろんな音を入れて、割とすぐにできた曲ですね」

荒谷「僕が昔バンクーバーに1年くらい留学してた頃、雄哉とバンド名の由来になってるヨナオ君が遊びに来てくれて。その時たまってたカフェがThe Buzz Cafeっていう名前なんです。それで、せっかく雄哉と一緒に曲を作るならそういう思い出を込めた歌詞にしたいなって思って、歌詞から作りました。最初はインストのはずだったんですけど」

斉藤「そう、最初はもっとギター・メインでしっとりやろうかなって思ってたんですけど。やり始めたらこうなっちゃって(笑)」

荒谷「それで、やっぱり声もほしいなと思って、ほぼセッションで作った感じですね」