体鳴の旋律に導かれ、〈傷み〉を越えた、渾身の快作集
春の駅/白杖の傷/夥し。「プレバト!!」で名人9段に昇格した千原ジュニアの作、憐憫の情よりも〈行動力〉に視線を注いだ秀句だと想う。海野雅威の新作『Get My Mojo Back』を聴く前のじぶんには欠けていた視点だ。〈奇跡の復活作〉という惹句から幾分センチで、情緒的な全体像を勝手に想い描いていた。が、嬉しい誤算。なによりも気負いの無さと、編成(=セプテット)が意外だった。
「4歳から自分の体の一部、呼吸をするような感じで自然なものとして一番近くにあったピアノが突然、(右肩骨折等の重傷で)弾けなくなってしまって。落ち込みましたし、どうして行こうかという非常に辛い時期を経験しましたが……そんな時でも何か心の中から自然と聴こえてくるメロディや溢れるアイディアがあって。ふだん私はリーダーとしてはピアノ・トリオがメインですが、パーカッションの音が聴こえてきたりとか、必然的に管楽器に入ってもらおうという。それがピアノを弾けない時期の、私の心の中で鳴り響いている音でした」
理不尽な暴行によって散らばされた精神、指先の感覚や技術…それらは不屈の意志とリハビリで凱旋できるのか。1曲目は“イズント・ジス・ゲイト・ワーキング?”、自問自答の試みが幕を開ける。“バードバス”で翼を休めつつも、空を見上げることは一時も忘れない。
「ほとんど倒れかけ、地面に叩きつけられ、もう起き上がるのは困難かという体験をしたけれども、逆に、こんなところで負けてたまるかという反動も大きくて。今回のアルバムは、その立ち直る時の反動によって出来たような気もします」
言い換えや食い散らかしは報道機関の常だが、〈それから〉を自らの旋律で綴った一枚。時は戻らないが人間、自分は取り戻せる。奏でる仲間と、恩師ジュニア・マンスの未亡人から譲られたピアノと共に。巡りゆく人生を表現した“サークル”、マンス讃歌の“ミスター・エレガント・ソウル”、チェレスタの体鳴が彼(ら)の向日性を窺わせる “シークエル・トゥ・ザット・オールド・ストーリー”と聴き進めると、海野雅威の構成の巧さが染みてくる。
「今も二回めの手術をしてリハビリの最中ですが、こうしてバラバラになってしまった精神を回収しながら、それを自分の中でさらに根付かせる作業をしているのかもしれないですね」。彼を育んだ先達らの名演まで遡りたくなる、ジャズ愛溢れる結晶盤だ。